太田述正コラム#4294(2010.10.4)
<改めてアラブ科学について(その2)>(2011.1.17公開)
(2)黄金時代のアラブ科学者達
「・・・最も有名なのは、アヴィケンナ(正確な名前はイブン・シーナ(ibn Sina))<(コラム#3128)>だ。
980年にペルシャに生まれた彼は、天才少年であり、成長後、世界で最も偉大な哲学者と医者の一人になった。
彼の偉大な著作である医学大全(Canon of Medicine)は、17世紀に至るまで、イスラム世界とキリスト教世界双方において標準的な医学文献であり続けた。・・・
しかし、アッバース朝で<著者>が一番お好みなのは、もう一人のペルシャ人学者であるアル=ビルーニ(al-Biruni)<(コラム#3128)>という名前の人物だ。・・・
有名な話だが、彼は三角関数の数学を開発し、数マイルのオーダーまで地球の円周を計算することができた。・・・」(D)
「・・・翻訳家であるフナイン・イブン=イシャーク(Hunayn ibn Ishaq<。809~873年。キリスト教ネストリウス派の医者にして科学者
http://en.wikipedia.org/wiki/Hunayn_ibn_Ishaq (太田)
>)は、古からのキリスト教都市であるヒラ(Hira<。現在のイラクのクーファ(後出)の南に位置する都市
http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Hirah (太田)
>)に生まれ、ついにイスラム教に改宗することはなかった。・・・
・・・数学者のムハマッド・イブン=ムーサ・アル=フワーリズミ(Muhammad ibn M���sa al-Khwarizmi)<(前出)もあげなければなるまい。>
・・・アル=キンディ(ラテン化されてアルキンドゥス。801~873年)<(前出)>は・・・博学者だった・・・<が、>彼の・・・諸観念は10世紀のトルコ人哲学者のアル=ファラービ(al-Farabi<。ラテン化してアルファラビウス(Alpharabius)。872?~950年末ないし951年初頭。イスラム教徒
http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Farabi (太田)
)によって復活し、キンディが使命としたギリシャ哲学のイスラム化<の営為>を続け、今度は彼が、欧州で偉大なる名声を博して多くのルネッサンス期の思想家達に深い影響を与えることとなる2人の人物にバトンを渡すのだ。
この2人とは、イブン・シーナ(Ibn Sina。980~1037年)とイブン・ラシュド(Ibn Rushd。1126~98年)<(コラム#3128)>であり、両者とも欧米では、彼等のラテン化した名前である、それぞれアヴィケンナとアヴェロエスとして、より知られている。
前者<については、既に触れたが、後者の>イブン・ラシュドは、コルドバ生まれであり、最後の偉大なイスラム哲学者と考えられている。
そのほかにも、アルキメデスとニュートンの間の2,000年間で最も偉大な医者である、イラクの天才たるイブン・アル=ハイサム(Ibn al-Haytham<。ラテン化してアルハゼン(Alhazen)。965~1039年?。アラブ人またはペルシャ人。現在のイラクのバスラで生まれカイロで死す
http://en.wikipedia.org/wiki/Alhazen (太田)
>)<(コラム#4155)>やペルシャの博学者でイスラム世界のダヴィンチと見なされているところの、コペルニクスに影響を与える数学者にして天文学者のアル=ツーシ(al-Tusi<。1135~1213年。ペルシャ人
http://en.wikipedia.org/wiki/Sharaf_al-D%C4%ABn_al-T%C5%ABs%C4%AB (太田)
>)<(コラム#3126)>、それに社会科学と経済理論の父と認められているイブン=ハルドゥーン(Ibn Khaldun<。1332~1406年。現在のチュニジアで生まれる
http://en.wikipedia.org/wiki/Ibn_Khaldun (太田)
>)のような、欧米ではその貢献が忘れられてしまった偉大な人物達がいる。・・・」(A)
「・・・イブン・アル=ハイサムは、ニュートンより遙か前に工学の分野で支配的な存在であった人物であり、フランシス・ベーコンがそれを考え始める600年も前に科学的手法を用いた。
1996年に亡くなったアブダス・サラム(Abdus Salam)<(パキスタン人(コラム#4075))>は、彼のノーベル<物理学>賞受賞講演で、アル=ビルーニ<(前出)>、アル=ラージ(al-Razi<。864~930年。ペルシャの博学者
http://wzzz.tripod.com/RAZI.html (太田)
)、イブン・シーナ(Ibn Sina)<(前出)>、ジャビール(Jabir< IBN HAIYAN。776?~803年。現在のイラクのクーファ(Kufa)(コラム#1882)に生まれる。化学の父と称される
http://www.ummah.net/history/scholars/HAIYAN.html (太田)
)、そしてアル=フワーリズミ<(前出)>というアラブ科学の巨人達のうちの幾人かの名前をあげた。・・・」(C)
「・・・『動物の本(Book of Animals)』の中で、東アフリカ系の知識人であるウスマン・アル=ジャヒス(Uthman al-Jahith。781~869年)は、環境の種に与える影響について思い巡らした最初の人物だった。
彼は、「動物は生存闘争に従事している。資源をめぐって、そして食べられることを回避しつつ繁殖するために・・。環境的諸要素は、有機体が生存を確保するために新たな諸特徴を発展させ、かくして新たな種へと変貌するよう影響を与える。生存して繁殖できた動物はその成功を収めた諸特徴を子孫に引き継ぐことができる」と記した。
『動物の本』は、動物学的事実というより大部分民話に拠っていたように見えるけれども、これが自然淘汰理論としての資格を有することは疑いない。・・・」(D)
「・・・一般に流布している神話に反し、代数(algebra)はイスラム世界の発明ではなく、その諸法は実際にはギリシャの数学者のディオファントゥス(Diophantus<。200-214~284-298年。アレキサンドリア在住
http://en.wikipedia.org/wiki/Diophantus
)に遡る。・・・」(D)
→確かに、イスラム科学と言ってしまうと、キリスト教徒等の非イスラム教徒たる学者が含まれないので、(アラブ語で論文や本を書いたという意味で)アラブ科学と呼んだ方がいいのかもしれませんね。(太田)
(続く)
改めてアラブ科学について(その2)
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