太田述正コラム#4216(2010.8.26)
<落第政治家チャーチル(その6)>(2010.12.23公開)
 シュピーゲル誌に、この記事に対応する写真集が掲載されているので、ご覧下さい。
 この写真集のタイトル、イミシンだと思いませんか。↓
 Photo Gallery: ‘Victory — Victory at all Costs’
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-58281.html
4 終わりに代えて・・チャーチルの1941年12月26日演説
 読者のFat Tailさんが教えてくれたチャーチルの米議会演説、結構面白いので、その全体から、さわりを抽出してご紹介することにしました。
 「・・・我々は平和の義務と任務を果たしてきた。
 彼等は戦争を企み計画してきた。
 仮にドイツが英国諸島を1940年7月のフランスの崩壊後に侵攻しようとしていたならば、そして、仮に日本が大英帝国と米国に、これとほぼ同じ頃に宣戦しておれば、我々の災害と苦悩がいかほどのものとなっていたか定かではない。
→チャーチルは世迷い言を言っています。
 対仏戦に勝利した後、ただちにナチスドイツは英国侵攻に着手し、航空優勢を確保するために空軍による攻勢・・バトルオブブリテン・・をまずしかけたからです。
http://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II
 また、その頃、英国に対して日本が宣戦する理論的可能性はあったけれど、その場合でも米国に対して併せて宣戦布告することは極めて考えにくいからです。(太田)
 しかし、<幸いなことに>現在は1941年12月の終わりだ。・・・
 日本によってかくも長くかくも秘密裏に計画されたところの、我々に対する猛襲は、我々が十分備えておくことができようはずもなかったことから、悲痛なる諸問題をもたらした。
 仮に、人々が私に・・イギリスでは彼等は私に聞く権利がある・・マラヤと東インド諸島にあらゆる種類の近代的航空機と陸上兵器なる潤沢な装備を調えていなかったのかと聞くならば、私はオーチンレック(<Claude >Auchinleck<。1884~1981年
http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Auchinleck (太田)
>)大将がリビア作戦であげた累次の勝利(注5)を指摘するほかない。
 我々が、もしも徐々に増大しつつあった諸資源をリビアとマラヤの両方に分け、分散していたとすれば、この二つの戦域の双方で不足が生じていたことだろう。・・・
 (注5)この時点でチャーチルはそう信じていたのだろうが、オーチンレックの作戦指揮は拙劣であり、翌1942年にはロンメルが指揮するドイツ/イタリア軍の大攻勢を受けることになり、馘首に近い形で、元々の彼の職場であったインドにインド軍司令官として戻されることになる。(彼はこの地位にインド独立までとどまる。)
 なお、このオーチンレックは、前年の1940年にはノルウェーで英仏軍の指揮をとり、一杯地にまみれており、この敗戦が同年5月10日、チャーチルを首相へと押し上げたわけだ。(コラム#4215)
http://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II
(全般的には、オーチンレックに係るウィキペディア上掲による。)
 このように、オーチンレックは、日本と不思議な縁で結ばれている。(太田)
 多くの人々は、日本が同じ日に米国と大英帝国に対する戦争に飛び込んだことに驚愕した。
 この面倒で複雑な準備が求められる腹黒い企みが彼等の密かな心中をかくも長く占拠してきたのであるとすれば、我々は全員、彼等がどうして18ヶ月前<(1940年6月)>の我々の弱い瞬間を<開戦時期として>選ばなかったのか不思議でならない。
→冒頭の方での発言を再度、更に踏み込んだ形で語っているところを見ると、チャーチルは、首相就任直後は、この恐怖でまんじりともしなかったのではないでしょうか。
 なお、冒頭の方での発言と違って、この我々(we)には米国は含まれていないように私には思えてなりません。
 思わず、チャーチルが本音を漏らしてしまった、と受け止めたいところです。(太田)
 <とはいえ、>完全に冷静に見れば、我々が被った損害や将来我々が受けなければならない懲罰にもかかわらず、それ<(この時点での日本の対米英開戦)>は非合理的行為だ。
 もちろん、彼等が非常に注意深い計算を行って彼等は何とか切り抜けられると思ったと仮定することは当然だ。
 我々は、彼等の侵略的政策を十分推進することに反対するいかなる日本の政治家も暗殺することによって、彼等の意思を歴代の日本の内閣と国会に押しつけてきた陸軍と海軍の軍の中・少尉や若い士官達の秘密結社群が過去長年にわたって日本の政策を支配してきたことを知っている。・・・
http://rightwingnews.com/speeches/churchdec.php
→極東裁判史観が早くも提示されていますね。
 さぞかしクレイギーは、この演説を知った時に苦笑(冷笑?)したことでしょうね。(太田)
(完)