太田述正コラム#4507(2011.1.19)
<皆さんとディスカッション(続x1080)>
<太田>(ツイッターより)
 日本の戦前史関連の日本語ウィキペディア見てると、「マルクス主義」史観1に対し、「太田=戦前日本人」史観3くらいの感じで心強い、というか、ほっぺたをつねってるところだ。
 XXXXさん、孤立してないんじゃないか?
 (コラム#4446に関し)West(西、欧米)という言葉が出てきたら、アングロサクソンがこの概念を隠れ蓑にしているんじゃないか、また、19世紀末以降については、日本をのけ者にしようとしているんじゃないか、という疑いを抱こう。
<shihouen>
 –バレばれなのに!!–
≫例の北朝鮮への中共軍配備、中共当局がにべもなく否定したよ。≪(コラム#1079。太田)
 日経にも<中国の>国防省から「文句」あり。ソースが同じ朝鮮日報では已むなしか。
 それにしても、国連からの権限付託?、拒否権持ってるもんねぇだ。
 益々確信犯でお里が出たか!
 「中国、北朝鮮への進駐否定 報道「根拠ない」」
2011/1/17 19:39
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE3E5E2E1978DE3E5E2E3E0E2E3E39494E3E2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000
<太田>
 もうちょっと分かりやすい日本語で書いてくれな。
 人民網にも出てたぞ。↓
http://j.peopledaily.com.cn/94474/7264485.html
<Fat tail>
<22日のオフ会での>質問リスト<です。>
1. 日本型政治経済体制について
日本型政治経済体制と、中共やロシアのような全体主義的な政権が志向する国家資本主義(あるいはCrony Capitalism)は、一見見分けが付き難いのではないでしょうか。
というのも、例えば中共の経済体制も十分「人間主義的」(但し共産党あるいは特定の派閥に属している限りにおいては)だとの皮肉な見方も可能だと考えられるからです。
中ロその他が採用する国家資本主義と日本型政治経済体制との比較について、もう少し俯瞰・ご説明をお願い致します。
*典拠略で恐縮ですが、一部ヨーロッパ、特にフランスについても当てはまる点かと考えられます。
→これは難問ですね。あなたにもお考えいただくとして、とりあえずのお答えをしておきましょうか。
 エージェンシー関係の重層構造、という点で日本型政治経済体制的な国・社会であっても、日本の「真正」日本型政治経済体制が、エージェンシー関係が双方向(トップダウンとボトムアップ)であるのと違って、それ以外の国・社会の場合は、おおむね一方通行(トップダウン)である、という違いがあるように思います。
 また、日本や(フランスについては、エージェンシー関係の重層構造がみられるのかどうか、詳らかにしませんが、仮にみられるとして)フランスの場合、腐敗とは基本的に無縁ですが、中共やロシア(フランスと同様に、?)の場合は、腐敗が体制に組み込まれていると言っても過言ではない、という違いがあると言えそうです。
 それ以上のことは、当日。(太田)
2. 米国の戦略的撤退(撤収)について
米国について、その国力の相対的低下と全球的な戦略的撤退(あるいは撤収)は、ご指摘の通り不可避だと予想されます。
東アジアにおいては、空母を含む第七艦隊を除いてグアムまで引き下がる、という可能性とその妥当性が示唆されていますが、ヨーロッパ方面、及び中東、そして中央アジアにおいては、それぞれどのような展開が予想されますでしょうか(何処まで下がり、その「穴」を何によって代替するか)。
→東アジア/西太平洋以外では同様の話がこれまで出ていないのでよく分かりません。
 ただし、ロシア圏の縮小により、欧州では冷戦時代よりも対露縦深が確保できており、必ずしも「引き下がる」必要がない、また、中東/中央アジアでは、米国がまだ熱戦を継続中であり、「引き下がる」わけにいかない、ような気がします。
 なお、米軍が東アジア/西太平洋で「引き下がる」のは、どちらかと言うと軍事的理由からであるところ、そこでの「戦略的撤退(あるいは撤収)」はそういう意味ですよね。(太田)
3.『防衛庁再生宣言』について
