太田述正コラム#4453(2010.12.23)
<皆さんとディスカッション(続x1053)>
<太田>(ツイッターより)
(コラム#4451に関し)経済の話は専門家以外は敬遠するけど、軍事話にはシロウトも軍事オタクも誰でも気軽に参入する。困ったもんだわ。
日本の一般の大学に軍事の講座ないんで、例えば防衛大の防衛学教室、ネットで公開講座を通年開催したら?
(コラム#4216に関し)チャーチル、軍歴は大変なものだ。
ハロー校の陸軍候補生隊入隊以来、陸士を経て、40歳代後半まで、断続的に世界各地の戦場の第一線で活躍した。
しかし軍事的識見があり過ぎ、政治家として、WWIでもWWIIでも失敗した。
< http://en.wikipedia.org/wiki/Winston_Churchill >
<ブルー>
太田様は以前、「政権交代後、仮に民主党政権が売国的な政策に走ろうとしても米国が許さないから大丈夫」といった意味の事を書いておられました。
今回の防衛大綱を見て「あ、ホントだ。」と思ったんですがそういう理解で宜しいでしょうか。
そしてそうだとして、こういう事の連続から民主党が政治の自主性を発揮出来ない事に苛立ち自主性を獲得しようと動き出す事を決意する方向に行くのでしょうか。
<太田>
「・・・日本人の反中感情が高まっている中、日本にある中国領事館の敷地取得計画が相次ぎ頓挫する事態に陥っている。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20101223000028
という状況下、日本人と米国人の脅威認識は、とりわけ中共に関して、微妙な乖離を示しています。↓
「「中国を信頼できるか」という質問に対し、日本人の87%、米国人の65%が「全く信頼していない」または「あまり信頼していない」と答えた。・・・
さらに、日本人は自国にとって軍事的脅威になる国や地域(複数回答)として、「北朝鮮」(85%)、「中国」(79%)、「ロシア」(59%)を挙げた。一方、米国人の回答は「北朝鮮」(79%)、「中東」(76%)、「中国」(58%)の順だった。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20101223000029
とはいえ、下掲のような認識は必ずしも正しくありません。↓
「・・・日米関係について、日本人の40%が「悪い」と回答した。昨年の調査では、26%が「悪い」と回答していた。一方、日米関係が「良い」という回答は、昨年の48%から33%に減った。また、日本人の79%が「普天間飛行場の移設問題が両国関係に悪影響を与えている」と答えている。・・・」(同上)
押さえるべきは、米国の相対的な力が急速に衰えを見せており、既に昨年、オバマは、米国は世界の覇権国たる地位から下りるつもりである、と事実上言明していることです。↓
・・・Obama was true to his baffling words before the United Nations General Assembly on September 23, 2009: “No one nation can or should try to dominate another nation,” Obama told the United Nations on September 23. “No world order that elevates one nation or group of people over another will succeed. No balance of power among nations will hold.” ・・・
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/LL23Ak04.html
中共や北朝鮮をめぐって日米の認識の乖離がより拡大していく可能性がある一方で、米国は、国防費を削減し、米軍をどんどん東アジアから撤退させて行くでしょうから、日本で次の総選挙があるまでには、日本国内で「独立」への気運は高まらざるをえないだろう、と私は(若干希望的観測を交えつつ)信じています。
ところで、米国の日本専門家が、以下のような、中期防でカネやヒトを減らしておいて、どうして新防衛大綱に言うところの、より積極的な防衛態勢が構築できるのか、という疑問を投げかけています。↓
・・・Exactly how Japan will undertake more defense activities with reduced resources will be the test of how credible the DPJ is on security issues.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704774604576035071311120978.html
この疑問への答えは、「機動即応部隊」(コラム#4439)をつくったところで、それを中東や南アジアに派遣するためにはクリアしなければならないところの、集団的自衛権行使を禁じる政府憲法解釈の変更、が予定されておらず、また、それを中共や北朝鮮用に用いなければならないようなシナリオが存在し得ない・・(核を除き)中共や北朝鮮は日本の軍事的脅威ではない・・からです。
<ΔππΔ>(「たった一人の反乱」より)
<おささん(コラム#4451)、>なんで、野坂昭如と本多勝一を同じ括りしてんだぁ?
