太田述正コラム#4332(2010.10.23)
<ヒットラーとスターリン(その4)>(2011.2.13公開)
(3)スナイダー批判
「・・・「<<ヒットラーもスターリン>も彼等の怒りを部外者に対してぶちまけたというスナイダーの主張・・・>は間違いなくヒットラーにはあてはまる。
彼によるドイツのユダヤ人の殺害は、彼によるユダヤ人殺害全体のわずか1%に過ぎない<からだ>。
しかし、スターリンの場合、30年代初期の人工的飢饉と1937~8年の大テロルについて、スナイダーのテーゼはあてはまらない。
それは、確かに史上最悪の「人工的」に賦課された飢饉だった。
(もっとも、毛沢東による支那農民の殺害によって簡単にその上を行かれてしまった。<(コラム#4236参照。)>)
しかし、ウクライナ人が相対的にはるかに大きな苦しみを味わったのは事実だけれど、この飢饉において、ヴォルガ河流域とクバン(Kuban)(ドン河とカフカス山麓丘陵地帯の間)<(注2)>のロシア人という「部内者」も同じくらい殺害した。
(注2)コサック(ロシア屯田兵と考えればよい)の住んでいた地域。19世紀末、そこにウクライナ等から農民が流入した。ロシア革命後、コサック勢力は白軍に協力したが、流入農民勢力は赤軍に呼応して独立を宣言し、クバン人民共和国と称した(1918~20年)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kuban_People’s_Republic (太田)
多くの権威によってジェノサイドと認識されているところの、ウクライナのホロドモール(holodomor。飢えによる死)は、集団化と没収の、予想可能であったとしても、どちらかと言えば、付随的効果だった。
それは、ウクライナ人を絶滅させることを特に狙ったものではなかった。
クバンでは、コサック(Cossacks)が主たる敵だったが、ウクライナ人の村人達は、(後にNKVDになる)ゲーペーウー(OGPU)<(注3)>によって特に選ばれて生かされたままにされ、納屋や映画館で彼等のコサック人たる隣人達をかき集め、燃やすためにリクルートされた。
(注3)ソ連成立時にチェカ(Cheka)の後身として設立。1922~34年の間存続。ラテン語表記はGosudarstvennoye Politicheskoye Upravlenie。=ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局。1934年にNKVD、1954年にKGBとなる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%83%BC
http://en.wikipedia.org/wiki/State_Political_Directorate (太田)
(スナイダーは言及していないが)カザフ(Kazakhs)民族は、1930年代初期に賦課された飢饉によってウクライナ人よりも全滅に近づかされた<(注4)>。)
(注4)農業集団化政策に抗議してカザフの農民達は家畜を殺した。当時、100万人のカザフ人とカザフ共和国の家畜の80%が死んだ。遊牧社会への集団化政策の強制は、ウクライナにおけるよりも、ひどい死と苦痛をもたらした。
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Kazakhstan (太田)
大テロルに関して言えば、それは、ウクライナやベラルスにおいてよりも、レニングラード、モスクワ、そしてシベリアの諸都市においてむしろ一層殺人的だった。
以上のような意味において、スナイダーの図式(scheme)には説得力がない。・・・
スターリンは自分の権力が依存していたところの人々を殺害した。
農民は彼を食わせた。軍は彼を守った。医師達は彼を治療した。党は彼を支えた。カフカスの小民族群は<グルジア出身の>彼のアイデンティティーだった。そして、僧侶は彼を<神学校で>養育した。・・・」(B)
3 終わりに
スナイダーの主張とこのスナイダー批判とは、相矛盾するものではないと思います。
米国や英国では、先の大戦の時に、自分達がスターリンと同盟しヒットラーと戦ったことを正当化しようとする心理が働くために、両国の歴史学者達もどちらかというとスターリンの蛮行をヒットラーのそれよりも矮小化してきたきらいがあります。
スナイダーは、このような謬見を正すために、(期間的にはともかく、)あえて地域的に同じ土俵を設定することによって、両者の悪辣さに甲乙が付けがたいことを、明確に示そうとしたのではないでしょうか。
一般読者をして、そのような認識を持たせることに成功すれば、後は、スナイダー批判的に、スターリンの悪辣さによって被害を被った地域をソ連全土に拡大してやればよろしい。
そうすれば、スターリンの方がヒットラーよりもはるかに悪かった、つまりは、スターリニズムの方がナチズムよりもはるかに悪辣だった、ということにならざるを得ないでしょう。
このようなスターリニズムの悪辣さは、米国と英国が、東アジアにおいて、スターリニズムとけなげにも単独で対峙し続けた日本を先の大戦で敗北させたことで、毛沢東の中共、金王朝の北朝鮮、更にはホー・チミンのベトナムが受け継ぎ、東アジアの人々を塗炭の苦しみに陥らせたわけです。
このように見てくると、米国や英国でスナイダーらがやろうとしたスターリニズムの悪辣さの糾弾は、日本の歴史学者こそが行ってしかるべきところですが、私は、寡聞にしてそのような例をほとんど知りません。
何と遺憾なことでしょうか。
(完)
ヒットラーとスターリン(その4)
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