太田述正コラム#4462(2010.12.27)
<戦間期米国人の東アジア論(その1)>(2011.3.31公開)
1 始めに
 XXXXさん提供の、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン『フォーリン・アフェアーズ傑作選』1922~1999–アメリカとアジアの出会い(上)』(朝日新聞社2001年)を読むと、当時の米国の指導層が、いかに人種主義的、ないしは赤露音痴であったかが分かります。
 
2 パール・バック(論文発表:1940年)
 (1)紹介
 一番おぞましく、かつ一番面白い、パール・バックから始めましょう。
 パール・バックについては、これまで何度も何度もとりあげてきており、改めて紹介する必要はありますまい。
 (2)論文
 「東洋における白人の今後が議論されるとき、必ず引き合いに出される一つの設問がある。それは極東における白人の権力と威信が今後も変わることなく維持されるだろうか、という問いである。現時点ではそれは衰退の一途をたどっている。果たして白人の権力と威信が過去における栄光の日々を思い起こさせるほどの高まりを今後みせることはあるのだろうか。」(135)
→当時の米国の知識人のホンネとしての人種主義を、かくもあからさまに語ってくれたバックに感謝しなければなりますまい。(太田)
 「第一次世界大戦以前、東洋の人々は、白人のことを自分たちにいは超えがたい優位を持つ人々として尊敬していた。科学は自分たちにまったく理解できない白人の魔法であり、自分たちにはそれを理解する能力がないと考えていた。だが、第一次世界大戦がさまざまな形で東洋人を啓発した。彼らは、この戦争で互いに傷つけあう白人を目の当たりにし、この事態に恐怖を覚えつつも、同時に勇気づけられもした。東洋人は白人をスーパーマンとみなすのをやめ。自らに期待を抱くようになった。」(137)
 「中国人は、第一次世界大戦の際にイギリス人が、中国の領土内において、宣教師と商人、老若男女、健康な者とそうでない者を問わず、あらゆるドイツ人に対して残忍な行動をとり、家や土地から引き離し、家畜船に詰め込んで、熱帯地域に追いやる様を目の当たりにした。これは東洋人が初めて目にする光景だった。彼らはこれに幻滅を感じると同時にしっかりと胸に刻み込んだ。東洋で白人が白人を攻撃したとき、一つの時代に幕が降ろされたのだ。」(138)
→同国人同士の白人と白人が殺戮し合った自国の南北戦争のことを忘れたかのようなバックが、よくもまあ第一次世界大戦について、こんなことを口にできたな、と思いますね。(太田)
 「日本は、・・・それまでドイツが手にしていた管理権を引き継ぐことを主張した。白人たちは、戦争という逼迫した状況下だったために、日本の要求を飲んだ。白人は、日本が自分たちの味方であると誤認したばかりか、白人の諸々の権益を本来の所有者である中国に返すよりも、日本の一時的な管理下においたほうが自分たちの手に取り戻しやすいという間違った判断を下した。これが極東における白人の最初の重大な過ちだった。これこそ今日における極東での白人の弱い立場へと至る道のりの始まりだった。中国における最も強力な白人勢力だったイギリスがドイツ人を追い払った後にその植民地を自らの勢力圏に組み入れるか、あるいは中国に返還していれば、日本が中国本土に本格的な足場を得ることもなかっただろう。」(139)
→日本は非白人の国でありながら、非白人離れしている国であるがゆえにこそ、バックは、日本を敵視の対象とせざるをえないわけです。
 その上で、自分自身ひいては米国政府のように、日本人や日本を差別視するようなことのなかった英国政府を、バックは、名指しこそしないけれど、批判しているわけです。
 バックのこの単細胞的明快さには脱帽ですね。(太田)
 「<やがて>ドイツ人もまた中国に戻ってきた。しかし、彼らは後ろ盾となる軍隊がないことをわきまえていあので、中国の習慣を学び、中華料理を好きになろうと大変な努力をした。彼らは中国商人と、ぶらぶらしたり、話し合ったり、仲良くなったりするために十分な時間を割いた。イギリス人には考えられないことだが、ドイツ人の妻たちは中国商人の妻たちとの交流をはかり、招来に向けた確固たる人的関係の基盤を築いていた。実際、中国人はドイツ人を嫌ってはいない。もしドイツがファシズムを世界にとってより受け入れやすいものへと変化させれば、中国にもファシスト党が誕生し、機が熟すれば、有名な独裁者によって率いられることになるだろう。