野坂が焼跡闇市派とか(周りが)勝手に云ってんのだけど、野坂の生き様をみれば本多天皇(笑)とは全然違うだろ。
まぁ、カテゴリーでいえば中島らもと同じだとおもうよ野坂のおっさんは。
昔から野坂昭如が好きで心配しているんだけど、現在もリハビリ中(脳梗塞)らしいけど、何とかしぶとく復活して欲しいおっさんだよな~。
野坂昭如
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0877.html
日本の属国ぶりを嘆いてはいるが、本多とは全然違う。
『骨餓身峠死人葛』は、たしか読後感の悪い作品でもトップクラスだったはず。
<ΠΠδδ>(同上)
≫成績がイマイチで名門出身で不幸にも金があった鳩山(由)は道化となって皆の失笑をかった。≪(コラム#4451。太田)
<鳩山邦夫、>東大首席じゃなかったっけ?
次席が舛添。
昔TVタックルで舛添がそんな発言してた覚えがあるんだけど。
勉強が出来るだけのアホって意味なのか、それとも太田さんにしてみれば東大首席ですら成績がイマイチ扱いなのか解からんので反応に困る。
と思ったらブログ<(コラム#4451)>で追加情報出とる・・・。
<川にゃ>(同上)
東大法学部政治学科の主席は鳩山弟で次席が舛添。
鳩山弟は本屋で参考書を立ち読みするだけで記憶できたそうだ。
http://blog.livedoor.jp/omttm202/archives/51374669.html
ちなみに、アフリカのギニア出身のオスマン サンコン氏は、同国で3万人が受験した外交官試験でトップだった。
サンコン氏「僕は、勉強については先生の話を一度聞いたら絶対に忘れない」
(典拠は『徹子の部屋』に出演時の発言)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%B3
舛添もサンコン氏も数ヶ国語をマスターしている。
先天的な記憶力と有効な暗記術(勉強方法)と強靭な精神力。
ニュートンの知能指数は120程度だったそうだ。ゲーテやパスカルは170、JSミルや歌手のジュディ オング氏は160らしい。
(典拠失念、又は湯川秀樹著『天才の世界』だったかも)
共に東大法学部で首席だった片山さつき議員(舛添の元妻)と鳩山弟の成績自慢合戦。http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1065969/
<太田>
くっだらねー話題だけど、旗日だからちょっとつきあうか。
文1(≒法学部)の場合も、全学共通の進学振り分けの関係で大学1年の時の成績はつく。
ただし、優良可を点数に換算した平均点ごとの成績しか分からない。
ボクの場合は、79点で、文1の730人中58~85位(コラム#2501)だった。
ということは、点数が最高点で、しかも、その点数とったのが1人しかいなかったら、そいつが1番ということになる。
誰が1番だったかなんて、当時全く話題に上らなかったが、どうやら邦夫が1番だったことは確からしい。
(2番が舛添だったという話は初めて聞いた。そう言えるためには、邦夫のに次ぐ舛添の点数も他にとった奴がいなかったってことになるが、ホントかいなって感じだ。)
ただし、当時、文1の場合、大部分は法学部へ進学するし、希望すれば単位不足でない限り全員法学部へ進学できたから、大学1年の時に良い成績をあげるインセンティブは全く働いていなかったはずだ。
だから、この順位、あんまし意味がない。
意味があるとすれば、高ければ就職する場合に有利になるところの、法学部卒業時の、(文1時代を除く)全教科の平均点に基づく順位だろうが、学部当局は把握してるんだろうが、学生には開示されない。
話題になるのは、全優をとった者が出た場合だが、邦夫が全優だったという話は聞いたことがなく、他方、私の友人で全優だった者(彼の文1の1年の時の点数は確か80点)がいる・・各自が成績表を受け取った時に見せてくれた。ちなみに、彼こそ記憶力抜群(コラム#1329、3965、4098)・・ので、邦夫が「1番」だった可能性は、いかなる意味においてもありえない。
他に全優がいたとすれば、卒業と同時に即法学部助手になった、舛添要一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E6%B7%BB%E8%A6%81%E4%B8%80