『防衛庁再生宣言』において、秀吉の朝鮮出兵も、カトリック勢力に対する対抗措置だという説を披露されていますが、これは何かそれを示唆している文献等に依られたのか、それとも独自の説なのか、ご教示をお願い致します(私見では、これは太田さんのみかと思います)。
→浩志会の会合で、文部省(当時)の草原克豪さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%8E%9F%E5%85%8B%E8%B1%AA
が語った話にヒントを得ました。後は、当日。(太田)
4. 第二次冷戦時代について
第二次冷戦時代に、日本国民の与り知らぬところで、日本の自衛隊が米国の対ソ連戦略に深く組み込まれていた(深くコミットしていた)ことは、表向きの言説はどうあれ、当時の防衛庁(文官・武官問わず)あるいは政権与党上層部の上澄みの間で共有されていたことなのでしょうか。
*同じく、旧ソ連の日本「侵攻」の可能性など皆無であったことも共有されていたのでしょうか。
→本文中の問いについても、「*」の問いについても、答えはノーです。どうしてノーだったのかは、当日。(太田)
5. 大学教職応募回避について
過去、国内大学の公募教職ポストへの応募を勧められても応募しなかったことをご披露されていました。接する学生に対して将来の日本「独立」に向け指導しつつ、頻度は大幅に下がるものの太田コラム執筆を継続する、という選択肢もあったと思うのですが、当時の心境をご披露願えますでしょうか。
→事実を踏まえ、少し質問に手を加えました。当日お答えします。(太田)
<ΤΔΔΤ>(「たった一人の反乱」より)
 太田さんがあんまり植田氏に構うから少しブログを斜め読みしたが、何を言っているのかさっぱりわからん。
 それよりこの人、中二病の疑いがあるぞwww↓
 「まあ、それはそれとして、このホームページでは、時間が許す限り、一つ一つに当たっていきたいと思います。時間が許す限り、とは、私のこの世での思考が完全停止するまで、です。」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9428
 「なんでそこまでベネディクトのこの本にこだわるのか、と私は中西氏の視点に不思議を覚えるのですが、彼の個人史の中で、きっと大きな「菊と刀」体験があったのでしょう。」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9426
 「聖霊理性」なんて造語もあるwww邪鬼眼臭えwww。
<太田>
 「中二病・・・とは、思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を小児病とからめ揶揄した俗語である。・・・。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での「病気」または「精神疾患」とは無関係である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85
 「邪気眼 選ばれし者が持つという第三の眼。・・・転じて、子供の頃に考えたような痛い妄想設定のことを総じて「邪気眼」と呼ぶこともある。」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%D9%B5%A4%B4%E3
 こんな言葉が日本に生まれてた、とは知らんかったよ。
<ΤΔΔΤ>(「たった一人の反乱」より)
 
 こんなことよりも、xxxxさんの「レポート」に興味があるんだが、こっちも太田さんに送ったら?
<太田>
 それよか、XXXXさんにボクの次著の編纂陣に加わってもらえるとありがたいんだけど、まあ無理は言うまい。
<ΔΤΔΤ>(「たった一人の反乱」より)
 官僚共同体が国益や国民の利益よりも、身内同士の利益や、身内からの評価を優先してるのは事実だが、外国でも同じことなんじゃないのかな。
<ΔΔΤΤ>(同上)
 律令理性論って、ようは官僚による中央集権政治がずっと日本の政治の根本にあって、いまだそれに蝕まれてる日本人って考えでしょ。
 問題は論理的な肉付けができてるかどうかなわけで・・・。
 例の一般公開<(コラム#4477)>、一人くらい読んだ人いないの?
<太田>
 (ΔΤΔΤクンの話、どうして突然出てきたのか分かんなかったが、ひょっとして「律令理性論」の話か?)