 もちろん、中国のファシズムがドイツのファシズムと同じものになることはあり得ない。キリスト教の神でさえ、この国では中国人信者の手によって改変されてきた。しかし、ファシズムが民主主義へと転化することがありえないのは中国においても同様だろう。」(140~141)
→ここは、(もともと全体主義政党として発足した)中国国民党の主流が、どうして(マルクス・レーニン主義/スターリン主義ではなく)ファシズムを採択するに至ったのかについて、バックなりの説明にはなっています。
 なお、「ファシズムが民主主義へと転化することがありえない」はとんだ見込み違いであり、自由民主主義的基盤が脆弱であったにもかかわらず自由民主主義化した社会にはファシズムを経験したものが多い・・ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、台湾、イラク(ただし現在進行形)等・・ことを我々は知っています。(太田)
 「日本はもともと好きだったわけではない民主主義という外套を脱ぎ始めている。日本が民主主義という外套をまとったのは単に他国がそれをまとっていたからにすぎない。日本は常に心底ファシスト的であり続けてきた。」(140)
→この他国とはドイツのことを指しているように思われます。
 いずれにせよ、このような日本観が完全な誤りであることは言を俟ちません。(太田)
 「日本が侵略を開始したとき、多くの中国人はアメリカがなんとかしてくれると本当に信じていた。日本が満州を手に入れようとしていたとき、中国にいるアメリカ人がいかに難しい立場に立たされたかを私はよく覚えている。「アメリカはこんなことを許さない。アメリカは必ずわれわれを助けにきてくれる」といった確信めいた意見を日に何度も耳にした。「恐らくそれはありえない」と答えるのはどうしようもなく気詰まりなことだった。また、どうしてそうなのかをうまく説明するのはほぼ不可能だった。しかし、自らの世界における運命は自ら切り開かなければならないことを中国人が気づき始めるにつれて、それまで高らかに掲げていた星条旗は半旗にされた。こうして、アメリカの立場は、イギリスよりは少しはましという程度にまで凋落した。」(142)
→簡単に言えば、ここは、バックが、中国国民党政府に対して米国が十分肩入れをしてこなかったことを非難するとともに、今後はそういうことのないようにと、米国民、ひいては米国政府を叱咤しているわけです。(太田)
 「(日本人移民を禁止した)移民割当法がアメリカで成立した24年あたりから、日本のリベラル勢力はその影響力を失い始め、協調路線も放棄される。アメリカがまったく正反対の路線をとっているのに、自由主義のために自分たちが日本国内で努力することにどれほどの意味があるだろうか、と彼らは考えたのだ。大半のアメリカ人はこのことに気づきもしなかった。枢軸国への参加を拒絶したかもしれない日本の自由主義者たちをアメリカが絶望させたことによって、世界におけるファシズムの台頭を煽ったことになる。日本は白人に背を向け、再び汎アジアの夢を模索するようになった。」(143)
→ここでも日本についての認識は半ば間違っていますが、それはともかく、人種主義者の権化のような自分が、自国の人種主義的な法律を批判するという滑稽さに、バックは気付いていないようです。(太田)
 「日本は(ナチス)ドイツから戦術だけでなく、その精神も学んで吸収していた。日本は生来の気質、ならびにその近代教育によって軍国主義にかぶれ、仲裁や妥協といった洗練された手法よりも、手っ取り早くて安易な征服という方法を好んだ。」(143)
→この日本認識は100%誤りです。支那滞在の長かったバックがかくも日本について無知であったことが私にはちょっと信じられません。(太田)
 「極東における白人の権力と威信の没落の原因は第一次世界大戦であり、それ以外の何物でもない。白人が西洋世界での平和を維持できていたなら、いまも東洋における支配者として君臨していただろう。白人間の確固たる平和が世界の東側にどんな意味を持ちえたか、考えてみるがいい。中国の事実上の分割が続いていたなら、この国は白人のものになっていたはずだ。たとえ白人が中国人の主権を認めたとしても、西洋は貿易を通じて東洋での地位を十分に強化できただろうし、日本は永久に自分たちの島に閉じ込められたままだっただろう。西洋が弱体化していなければ、日本が西洋に対し武装して反旗を翻すようなことは決してしなかっただろうし、世界は白人の手のなかにあったはずだ。」(144~145)