や現法学部教授(刑法)の井上正仁(ボクは面識なし)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A3%E4%BB%81
あたりだろう。
なお、当時、法学部に学科などなく、3つの類(第1類(私法)、第2類(公法)、第3類(政治))はあったけど、これは、必修科目が若干違うというだけで、授業は全部一緒だ。
成績をそれぞれの類ごとでつけるなんて話は全くないし、ありえない。
蛇足ながら、現法学部教授(政治学)の北岡伸一(ボクが審議官の時に面識あり)は、卒業後、他大学に一旦出てる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B2%A1%E4%BC%B8%E4%B8%80
ので、第3類の中では舛添より成績が悪かった可能性が高いが、その後の学者としての実績では、北岡が舛添を完全に上回り、学者として挫折した舛添は、タレント、更には政治家への転身を余儀なくされたってことだろな。
舛添、名門じゃないしカネもないけど、この点だけとりゃ、鳩山由紀夫とちょっと似てるね。
サンコンとさつきについてはノーコメント。
本日、紹介すべきその他の記事はありません。
————————————————————–
太田述正コラム#4454(2010.12.23)
<ハセガワとベーカーの本(その8)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x1053)
- 公開日:
お答え有難う御座います。
米国と日本で中国や北朝鮮に対しての考え方の温度差がある時に防衛大綱に即応機動部隊構想を入れるという事は、例え見せ金的な意味であれ、民主党政権にも自力でそうしたものを構想し、閣内で了承するくらいの器量はある、という事なんですね。
太田さん、以前に送ると言っていた資料はなんだかんだでまだ送れて無いのですが、
とりあえず個人的に面白いと思った、論文などの各種資料を抜粋して送っておきました。
以下、送った資料が収録されている著書一覧であります。
細谷千博著 『日本外交の座標(中公叢書)』 中央公論社 1979年
細谷千博編 『日英関係史―1917年~1949年』 東京大学出版会 1982年
細谷千博 イアン・ニッシュほか 編 『日英交流史一巻 1600―2000 政治・外交Ⅰ』東京大学出版会 2000年
平間洋一 イアン・ガウ 波多野澄雄 編 『日英交流史三巻 1600―2000 軍事』東京大学出版会 2001年
細谷千博編 『ワシントン体制と日米関係』 東京大学出版会 1978年
寺元康俊著 『日露戦争以後の日本外交―パワー・ポリティクスの中の満韓問題』 信山社 1999年
フォーリン・アフェアーズジャパン 『フォーリン・アフェアーズ傑作選 1922~1999―アメリカとアジアの出会い<上>』 朝日新聞社 2001年
日蘇通信社編 『蘇連年鑑 一九三九年版』 日蘇通信社 1939年
(二部構成になっていて、今回送ったのは、後半部分の「日満支ソ関係の部」だけです。)
1906年(第二回日英同盟改訂)~1937年(日支事変勃発)までの期間の日英関係資料を送りました。
いわゆる、司馬史観(英米事大史観)でいう、坂の上から転がり落ちて行くところにあたります。
つまり、次第に日英関係が希薄化し、日米関係が険悪化していった期間の資料であります。
日露戦争以後も日本政府はただ、『極東の局面が、日露戦争間の状態に類似する危機に面することが、何時かは再現して来ると考えて居た。
しかして、その時の味方は、依然“英国でなければならない”と信じて居た。・・・』のでありますがね。
(上記典拠 『日露戦争以後の日本外交』p502 加藤高明の言葉)
まぁ、とりあえず、日本の対ソ軍事戦略がイギリスの在華権益にダメージを与え、
日本が大陸における対ソ軍事戦略を放棄するか、イギリスが在華権益を放棄するかしなければ、
もはや対立が避けられない状況に至った日支事変までの資料を送っておきました。
ちなみに今、「赤露と帝国の大陸政策に関わる資料」をお送りしようと準備しているのですが、
それを主題にした論文や本なんて(ほとんど?)無いことから資料集になる予定です。
この資料集についてですが、主に『帝国議会衆議院議事摘要』から「国務大臣演説と質疑」を抜粋してお送りしようと考えて居る訳ですが、
これ以上は断りなしに送ると、なんだかリアルスパムメールになる懸念に思い至り、判断を仰ぎたいところですが、どうですか?