 へー、律令理性論ってそういうことなんか。
 悪いのは自分じゃなくって社会なのよっていう、ありがちのいじけた発想だな。
 とにかく、植田の旦那の店子の誰か、「律令理性論(ただし典拠付のもの)」ってのきちんと紹介してよ。
 そうしてもらえりゃ、この「義太夫」の演題、丁重にお蔵入りさせてさしあげられるかもよ。
 それでは、記事の紹介です。
 もちろん、いざという時に備えて人数を絞ってるんだろうけど、そもそも、今まで、管理要員が多すぎたって面もあるのでは?↓
 「・・・北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安」撃沈事件や延坪島砲撃事件が起こるまでは、・・・開城工業団地の・・・韓国側の要員は1日1200-1500人いたが、最近は500人前後にまで減少した。・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20110119000022
 ルイ16世にマリー・アントワネットあり、マルコスにイメルダあり、そして、チュニジアのベン・アリにトラベルシありき。↓
 ・・・Trabelsi was brought up with 10 brothers in the heart of the Tunis medina, the daughter of a fruit and nut seller. She was working as a hairdresser when she met her future husband and gave birth to their first daughter while he was married to his first wife.・・・
 Trabelsi was a “Machiavellian figure . . . intelligent, ambitious, calculating, manipulating and utterly without scruples or morals.
 ”In short, she was absolutely fascinating!”
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jan/18/leila-trabelsi-tunisia-lady-macbeth
 排卵期の女性の研究(コラム#4497)に対する皮肉たっぷりの「反論」が2篇・・’Not That Time of Month Again’ と ‘Rape Likely Not Genetic Adaptation’・・、掲載されてた。
 短い引用は不可能。↓
http://www.doublex.com/blog
 イランの故パーレヴィ国王とその没落についてまとめられている。↓
 <彼は臆病者だった。↓>
 ・・・The shah, as Mr. Milani presents him, is above all a man of weakness.・・・
 Despite the martial pretense, the flight that ended the shah’s rule—he abandoned Tehran in January 1979 in the face of mounting protests and crumbling support—was not the first time he had fled the country: During his pivotal 1953 power struggle with Prime Minister Mohammad Mossadeq, the shah—”a nervous wreck,” in the words of Loy Henderson, the U.S. ambassador—determined to leave in February and was dissuaded, only to depart in August and return a few days later with outside help.・・・
 <彼は、女誑し+車・ボート・ヒコーキの浪費的収集家だった。↓>
 Mr. Milani alludes to his majesty’s relentless womanizing, describes his personal collection of fancy cars, boats and planes (bought with money from the national treasury)・・・
 <彼は、専制的近代化を推進した。↓>
 The number of high schools increased sevenfold, universities from eight to 148. Along with education came increasing open-mindedness in some realms, although not in others. From 1965 to 1975, ・・・Iran “was a discordant combination of cultural freedoms and political despotism—of increasing censorship against the opposition but increasing freedoms for everyone else. It is far from hyperbole to claim that during the sixties and seventies, Iran was one of the most liberal societies in the Muslim world in terms of cultural and religious tolerance, and in the state’s aversion to interfere in the private lives of its citizens—so long as they did not politically oppose the Shah.”
 <彼が宗教的寛容を推進するとともに、(共産主義への防壁となることを期待して)イスラム教を支援したこと、これに加えて彼が推進した近代化の結果、反専制的な中産階級が勃興したこと、が彼の墓穴を掘った。↓>
 The shah’s tolerance of religious minorities—notably Bahai and Jews—and his advancement of women’s rights brought him to daggers with Iran’s clergy, led by Khomeini. The shah’s father had been a secularizer, but his son reinvigorated religious institutions as a counterweight to the communists, a stratagem he would regret. In a further irony, his educational and industrial advancements gave rise to a new middle class that rebelled against his autocracy. Its members indulged in・・・a “dangerous game of wishful self-delusion,” believing that Khomeini and his legions would serve their purposes rather than the other way around. In this they were joined by the U.S. government and Western intellectuals.
 <中産階級がシーア派原理主義と手を結ぶなどというアホなことをやらかすのを、米国政府や欧米の知識人達まで容認した結果、自殺的にして悲劇的なイラン革命が起こり、パーレヴィ「朝」は倒れた。↑↓>
 ”The paradox of the fall of the Shah,” Mr. Milani says, “lies in the strange reality that nearly all advocates of modernity formed an alliance against the Shah and chose as their leader the biggest foe of modernity.” ・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703583404576080290722622876.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
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太田述正コラム#4508(2011.1.19)
<ワシントン体制の崩壊(その6)>
→非公開