太田述正コラム#4521(2011.1.26)
<皆さんとディスカッション(続x1087)>
<太田>(ツイッターより)
 (コラム#4519に関し)ランランは「我的祖國」のメロディーが美しいと言うが、支那の美しいメロディーと言えば、ボクには夜来香くらいしか思い浮かばない。
 支那文明って偉大だけど欠缺部分だらけの文明って感が否めないなあ。
<ττδδ>(「たった一人の反乱」より)
 いくらなんでも個人的な好みの違いに過ぎない問題を一般化し過ぎでは?
<太田>
 じゃ、キミが大好きか、漢人世界以外で流行ったことのある支那メロディーを、夜来香以外で一つでもいいからあげてみてよ。
 
 支那って、例えば、文学で言うと、純文学なら詩、大衆文学なら伝奇・艶笑・怪奇小説・・それぞれ一作ずつ・・以外にはめぼしいものがないって思わないか? 
<太田>(ツイッターより)
 (コラム#4460に関し)革命にせよ独創的な科学的発想にせよ、脳が成熟目前の20台の産物だと言ってもいいくらいだけど、一体それはどうしてなんだ、という研究を誰かしてくれないかな。
 試運転中だからこそ、様々な実験が行われるってことか?
<TA>
 「「講演」についてのコメント」です。
 選挙へ出馬された件ですが、私はてっきり、選挙に出馬するために防衛庁を辞めたのだと考えていましたが、ある種の「成り行き」という側面もあったのですね。
 「選挙に出れば色がついてしまい、評論家業も含め、その後の進路がせばめられる」(コラム#4513。太田)との事前認識は意外です。(たとえ負けると分かっていても)選挙に出馬することで自身の決意・覚悟を世に示したかったのだと思っていました。
 確かに、特定の政党から出馬することで中立性を疑われるというデメリットはあるでしょうが、評論しかしない・出来ない評論家よりはよほど信用が置けると、評価されると思うのですが。
→次回の「講演」の時にもう一度触れたいと思いますが、例えば、『防衛庁再生宣言』が完全に黙殺され、その書評がいかなるマスコミ媒体でも取り上げられなかったのは、本そのもののできはともかくとして、防衛問題への関心の低さの反映である以上に、選挙において特定の候補の宣伝の片棒を担ぐ印象を回避するためでもあったのではないしょうか。(太田)
 気になったのは、「3月13日、防衛庁を退職しましたが、何の感慨もありませんでした。」(コラム#4513。太田)と、たったの一言で、入庁してからの30年
http://www.ohtan.net/keireki/career.html
を片づけたことです。
 当時の太田さんの危機意識と決意の硬さは、余人には窺い知れぬものがあったのだと想像します。
 どのコラムか探せませんが、「選挙のとき、金をじゃぶじゃぶ使うという、貴重な体験が出来た」とか、「選挙運動の最後あたりには、名演説にウグイス嬢が聞き惚れていた」とかいうエピソードもあったと記憶します。こういった話も詳しく聞きたいです(演説をしている太田さんを想像できません。映像なり音声なりは残っていないでしょうか?)。あと、事前の得票予想と実際の得票との差も。
 私としましては、この選挙にまつわる話は後半部分こそ面白そうに思います。
 「講演」という形で世に出すかどうかは別として、お蔵入りだけはどうかご勘弁を。
<NK>
 私は太田さんのライフワークの日本政治外交史(戦前・戦後)については、全くの素人ですし、特に話題の三官庁(外務、海軍、陸軍)について論じることは、文官、武官にまたがっての視野が必要で、それは旧憲法下の天皇か太田さん(あるいは戦後派の防衛省文官官僚の中の若干名(if any))しか適任者はいないでしょう。
→激励をいただき恐縮ですが、強いて私のライフワークと言えば、日本の「独立」であり、日本の政治外交史は、「独立」の必要性、意義を訴えるにあたって、やむなく語っている、というだけのことです。
 若干後付的説明ではあるのですが、同じことが(私の)アングロサクソン論についても言えます。(太田)
 それはともかく、まず戦後の外務省の問題点については、大部分の国民はマスコミで聞く程度であり、また海外業務で外務省と接触を持った人はその立場や経験によってさまざまですが、一般的には外務省を問題組織、あてにならない組織と理解しているでしょう。
 その原因としては、一に属国だからそもそも外交がないこと、次に国際化の時代にあってあらゆる役所や民間組織が海外と直接接触するようになり、また日本の関心がミクロの問題だけなので外務省の固有業務(=本来の外交)がなくなってしまったことなどが言われています。
 しかし、太田さんが提起しているのはこういう外務省の堕落が戦後の現象だけとはいえないということです。
 そもそもどんな組織も固有の遺伝子を持っているはずで、戦後の外務省についても、戦前からの遺伝子はそのまま引き継がれているはずで、周辺環境の変化だけではだらしなさを説明できないと思います。
 戦前の日本は独立国ですが、およそ外交は力がなければできません。
 戦前の日本でその力をもっていた最大の組織は軍部ですから、武力も金も国内基盤や圧力団体(=応援団)も持たない外務省はなかなか自主外交を展開できなかったでしょう。
 そうだとすれば、あるときは軍部と対立し、あるときは軍部の下請けになったりして、生きて行くしかはなく、当然に弱小勢力特有の遊泳術的遺伝子を身につけたでしょう。
→昨夜のコラム(未公開)でも示唆したところですが、常駐の治外法権の海外使節(外交官)制度は、年がら年中戦争をしていた(地理的意味での)欧州で必要に迫られて生まれたものであるところ、欧州より相対的にはるかに平和であった日本や米国がこの制度を直輸入的に運用すると、外交官は、楽しい任地でいい暮らしを重ねることだけを狙ってる連中ばかりになってしまって、彼ら、むしろ国に害を及ぼす存在に堕しがちである、ということではないでしょうかね。(太田)
 敗戦によって最大のライバル軍部(特に陸軍)を米軍に壊滅してもらったというのは、外務省にとっては千載一遇のチャンスです。
 吉田が幣原を自分の露払い(雪かきの除雪車)として総理につけ、GHQの力を後ろ盾にして首相の座を確保・維持したというのはその通りでしょう。
 ライバルの国内派政治家では外交のプロの吉田には到底太刀打ちできず、公職追放その他で排除されました。
