太田述正コラム#4446(2010.12.19)
<東と西(その1)>(2011.1.19公開)
1 始めに
 イアン・モリス(Ian Morris)の ‘Why the West Rules – For Now: The Patterns of History and What They Reveal About the Future’ が英米の書評で大々的にとりあげられているので、さっそく紹介することにしました。
 彼は、この本の中で、全く新しく、かつ画期的なマクロ史観を打ち出しています。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/13172d36-07cf-11e0-8138-00144feabdc0.html#axzz18QiPXoIq
(12月18日アクセス。以下同じ)
B:http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703727804576017843093401546.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTSecond
C:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/bookreviews/8176576/Why-the-West-Rules-For-Now-The-Patterns-of-History-and-What-They-Reveal-About-the-Future-by-Ian-Morris-review.html
D:http://ianmorris.org/whythewestrules.html
E:http://www.economist.com/node/17199546/print
F:http://www.bookslut.com/nonfiction/2010_12_016930.php
G:http://www.nytimes.com/2010/12/12/books/review/Schell-t.html?pagewanted=print
 なお、モリスは、英国生まれの考古学者・古典学者・歴史学者であり、現在、我が母校の米スタンフォード大学で教鞭を執っています。(G)
 『歴史の研究』のアーノルド・トインビーや『大国の興亡』のポール・ケネディといった、偉大なるマクロ史観を打ち出した英国人の諸先輩の衣鉢を継ぐ嫡流、ここに生誕、といったところでしょうか。
2 東と西
 (1)序
 「おお。東は東、西は西、両者は出会うことはない」と、大英帝国華やかりし19世紀に記したのは、ラディヤード・キップリング(Rudyard Kipling)<(コラム#356、712、2456)>だった。・・・」(F)
 「・・・<西側世界において、東と西がそれぞれ何を指すかは、時代によって異なるが、この本では、それぞれ、>ユーラシア大陸の東端と西端を指している。・・・」(A)
 「・・・モリスは、情け容赦なくこの2分法を追求し、例えば、南アジア文明やアステカ文明は捨象する。
 というのは、彼は、発展的歴史は、究極的には<このような意味での>東西の対照、競争、そして矛盾によって突き動かされてきた、と信じているからだ。・・・」(F)
 「・・・モリスの、東と西は恒常的かつ強度に相互交流してきた、というテーゼは、2010年に、南イタリアで、紀元2世紀に埋められたところの恐らくは農場奴隷の人骨が発見され、そのミトコンドリアDNAによってその母系の祖先が東アジアからやってきたことが示唆されたことから、つい最近も裏付けられたところだ。・・・」(A)
 「・・・モリスは、<自分の言う>東と西は、単に「地理的ラベルであって、価値判断ではない」と我々に伝える。・・・」(G)
 「・・・人類史のほとんどの間、西の対応が<東の対応に比べて>より革新的だった。
 東が優位にあって、より繁栄していたのは、紀元550年前後から(蒸気機関、アダムスミス、そして米独立宣言の)1776年の間だけだ。・・・」(A) 
 「・・・<すなわち、>西の文明が人類の既知の歴史の最初の14,000年の間、発展を主導したが、3世紀に東によって凌駕され、1750年より後になって再び支配的となったのだ。・・・
 今後の100年で、数的予想<だけ>では、東が再び支配的となろう。・・・」(F) 
 「・・・「西」を構成している諸社会が「<世界の>その他すべて」<の諸社会>の先を、一度ならず二度までも行ったのはどうしてだろうか。とりわけ、1500年前後より後の近代期において目覚ましくもそうであったのはどうしてだろうか<、とモリスは問いかける>。・・・」(D)
→このあたり、時代を劃する年代が微妙に区々である理由は分かりません。ひょっとすると各書評子のミスプリか。
 いずれにせよ、すぐに連想するのは、モリスが言う東と西を、それぞれ東が西を凌駕した直後の7世紀と、再び西が東を凌駕した19世紀に主体的かつ全面的に継受した日本の存在です。(太田)
(続く)