ちなみにこんな資料です↓
衆議院第七十三議会 近衛内閣総理大臣の演説
『・・・申すまでもなく、日満支の強固なる提携を枢軸として、東亜永遠の平和を確立し、もって世界の平和に貢献せんとする帝国不動の国策であります。・・・
・・・おもうに東亜の安定勢力たる帝国の使命はいよいよ大にして、その責任はいよいよ重きを加うるに至れるものと言わねばなりませぬ。
この使命を果たし、この任務を尽くす為には、今後と言えども多大の犠牲を払うの決意を要するは元よりであります。
しかも今日において、この決意を為すにあらざれば、結局不幸を将来に貽(のこ)すものであります。
したがって、現代の我々がその犠牲を忍ぶということは、正に我々が後代同胞に対する崇高なる義務であることを信ずるものであります。・・・』
衆議院第七十三議会 廣田外務大臣演説
『・・・ソヴィエト連邦と支那との関係に付きましては、我国一般の特に注意を惹いて居る所でありまして、
支那は昨年8月、ソ連邦との間に不侵条約を結び、ことに国際共産党員が支那の各層に食い入って同国の社会秩序を破壊し、わざわいして居りますることは、
東亜の文明と諸民族の福祉を念とする帝国として、多大の関心を持たざるを得ない次第であります。・・・』
衆議院第七十三議会 民政党 川崎克君の質疑
『・・・蒋介石をして敢えて抗日侮日を恣(ほしいまま)にせしむるに至った所以(ゆえん)のものは、
言う迄もなく一は「コミンテルン」の赤化戦略がその原因の一つであり、また一面には第三国の政治的勢力<=英国>の介在せることが、
これまた排日抗日の温床となった一大事実を見逃す事は出来ないのであります。
先程、きたる外務大臣もこの点に触れて御報告になりましたが、かような事実があって、
既に帝国と致しましては赤化の侵略防止の為には、日独伊の間には協約が成立致し、
また北国境線に沿って蒙古連合自治政府は、チャハル、綏遠、山西、河北の一部を包容致しまして、
ようやく、その成立を告げて、極力赤化防止の陣容を整うるに至って居りますが、
この機会において中南支における第三国の政治的勢力<英国>の介在を容認することがあったならば、
他日その禍根を深からしめ、相互の不利益を醸す憂い少しとしないのであります。
併せながら、今日蒋政権が没落して、同政権に対しまする所の帝国政府の態度が明瞭となり、
東亜の形勢が一変致しました現下の情勢から見まするならば、心ある英国人の如きは、
進んで政治的干渉を避くるの態度に出ることを信じて疑わないのであります。
今日支那問題の解決と言い、また東洋永遠にわたる所の平和的建設の事業と言い、あるいは列国権益の保全と言い、
ことごとく日本と協調するにあらざれば為し能わざることは、もはや世界の識者は何人も疑いを容れざる所であるのであります。
この場合、日支の紛争の原因を根本的に芟除(せんじょ)し、東洋平和の本を作らんとするならば、
その禍根を根絶する意味<→コミンテルンの赤化戦略防止>において、第三国<英国>の反省を求めて、
我国が特殊的権益を有する地位にあることを認識せしめ、堂々とその主張を述べて、支那の富源開発の為に列強と共に協調するの誠意を披瀝するこそ、
東洋平和の基礎を確立するゆえんであると信ずるのであります。
この点に対しまして、政府の所信を承りたいのであります。・・・』
衆議院事務局発行 『第七十三回帝国議会 衆議院議事摘要』上巻 1938年 pp6~24
民政党 川崎克議員
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%85%8B