太田述正コラム#4474(2011.1.2)
<映画評論19:ロビン・フッド(その4)>(2011.2.2公開)
–ジョン–
ジョン(1167~1216。イギリス国王:1199~1216年)が、前述のようにフランス国王のフィリップ2世と結んで兄のリチャードに反旗を翻した時、彼は、リチャードを捕虜にしていた神聖ローマ皇帝のハインリッヒ6世に手紙を送り、リチャードをできるだけ長く捕らえておいて欲しいという要請をしています。
予定通りに1194年に帰国(と言ってもフランスにですが)したリチャードは、そんなジョンを許すのです。
1199年にリチャードが戦死すると、継承権において法的には優位にあった、(リチャードの弟にしてジョンの兄である故ジェフリーの息子の)ブルターニュ(Britany)公爵アーサー(Arthur)とジョンの間でイギリス王位の継承権争いが起きます。
ジョンは、母親のエレアノア及びウィリアム・マーシャルの支持もあって、イギリス国王に即位するのですが、アーサーは納得しません。
そうこうしているうちに、1202年に、前述した理由で、フィリップ2世はジョンのフランス内の(ガスコーニュ(Gascony)を除く)全領地の没収を宣言し、ただちにこの領地を占領した上で、(ノルマンディーを除き)アーサーに与えます。
ここに、ジョンに対するにフィリップ2世とアーサーの間で戦いが始まります。
戦いが始まって間もなく、ジョンはアーサーとその姉のエレアノア(Fleanor)を捕虜にし、翌年アーサーは亡くなるのですが、ジョンが殺害させたと信じられています。また、エレアノアはイギリスに送られ、捕らわれたまま、その生涯を終えます。
甥を殺した上、姪にもひどい仕打ちをしたというので、ジョンはイギリスの臣民のみならずフランスの旧「イギリス領」臣民達の反感を買います。
また、(超絶的美女のイサベラを略奪して手に入れていたというのに、)女癖の極端に悪かったジョンは、イギリス貴族達の奥方達や娘達に次々に手を出し、イギリス貴族達の顰蹙を買いました。
ジョンは、イギリスで増税することによって戦費を確保しつつ、フィリップ2世との戦いを続けるのですが、1205年にはフランス内の全領地を失い、イギリスに撤退します。
これに加えて、1206年、ジョンは、カンタベリー大司教の任命をめぐって法王インノケンティウス3世(Innocent III) と争いを起こし、1209年に法王はジョンを破門し、イギリスにおける教会機能が停止します。
洗礼も受けられないのでは子供達が天国に行けないといった突き上げをくらって困ったジョンは、1213年、イギリスとアイルランドを法王に献呈し、毎年上納金を支払う条件でイギリスとアイルランドの領主に「任命」してもらうという綱渡りのようなことをやってこの苦境を切り抜けます。
この間も、ジョンはイギリスで増税しつつ、フィリップ2世に対する戦争を続けるのです。
イギリス貴族達が叛乱を起こして、1215年にジョンにマグナカルタに署名させたのはこのような背景があったからこそです。
ジョンは、この署名は強制によるものであるとして、法王のお墨付きをえてその無効を宣言しますが、1216年、イギリス北部の貴族達が中心になって貴族達が再び叛乱を起こし、彼らは、まだフランス国王即位前のルイ8世・・その王妃のカスティリアのブランシュ(前述)はイギリス王ヘンリー2世の孫・・に対し、イギリス侵攻を条件にイギリス国王に即位することを要請し、ルイはこれを受け入れ、イギリスに侵攻し、ロンドンでイギリス国王に推戴されます。
そして、ルイがイギリス全土の半分以上を制するに至って、スコットランド国王のアレキサンダー(Alexander)2世も臣従の礼をとるためはせ参じます。
ところが、ルイに対して抵抗を続けていたジョンが亡くなると、ジョンの遺児の9歳のヘンリー(3世)をかつぐイギリス貴族が増え、摂政ウィリアム・マーシャルの下で形勢は逆転し、翌1217年、陸と海において敗れたルイは、和を結び、フランスに撤退するのです。
このように、父親のヘンリー2世や兄のリチャード1世と違って、(アーサーとの戦いを除き、)ジョンは戦争指揮官としての才能に乏しく、戦争に負け続けたと言ってもよく、その結果、フランスにおける領土をほとんど全て失った上、兄のリチャードやジェフリーよりも更に血族に対する仕打ちにおいて責められるべき点があったというのに、どうして、ジョンはこの映画で悪玉扱いをされなかったのでしょうか。
一つには、(この映画で善玉扱いをされている)彼の母親のエレアノアと、(同じく善玉扱いをされている)忠臣ウィリアム・マーシャルが、一貫してジョンの支持を続けたことがあるでしょう。
もう一つは、彼は、大局観は欠けていたけれど小事には長けており、行政能力において秀でていたことがあげらるのではないでしょうか。
すなわち、彼が戦争ばかりしていた結果であるという面もありますが、戦争を遂行するためにイギリスの海軍の近代化を成し遂げたことや戦費を賄うためにイギリスの税制を整備したことと、彼が司法知識に富み公平であったため、しばしば自らが行った裁判に関してはイギリス臣民の彼に対する信頼は高かった、ということも、この映画におけるジョンの善玉扱いに貢献していると考えられるのです。
(以上、F及び
http://historymedren.about.com/od/jwho/p/who_kingjohn.htm、
http://www.britannia.com/history/monarchs/mon28.html、
http://www.archontology.org/nations/uk/england/king_england/john.php
による。ただし、アーサーとルイ8世については、それぞれ、
http://www.englishmonarchs.co.uk/arthur_brittany.htm、
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_VIII_of_France
も参照した。これらはいずれも1月2日アクセス)
(続く)
映画評論19:ロビン・フッド(その4)
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