太田述正コラム#4508(2011.1.19)
<ワシントン体制の崩壊(その6)>(2011.4.15公開)
3 ロイド・ガードナー「極東国際政治と英米関係」(河合秀和訳)
もともとが散漫な論文であるのに加えて、河合の訳が余りこなれているとは言えないため、読むのが苦痛でした。
興味ある箇所を断片的にご紹介するだけにとどめたい思います。
「<第一次世界大戦>が終わった<頃の>イギリス外務省の見解<は次のとおり。>
「当面、経済的には一切の有利はアメリカ人の側にあるが、政治、経済の両面で東洋人に対処していく上での無知と経験不足のために、ともかくも今後長期にわたって、彼らは極東の命運において指導的な役割を果すには不適格である。そして、問題が臨機にかつ慎重に扱われるならば、戦争の結果として生じた明白な不利にもかかわらず、わが国の指導権を保持することは、われわれにとって困難でないはずである」。」(41~42)
→米国評はまことにもって御説の通りですが、残念ながら、英国は米国を制御することなど、全くできなかったことを我々は知っています。(太田)
「<英>首相デイヴィッド・ロイド・ジョージは初めは心から<日英同盟の>更新に賛成であった。彼は、率直にいって同盟はアメリカの願望を抑制するものと見ていた。<1921年に>彼は自治領諸国の代表にむかって次のように語った。「中国がアメリカの大手を振って歩ける国にならないように、そしてアメリカが中国貿易の全利益を占めないようにすることが重要である」。・・・
彼は1920年8月17日、日本大使珍田伯爵との送別の対話において・・・<日英>同盟は安定を助長した、そしてイギリス国民はその継続を支持していると語った。また・・・、日本は東シベリアに生じている諸問題に対処すべきであると言った。」(45~46)
→はっきり言えば、ロイド・ジョージ英首相は、日英同盟を、東アジアにおいて、アホの大男の米国を牽制しつつ、悪漢の大男の赤露を抑止するためのもの、と見ていたわけです。(太田)
「日英同盟を改訂して合衆国も加入させようとするイギリスの様々な提案は<アメリカにとっては>特に腹立たしいもので、いずれも即座に拒絶された。・・・
<駐米>イギリス大使サー・オークランド・ゲッデス<がその種の提案を行った時、米国務長官のチャールズ・エヴァンズ・>ヒューズは椅子から飛び上った。彼の顔は、「蒸した赤カブの淡色の輪のような色…」になった。それから彼は叫んだ。「もしアメリカが、自分には何も求めず、ただイギリスを救うために戦争に突入しなかったら、そして(金切り声を挙げる)勝たなかったら、貴方はここでイギリスを代表して話してなどはいないだろう・・・。・・・話しているのは、その声が聞えるのはカイザーだ…カイザーなのだ。それなのに貴方は、日本にたいする義務について話している」。」(46)
→米国の牽制のために一番良いのは、日英同盟を日米英同盟へと改組することだ、と英国は考えたけれど、人種主義的帝国主義に染まっていた米国は、黄色い猿の日本と同盟関係を取り結ぶなどという汚らわしいことを勧める英国をヒステリックに罵倒した、ということです。(太田)
「1924年末の状況においては、アメリカの政策は中国ナショナリズムにたいしてその主要な要求に応じることで対処するというものであった。ワシントンの作業仮説は、中国人がアメリカの政策を日英「帝国主義」の影の中ではなく、正しい光に照らして見るならば、列強がこれまで直面してきた問題の大部分は消滅するであろうとするものであった。」(66)
→アホの大男の面目躍如ってところですね。(太田)
「「ジノヴィエフ書簡」<(注23)>事件の余波の中で、イギリス人はソ連がイギリス帝国を激しい攪乱、そしてやがては破壊の運動の対象として取り上げたと確信していた。ボリシェヴィキの機関員と宣伝はアジアにおいてもっとも活発であった・・・。
<オーステン・>チェンバレン<英外相>はまた、日本とイギリスはともに、アメリカが民族主義的要求に応じようとして–特に治外法権廃止の問題で–あまりに早く動いていることを憂慮している点で共通であると信じていた。ロシアは、帝制以来の古い特権を一切放棄する条約を中国と調印していた。ヴェルサイユ条約の条文–今ではロンドンでは大いに後悔されていた–によって、ドイツとオーストリアも同じような条約に調印していた。イギリスと日本はこの問題点では結束して、ワシントンがあまりにもはやって中国における西欧権力の最後の足場を消滅させるのを抑えることができるであろう。」(67~68)
(注23)Zinoviev letter。1924年にコミンテルン議長、ジノヴィエフがイギリス共産党に対して革命を促す文書を送ったとされるもの。偽書であることが分かっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Zinoviev_letter
