太田述正コラム#4538(2011.2.3)
<日英同盟をめぐって(続)その2)>(2011.4.28公開)
3 イアン・ガウ「英国海軍と日本–1900~1920」
 「<第一次世界大戦中のことだが、>英国の戦艦トライアンフと駆逐艦ウスクが青島攻略に向かう<日本の>第二艦隊司令官の指揮下に入った。・・・英国とカナダの艦艇も北米西岸で森山慶三郎少将の隷下に入った。・・・
 <また、>日本はインド洋とオーストラリア近海で英国と協同して哨戒活動を実施<した。>・・・
 最も顕著で賞賛をを得た貢献は、駆逐艦部隊の地中海派遣要請に<日本が>前向きに対処し、ヨーロッパ周辺海域で行った支援であった。巡洋艦一隻を含む日本海軍の支援は完全に自由に運用できる状態に置かれ、英国地中海艦隊司令長官の指揮下には入らなかった。
 <他方、>日本海軍の行動範囲を限定しようとする英国と日本の間に見苦しい論争<が起きた。>・・・
 <また、>日本は海軍による支援を利用し、人種差別と貿易問題で英連邦自治領に圧力をかけようとした・・・。<更に、>日本の商船とインドのナショナリズム運動に関するかかわりという高度に微妙な問題が<英>海軍省の懸念を生んでいた。ジェリコー<(R. Jellicoe。1859~1935年)軍令部長。最終的に伯爵・元帥
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Jellicoe,_1st_Earl_Jellicoe (太田)
)>とビーティ< (David Beatty。1871~1936年)(ジェリコーの後任の大艦隊(Grand Fleet)司令長官。最終的に伯爵・元帥
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Beatty,_1st_Earl_Beatty (太田)
)>は書簡の中で何度もこの問題に言及している。在華艦隊司令長官が日本商船の行動を阻止しようと、日本の哨戒区域に艦艇を派遣して日本の船舶を臨検したことは、同盟国を侮辱し日本海軍を怒らせる行為であった。・・・
 <以上をまとめれば、>大戦中に日本海軍は活動範囲の制限を受け入れなかったり、極東や太平洋地域以外への度重なる艦艇派遣要請を拒否したため、戦中と戦後に英国側に批判が生じる結果を招いたが<、日本海軍の>貢献は大きかった<ということだ>。」(48~50)
→要するに、豪州等における人種差別の問題やインド独立運動の問題が影を落としてはいたけれど、日英同盟は、第一次世界大戦においても、見事に機能した、ということです。(太田)
 「ジェリコー軍令部長は・・・16年、17年と日本を強く批判した。彼が17年7月にビーティー提督に宛てた書簡では、日本は政府だけでなく海軍も、日本の商船で移動しているインド人暴徒を阻止していないと書いている。さらにジェリコーは日本が「ロシアに銃と弾薬を売却したことを除けば、戦争の負担を充分に負っていない」とも述べている。数週間後にジェリコーはあらためてビーティーに書簡を送り、「日本は再度、支援をせがまれている…が、日本人は大義のために何かをしたいなどとは思ってもいない」と書いている。面白いことに、英国海軍省が日本に巡洋戦艦二隻を売却するよう依頼する際、ジェリコーは日本人が乗り組んだ艦艇ではドイツに対抗できないことを売却要求の理由としていた。また、17年12月には在華艦隊司令長官が日本の駆逐艦部隊に関して、エーゲ海で「わが艦艇との協同に対して、健全な考えを持っていないので」日本海軍を用いるのはあまりにも愚かしいと否定的なコメントを発した。しかし、これらの所見がまったく根拠がないことが明らかになった。日本海軍は見事な働きをし、地中海における英国とその同盟国にとってこれ以上は望めないほど協力的で助けになった。撃沈された艦艇の乗組員に対する<日本海軍による>救助活動は激賞された。」(50)
→にもかかわらず、当時の英海軍の制服トップが日本海軍、ひいては日本に対して人種主義的な偏見を抱いていたとしか思えない言動を行っていた、ということは、当時の日本の外務省や帝国海軍同様、英海軍幹部の教育・人事に欠陥があったのか、英国の世界覇権国としての力の衰えが、最初に英海軍を歪めつつあったのか、或いはその両方だったのか、を示唆するものです。(太田)
 「1919年には英国と植民地とが、日本海軍の脅威に対する姿勢を示す二つの大きな出来事があった。
 第一に前海軍軍令部長ジェリコーの自治領歴訪である。・・・ジェリコーは日本が「われわれの明らかな敵となる可能性が最も高い」ので、日本海軍に対抗する・・・在華・・・艦隊への精神的、財政的支援を集めようとした。そして、各自治領や海軍省に対して、次のように唱えた。「日本はわが植民地に永続的に打撃を与え続ける位置にある極東で唯一の国である」。同盟に頼って、海上防衛策を講じないのは「愚の骨頂」であると忠告し、いかにして「同盟国が一瞬のうちに敵となるか」は歴史が物語っていると指摘した。結論として、ジェリコーは大英帝国と日本の利益が衝突するのは不可避であり、「こうした理由から太平洋地域の潜在敵国は日本である」と言わざるを得ないとした。・・・
 <第二に、>19年10月、英国本国では海軍省が戦時内閣に対して日英同盟の更新を期待しない旨を伝え<たことだ。>・・・英国海軍の計画のうえでは・・・同盟条約締約国であった・・・日本<は既に>・・・潜在敵国になっていた<のである>・・・。」(52~53)
→当時の英海軍の制服の頂点を極めてその職を辞したばかりの人間が、このような発言を世界各地で行ったということは、たとえそれら発言が内輪のものであったとしても、外部に漏れる可能性が大であることから、国際政治感覚の著しい欠如を示すものであり、これもまた、私の上記示唆を裏付けるものです。
 帝国海軍は、ドイツ陸軍を範とした帝国陸軍と違って、一貫して英海軍を範としてきたところ、このことは、一般に帝国海軍の帝国陸軍に比べての良識性を担保したと受け止められてきたわけですが、帝国海軍は、どうやら、このような英海軍の欠陥ないし歪みも学習したと考えられるのであって、私には、少なくとも第一次世界大戦以後については、その逆が成り立つように思われるのです。(太田)
(続く)