太田述正コラム#4493(2011.1.12)
<皆さんとディスカッション(続x1073)>
<太田>(ツイッターより)
 どんどん伸びてきた<ツイッター>フォロワー数も先月中旬から停滞している。
 コラムが戦前日本史と法哲学じゃそうなるのも当然?
 ただし日本の現在を知り将来を展望するには、日本の昨日とアングロサクソンについて知らなきゃね。
 (コラム#4491に関し)伊藤教授から聞いたことは、具体的に松尾浩也教授
http://bit.ly/g1znf9
の刑事訴訟法の授業で腑に落ちた。
 こういう問題、本来、法哲学で扱われて然るべきだと思うが、碧海純一教授
http://bit.ly/dSStv5
の授業はがっかり。
<ΔΔσσ>(「たった一人の反乱」より)
 またまた翻訳も含めた解説をしていただき、ありがとうございます。
 事の核心に迫ろうとしたつもりが、大陸合理主義的理論というか屁理屈みたいな質問になってました。
 『手続き的正義と実体的正義が渾然一体となった慣習法=コモンロー』
 『・・・決定されたこと<の中身>が正義にかなっていてかつ公正であるだけではだめなのであって、正義が そのような<=正義にかなっていてかつ公正である>形でもたらされたように見えなければならない、・・・という法<原則>をつくりあげた。』
(コラム#4491より)
 『実証そのもの』が『正義』を決めるのでは無く、『実証』を支持する正義の内容が『正義にかなっていてかつ公正である』ことこそ重要なんですね。
 また正義を決めるのがコモン・ローではなく、上記のような『法原則』そのものがコモン・ローであることも何か勘違いしていました。
 『・英米法系の法体系では、訴訟中心主義をとり、実体法は手続法の隙間からにじみ出てきたという性格が強いのに対し、大陸法系が実体法を中心とした理論的な体系となっていることである。
・英米法系は、大陸法系における総則規定や抽象的な法律行為概念等の理論を嫌い、日常的な人間の経験を重視することである。
・英米法系の私法は、中世の身分社会の影響から現実の社会の中の個人と全体との関係を重視する「関係理論」をとるのに対し、大陸法系が個人の意思から出発する「意思理論」をとることである。
 英米法系の刑法は、中世の身分社会の影響から現実の社会の中の個人と全体との関係を重視し、社会に与えた客観的な結果や影響を問題にするのに対し、大陸法系が個人の意思から出発し、その行為の目的や反倫理性を問題とすることである。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E7%B1%B3%E6%B3%95
 上記の英米法の特色を読んだだけでも、大陸法との違いがよくわかります。
 英米法は、『積み上げてきた歴史(研鑽されたデータ)』と『個人と全体との関係』(例:個人たる国王がその他の個人(全体)の自由を抑圧することは許さない≒自由のために特定個人の自由は制限される)を重視し、それに並んで自然科学等による実証も重用されるのに対し、大陸法は、歴史と断絶していて、理論偏重で、個人の意思に偏重している(裏返しで全体に偏重する?)ため、特定の要素、例えば自然科学等による実証のみを持って全体の判断をしてしまう、ということもありうる、という理解でそれほど間違いではないでしょうか。
<太田>
 典拠抜きの指摘で申し訳ないが、昨日行った指摘に加えるとすれば、英米法は、自国(自分の文明)の慣習(慣習法)を踏まえた判例法体系であるのに対し、大陸法はローマ法(滅亡した「外国(他文明)」の法)という制定法体系の継受改訂版である、ということかな。
<ΔΔσσ>(「たった一人の反乱」より)
 ところで以下を読んで思ったのですが、単純に、弁護士経験者から裁判官・検察官を任用するのは、より健全でいいのではと思いました。
 日本では変な弁護士はたくさんいますが、やっぱり『娑婆』の経験も必要なのではないでしょうか。
 『・英米法系の司法制度が法曹一元制をとるのに対し、大陸法系はキャリア裁判官によるキャリアシステムをとることである。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E7%B1%B3%E6%B3%95
 『法曹一元制
 法曹一元制・・・とは、弁護士経験者から裁判官・検察官を任用する制度、または法曹経験者から裁判官・検察官を任用する制度をいう。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E6%9B%B9%E4%B8%80%E5%85%83%E5%88%B6
 『キャリア裁判官
 キャリア裁判官・・・とは、日本において、司法試験合格後、司法修習を経て長期の雇用を前提に裁判官として任官した者に対する俗称。職業裁判官とも言われる。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98
<太田>
 一般論としては、おっしゃるとおりです。
 しかし、日本の場合、弁護士は、国によって参入規制がなされ、特権を享受していて、競争原理が働いていません。
 その結果、自己研鑽を怠っている人が多く、専門化も進んでいません。
 (以上、私の経験による。)
 法曹一元化は、このような状況を変えた上で実施すべきでしょう。
<ΔΔσσ>(「たった一人の反乱」より)
 このスレの議論についてですが、都条例自体は、範囲がやたら広く、表現が即ち刑罰法規に直結されているなど、到底『正義にかなっていてかつ公正である』とはいえないと思います。
 しかしペドフィリアに限った規制をというかなりハードルを下げた規制となると、単純にそうはいかないと思います。
 あえて言えば、批判側が『幼児・ 小児を性愛・性的嗜好』とした表現による『悪影響』(ポルノと強姦等の性犯罪の減少の因果関係を含む)を、自然科学等による実証(データ)として示せなくても、それで直ちに批判に値しないとまではいえないと思います。
 規制側が誰も示せなかったことですが、以下の『性的同意年齢』を絡めて(ペドフィリアは病気というのも合わせて)言論を構築すれば、日本人『全体』に対して相応の説得力を持ちえるのではと思います。規制反対派はそれに対抗しうるだけの説得力を持った『正義』の言論を構築する必要もあると思います。
 『性的同意年齢
 日本の刑法176条(強制わいせつ罪)の規定においては、男女ともに性的同意年齢は13歳に設定されている。また刑法177条(強姦罪)にも女性のみであるが同じく13歳とする規定がある。
 旧刑法346条では12歳であったが、現行刑法は1歳引き上げていた(年齢を数え年から満年齢で計算するようになったため)。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%90%8C%E6%84%8F%E5%B9%B4%E9%BD%A2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Age_of_Consent.png
 議論の中身にまでは立ち入りませんが、とりあえず以上が自分が思ったことです。
<Fat Tail>
 –縄文モード・弥生モードについて–
 オフ会の質問募集に便乗し、以下質問させて下さい。
質問1:「戦前」の昭和期に日本は縄文モードに入っていたのでしょうか。
~縄文モードの突入時期を1945年に置くか、それ以前に求めるか~
太田さんは、それぞれの時代区分について