→英国が、当時、どれほど赤露を脅威視していたか分かりますね。支那での治外法権撤廃等は赤露を利するものという認識であったということです。(太田)
「1925年5月30日の「上海事件」<(コラム#4504)>で・・・イギリスの閣議は中国にたいする軍事行動の可能性を論じたが、ロシアにたいする干渉戦争の愚行を一層大きな規模でくり返すという可能性を前にして尻ごみした。「中国は広大な国であり、決定的な軍事目標がない」と、統合参謀本部長が結論を下している。列強は北京や広東を取り、それをいわば人質にとったり、あるいは破壊したりすることもできるであろう–しかし、その後はどうなるのか。」(70~71)
「スタンフォーダム卿<(侍従?)>が<チェンバレン>外相に通報したところによると、・・・<英国王ジョージ5世>は、昨夜、貴下の珠江を封鎖するという提案を真剣に考慮すると述べた暗号電信を受領して喜んでおられる。陛下は、何かそのようなわが国の自己主張の実際的な証明が当面の情勢にたいして望ましい効果をもつであろうと、考えざるをえないとされている・・・」。・・・
国王は、・・・<駐日英国大使のサー・チャールズ・>エリオットの・・・次のような結論に特に感銘を受けていた。「東洋にかんするかぎり、特にわれわれが東洋と西洋の双方におけるソ連の活動の危険性を正しく評価するならば、合衆国よりもむしろ日本と協力しなければならない」。」(72~74)
「インド政庁の首長は、上海はソヴィエト・ロシアとイギリス帝国との間の決定的な力試しとなるであろうと信じていた。彼は、ロシアの指導者は彼らの中国における事業の成功はモスクワの共産党政権の運命を決すると信じているという外務省の報告を引用しつつ、外相にあてて「もし・・・上海で・・・「彼ら」が勝てば、「イギリス人が中国から追放されている状景は…[帝国に]敵対しているインド人にたいする直接の教唆となるであろう」。
<結局、英国は、>1万2000の兵力を派遣することが決定された・・・。」(85)
「1927年4月1日の日本に軍事援助を求めたチェンバレンの訴え<は、>・・・「揚子江沿岸における最近の諸事件は、そこに今起りつつあることは、事実上、過去2、3年の中国において発展しつつある破壊活動と排外的宣伝煽動による共産主義的体制の勝利に等しいことを国王陛下の政府に確信させた。この運動の力は、もっぱら中国の暴徒と訃報分子の道徳的堕落に頼っており、国民の安定した秩序ある部分は無視されている、後者は平和と静穏を欲し、国民の大多数を形成しているものとわれわれは信じているが、自らの願望を表明することはまったくできないでいる」。・・・「これが共産主義的活動の第一段階でしかないことは、きわめて明白である。それは中国におけるイギリスの立場を堀崩すや、その勢力を他のすべての外国人に向けていくであろう。日本人の順番が続いて来ることは、きわめて確実である。その場合、日本の利益が同様にして被害を受けるだけでなく、中国における共産主義の目標の勝利が、地理的近さとその国にたいするより大きな経済的依存度のために、国王陛下の政府よりも一層決定的に日本に影響をおよぼすであろうと、国王陛下の政府には思われる」。」(85~86)
→この時点での英国政府と日本の帝国陸軍/世論の支那観は完全に一致していたと言えます。
返す返すも、この時点で、事実上の日英同盟の復活という英国の提案を受諾し、いつでも支那において日英が共同軍事行動をとれるようにしようとしなかった当時の日本政府、就中幣原外相の愚かさが悔やまれます。
近い将来の日本の運命、とりわけ1937年からの日支戦争の展開を予言したかのようなくだりや、当時の英国王のジョージ5世(George V。1865~1936年。国王:1910~36年)
http://en.wikipedia.org/wiki/George_V_of_the_United_Kingdom
の意向を英国政府が気にかけていたこと等、面白いですね。(太田)
「チェンバレン・・・<英>外相は、[<日英>同盟の廃棄は]極東ではわが国にとって高価なものになった。わが国の日本にたいする手掛りと友情を犠牲にしたからである。・・・。」(86)
→英国が、米国のごり押しに屈して日英同盟を解消した愚を反省しているわけです。(太田)
「<英日間の>新しい「諒解」の成立を妨げたのは、たんにアメリカの反対論だけではなかった。事実は、日本には提供するものがなかったということにあった。」(91)
→ガードナーは、1978年時点でラトガース大学教授であり、恐らく米国人だと思われますが、この、当時の米国政府を庇うような記述はナンセンスです。
赤露に対して東アジアで防壁となる、ということで、日本は米英に対し、一貫して多大なる貢献(提供)をしていたのですから・・。(太田)
(続く)
ワシントン体制の崩壊(その6)
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