→またまた、人種主義の権化たるバックの獅子吼です。
 バックは、日本人のみならず、恐らくは当時の英国人から見ても唾棄すべき人種的偏見の持ち主であったのではないでしょうか。
 そもそも、バックは、英国、より正確にはイギリスが、一貫して、欧州において、同じ白人国たる大国が台頭するのを妨げることを、いわば最重要な国是としてきた、という歴史を、全く知らないかあえて無視しているとしか思えません。(太田)
 「<ドイツが今次世界大戦で勝利を収めた場合、>ドイツが、中国で日本を好きにさせるとも考えにくい。ドイツと似通っている日本のような国に好き勝手にさせるのはドイツの利益にはならない。日本は全体主義的、軍国主義的な形式と原則によって厳格に組織された国であり、ドイツと同様に、自国より遙かに大きな領土と資源を獲得するという野望を持っている。ソビエトも今後の情勢を見守っており、ドイツはソビエトを日本と敵対させる必要性に直面するかもしれない・・・」(146)
→バックのソ連(ロシア)/赤露音痴ぶりがうかがえる箇所です。(太田)
 「仮に中国と日本が過去の一世代にわたって敵同士ではなく同盟国だったとすれば、いまごろ極東から白人は一掃されていたかもしれない。・・・
 しかし、日本の軍国主義によってその機会がつぶされるとともに、西洋の機会は温存された。・・・
 つまり、日本人はその行動によって、図らずも白人を助けてしまったことになる、もし白人が賢明で、本当に招来極東において居場所が欲しいのなら、現在世界で孤立し援助への望みを失っている中国に手を差し伸べるだろう。そうすれば、白人はアンドクレスに、そして中国は彼にとげを抜いてもらった後に彼を救うライオンになることができるだろう(訳注 アンドロクレスはローマの伝説的な奴隷で、競技場で戦わされた相手がかつてとげを抜いてやったことのあるライオンだったので命が助かったといわれる)・・・」(147~148)
 「「<アメリカと中国の>再建された新しい友好関係は確固たる物的基盤の上に築かれねばならない。その最たるものはアメリカが中国に、日本の侵略をくいとめるための十分な援助を与えることだろう。」(151)
→バックは、再び、人種主義テーゼを高らかに奏でつつ、米国に、中国国民党政府への梃子入れ方について、繰り返し念押しをしているわけです。(太田)
 「ソビエトがどのような役割を果たすかは、ロシア人がどれだけ白人と言えるのかに左右されるし、この論争はいまだ明確な決着をみていない。ロシア人が白人なのかどうかはこれまでも常も議論の対象とされ、その曖昧さはロシア人自身さえも認めるところだ。また、ソビエトがドイツと手を結んでいる今日の状況で、ドイツが自己利益の観点から守ろうとしている領土にソビエトが進出するのはいかにも具合が悪い。ソビエトは日本の敵であるため、ヒトラーが中国と親密になるのを称賛しつつも、それに負けじと中国に友好的態度をとるかもしれない。ロシア人が結局は自分も白人だったということに気づけば、ソビエトとドイツがともに極東における新しい白人の覇者になるべきだと考えるようになるかもしれない。そうなれば極東における白人の権力と威信の歴史が新たに刻まれることになる。」(149)
 「極東における白人の未来は全般的に混乱に満ちており、いかなる尺度でみても暗澹とし混濁している。最悪のシナリオはナチスの指導者たちが予想するように、アジアが団結してヨーロッパに対抗するようになることだ。それは昔からよく耳にするイエロー・ペリル(黄禍論)の悪夢に他ならないが、白人がこれを再び極東を征服する際の言い訳として利用する危険がある。そうなれば、黄禍論は本当の意味で危険なものとなる。特にソビエトが自分たちを白人の範疇に含まれないものとみなせばなおさらである。現在は東と西においてそれぞれ人間性を破壊している戦争が、東洋対西洋という最後の巨大な闘争による破壊はとつながってゆきかねないからだ。」(151)
→ロシア人が白人と非白人との間を行ったり来たりさせられているところに端的にあらわれているように、バックの人種主義、ひいては当時の米国人の人種主義、がいかにご都合主義な代物であったかが分かります。
 それと同時に、マルクス・レーニン主義/スターリン主義を身に纏ったロシアの脅威、すなわち赤露の脅威について、バックが完璧なまでに無知であることも分かります。
 1940年時点における米国政府のソ連認識も、このバックと無知さにおいていい勝負であったことも我々は知っています。(太田)
(続く)