時事コラム
2001年12月24日
太田述正コラム#0007
不審船沈没事案
東シナ海で生じたばかりの北朝鮮のものとおぼしき不審船沈没事案について、英国BBCは、第二次世界大戦後、初めて日本の艦艇が他国の艦船に攻撃を加えたと報じました。(http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1725000/1725816.stm。)
同時多発テロへの対処にあたって、日本は第二次世界大戦後初めて集団的自衛権を行使し、インド洋に海上自衛隊の艦艇を派遣したと報じられたばかりですが、ここに小泉政権は、日本の戦後史におけるエポックメーカーとしての「栄誉」をまたしても手にしたことになります。
それにしても、今回の事案への対応には問題点が多々あります。
一つは、事案「解決」までにいたずらに長時間を要しただけでなく、非常に危ない橋を渡ったという点です。
非常に危ない橋を渡ったというのは、巡視船三隻が銃撃を受け、二人の乗員が負傷し危うく命を落とすところだったからであり、「ロケット砲」を発射され、すんでのところで巡視船二隻の内のどちらかに命中するところだったからです。今回は不審船のスピードが遅く、海上保安庁の巡視船でも対応できるとの判断の下、海上自衛隊は側面からのサポートに徹したということのようですが、事実上軍艦であると言ってもよい不審船に、本来私人の犯罪を取り締まるのが仕事の海上保安庁が前面に立って対応するということ自体に無理があるように思われます。
かねてから私が主張しているように、(経費削減の観点からも)海上保安庁を海上自衛隊に吸収合併し、英国と同様、(警察力ではなく)「軍事」力を前面に出して、物騒極まる日本の周辺海域を守る体制を構築する必要があると考えます。
もう一つの、より大きな問題点は、ことここに至った経緯についてです。
二年前の1999年の3月、日本海で二隻の北朝鮮の不審船を海自と海保の艦艇等が追いかけたが結局取り逃がした事案が起こりました。この時、この不審船情報を最初にもたらしたのが米国政府であったことは公然たる秘密です。日本政府に「いいかげん何とかしたらどうだ」とせまったわけです。
それまでも不審船は横行していたのですが、これら船舶を取り締まる意思を日本政府は殆ど放棄していたのです。当時までは、海上保安庁の能力にもおぼつかないものがあり、海上自衛隊も手を完全に縛られていたわけですが、こういったことにも象徴されているように、政府の意思が薄弱であったことこそが、(スパイ行為、日本人誘拐、覚醒剤搬入等に従事しているとされる)北朝鮮不審船の跳梁を許していた最大の原因です。
それが、二年前のこの米国からの「外圧」を契機に変わり始めます。その変化は、その後の「タカ派」ブッシュ新政権の発足、更には今次同時多発テロ発生により、米国の北朝鮮への態度がより厳しいものとなることによって決定的になり、今回の東シナ海の事案に至ります。
時あたかも、朝鮮総連系金融機関の不祥事がらみで朝鮮総連に司直の手が入るという前代未聞の出来事がありました。こちらも、単に日本政府の公金がこの金融機関救済に投入されるようになった以上、その公金が回り回って北朝鮮に上納されていたのでは国民に示しがつかないというだけでなく、やはり米国の北朝鮮への厳しい姿勢が背景にあったと見るべきでしょう。
いつになったら日本政府が主体的に外交・安全保障に取り組むようになるのか、道はいまだ遠いと言わざる得ません。