太田述正コラム#0014
印パのにらみあい(その3)
そもそも、なにゆえ、我々は印パの動向に重大な関心を寄せるべきなのでしょうか。
その第一の理由は、印パ両国とも親日国であるからです。
私はかつて、「・・<1988年に>インドを訪問したとき、戦争中日本の指導、協力のもとにインド独立を目指して戦ったインド国民軍やその最高指揮官だったチャンドラ・ボースが高い評価を受けていることを知って深い感銘を覚えた。ニューデリーのレッドフォート(17世紀に建造された城砦)の音と光のショーのクライマックスは、大戦後そこで開かれた旧インド国民軍将校の反逆罪裁判(独立を希求するインド人民の激高の前に、全員無罪となる)であったし、カルカッタのビクトリア(女王)記念館内のインド独立革命の志士達を顕彰する部屋の主役は、(地元出身ということもあるが、)ガンジーやネールではなく、チャンドラ・ボースだった。・・」(自衛隊向けの週刊新聞「朝雲」平成4.8.2 掲載)と書いたことがあります。インド人やパキスタン人は、印パの独立、就中第二次世界大戦が終わってからわずか二年という時点での早期の独立は、決してガンジー、ネールばりの非暴力主義的運動だけでは成就しなかったと考えているのではないでしょうか。
だからこそ、インドもパキスタンも日本に敬意と親近感を持っているのです。
第二の理由は、英国からの分離独立後の半世紀にわたる印パの対立について、日本にも一半の責任があるからです。
第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツと本国で戦う一方で、アジアでの日本軍や上記のインド国民軍の進撃に直面し、恐れおののいた英国は、ガンジーやネールを指導者とする国民会議派が独立の約束なくして宗主国英国への戦争協力なしとの方針を堅持していたことに業をにやし、積極的にヒンドゥー教徒とイスラム教徒の反目をあおりたて、ヒンドゥー教徒中心の国民会議派の勢力を削ごうと画策しました。その結果、1940年の時点までは、国民会議派同様、インドの分離独立に反対していたイスラム教徒のムスリム同盟の指導者ジンナーが、やむなく分離独立賛成に転じたという経緯があります。
(http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/south_asia/newsid_1751000/1751044.stm)
この結果、余りにも準備不足のまま、印パの分離独立がなしとげられ、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間等で相互殺戮が起こって100万名もの犠牲者が出、しかも藩主がヒンドゥー教徒で人口の多くはイスラム教徒であったカシミールで印パどちらに帰属するか紛争が生じ、爾後印パ両国は厳しく対立し、三度も戦火を交えて現在に至っているのです。
第三の理由は、印パ両国(その後バングラデシュがパキスタンから分離独立した)が、東シナ海を介して中国・・法の支配も民主主義も未成熟・・と対峙する日本から見て対蹠的な位置にある、中国と国境を接する大国だからです。
インドやパキスタンが中国の勢力圏に入ったり、インドが中国と軍事紛争を起こしたりすることは、間接的に日本にも大きなマイナスの影響を及ぼすので、回避する必要があります。印パ間の軍事紛争も同様です。中国が南アジアでもキャスティングボードを握りかねないからです。
インド海軍は、外洋海軍への脱皮を図りつつあり、そのインドは日本の生命線たる中東等とのシーレーンの途中に鎮座する大国であることも忘れてはならないでしょう。
第四の理由は、印パ及びバングラデシュを合算すれば、既に中国の人口12億を上回っていますが、近い将来はインド一カ国だけで中国の人口を上回る見込みだという点に関連します。そのインドは現時点では中国に遅れをとってはいますが、高度成長をとげつつあります。しかも、インドには法の支配と民主主義が定着しており、インド経済の将来は中国よりもはるかに可能性があると私は見ています。(私の中国論については、いずれご披露するつもりです。)
欧米より近いところにこのように国のあり方が共通で、経済的ポテンシャルのある国があるのですから、日本はもっと本腰を入れてインドに接近する必要があると思うのです。
(備考)前々回のコラム(#12)で、冒頭の行の「地元山形県の現地」を削除してください。また、前回のコラム(#13)中の「ベビー・シッター」は「ホーム・ヘルパー」に置き換えてください。