 次は海軍ですが戦闘力は見劣りしても、遠洋航海もあり、長年米英を仮想敵国とし英米事情にも陸軍よりは通じ、兵学校でも英語を重視したので、戦後のGHQ工作ではうまく立ち回って海軍では誰も絞首刑にならなかったといわれています。
 太平洋海戦史を扱った洋書でも、太平洋海戦は1944年10月のレイテ海戦で終っています。
 ですから、終戦時には戦闘組織としては壊滅状態でした。しかし、戦後のGHQ工作では武人としての能力は不要ですから、うまく立ち回れたのでしょう。
 強力な陸軍にはたえず苦労させられていた、中味においては劣る組織特有の劣等感があり、外見の見栄えにこだわったり、外務省と戦後に次三男連合を作る心理的素地があったと思います。
 陸軍について次回書きます。
→帝国陸軍についての評価は、私とは180度異なる、と承知しています。
 陸軍論をお待ちしています。(太田)
<太田>
 NTTだったか、NTTコミュニケーションだったか<から>、回線メンテナンスのために、25日、予め特定できない約1時間、回線が使えなくなる、という連絡が入っていたところ、午前中に使えなくなり、別のパソコンでイーモーバイルを使ってインターネット作業を続けた。
 昼には回線が使えるようになっていた。
 夕刻、ひかり回線の固定電話を使おうと思ったら、使えない。
 携帯電話で電話機(FAX兼用)メーカーに問い合わせたところ、回線がダウンしているらしい。
 確かに、インターネットも使えなくなっていた。
 そこで、NTTに電話したが、1700時を過ぎているため、留守電に用件を吹き込め、という自動応答のつれない返事。
 諦めて、再び上記の別のパソコンでインターネット作業を続けた。
 深夜になっても、インターネットもひかり電話も依然使えないまま。
 今朝になったら、両方ともウソのように回復していた。
 NTT/同コミュニケーションからは、一切何のお知らせメールも謝罪メールも来ていない。
 まだ、(少なくとも日本は)情報化社会になったとは言え<そうも>ない。
(新幹線が止まったら大騒ぎになるというのに、メディアも全く報じていない<もんね>。)
 (以上、Mixi太田コミュより)
 なんで、こんなこと長々書いたかって?
 対応に時間をとられ、昨夜のコラムに、てにをはの誤りが多かった理由を有料読者の皆さんに申し開きするためさ。
 意味は通じるだろうから、正誤表は本日夜のコラムにはつけませんが・・。
 それでは、記事の紹介です。
 チュニジア「革命」の影響を受け、エジプトで全国の都市で反政府デモが行われている。↓
 ・・・marching en masse, uncontrolled and officially undirected, along a central Cairo boulevard, heading for the regime heartland of Tahrir Square – this was something new and dangerous.
 The protests’ organisation was different, too – recalling Tunisia, and Iran in 2009. The biggest opposition grouping, the banned Muslim Brotherhood, for so long a useful Islamist idiot manipulated to bolster western support for the secular regime, declined to take part. Egypt’s establishment rebel, the former UN nuclear watchdog chief, Mohammad ElBaradei, also steered clear.
 Instead an ad hoc coalition of students, unemployed youths, industrial workers, intellectuals, football fans and women, connected by social media such as Twitter and Facebook, instigated a series of fast-moving, rapidly shifting demos across half a dozen or more Egyptian cities. ・・・
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jan/25/egypt-protests
 もう半世紀以上前になるけど、小4の1958年の夏、ザルツブルグのモーツァルト音楽院短期留学の後、母親と二人で欧州旅行をした際、事実上戦後最初の万博がブリュッセルで開かれており、
http://en.wikipedia.org/wiki/Expo_58
訪問したおり、目を丸くしたアトミウム
http://en.wikipedia.org/wiki/Atomium
・・中に入り、てっぺんまで行った・・の写真が出てて懐かしいのなんのって。↓
http://www.latimes.com/travel/deals/la-trb-offbeat-dinner-in-the-sky-photos,0,1305449.photogallery
 ショパンはてんかん(epilepsy)だった可能性が高いとよ。↓
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2011/01/26/2003494477
 バイオリン(「くまんばちの飛行」)のスピード演奏記録を打ち立てた演奏家(コラム#4323)の紹介が改めてなされている。↓
http://www.time.com/time/video/player/0,32068,760472263001_2044215,00.html
—————————————————————
太田述正コラム#4522(2011.1.26)
<ワシントン体制の崩壊(その11)>
→非公開