太田述正コラム#4659(2011.4.1)
<再びガンディーについて(その2)>(2011.6.22公開)
<コラム#4657への追加>
H:http://www.nytimes.com/2011/04/01/books/gandhi-biography-by-joseph-lelyveld-roils-india.html?hpw
(4月1日アクセス)
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–批判–
「この本はまだインドでは発売されていない。」(E)
「グジャラート州首相のナレンドラ・モディ(Narendra Modi)は、ジョセフ・レリヴェルドによってなされたマハトマ・ガンディーについての叙述は軽蔑されるべきだ」と自分のブログに書いた。
「いかなる事情があろうと、こんなことが許されて良いはずがない」と。」(G)
「<3月30日、>グジャラート州議会は全会一致で<この本>を発禁にした。」(E)
「「ガンディー師は尊敬されている指導者であり、この国の父として知られている。彼はインド解放運動を率いた。州政府は当州においてこの本が出版されないようにする措置をとることになろう」とマハラシュトラ州の産業相は、<30日、>州上院(Legislative Council)で述べた。
・・・「自分の宣伝と本を売らんかなのためにインドの偉大な指導者達のイメージを汚すことが流行になってきている」とマハラシュトラ州の与党の国民会議派のスポークスマンのサンジェイ・ダット(Sanjay Dutt)は語った。
「中央政府は、国の父のイメージを汚す者は、誰であれ、厳しく処罰する法律を援用すべきだ」と。」(G)
「ムンバイ・ミラー紙は、<3月29日、>一面に・・・「ある本がドイツ人の男がガンジーの秘密の恋人だった主張」という見出しの記事を掲げた。
ガンディーのカレンバッハとの手紙のやりとりのいくつかを精査の上、ガンディーの性志向について書いたことがある、精神分析家のスディール・カカール(Sudhir Kakar)は、ガンディーとカレンバッハが恋人同士であったとは思わない、と語った。
「それは極めた誤った解釈だ」と。
ガンディーの偉大な目標は、非暴力、性的禁欲と真実だった、と彼は語った。
「ヒンドゥーの考え方は、性志向は散逸しがちな根源的エネルギーを保有しているというものだ」とカカールは語った。
「仮にそれが昇華、制御できれば、それはあなたに精神的な力を与えることができる。ガンディーは、自分の政治的な力は、性的禁欲から、すなわち彼の精神的な力から来ている、と感じていた」と。
彼は、ガンディーは、女性の仲間達へのものも含め、しばしばその手紙を強い愛の言葉で埋め尽くしたけれど、だからといって肉体的親密性へとそれが導いたわけではない、と述べた。
「彼は自分の感じたままを伝えていたのだが、それはプラトニックなものだった。それらは行動に移されたわけではない。そんなことは、彼にとっては耐え難いことだったはずだ」と。」(E)
–反批判–
「作家で、表現の自由のために戦っているところの、インド・ペンクラブ事務局長のランジット・ホスコート(Ranjit Hoskote)は、この本を発禁にする動きに対し、地域メディアはレリヴェルドの意図とガンディーのカレンバッハとの関係のどちらも誤解している、と非難した。
「第三者によるルポとコメントを引用すること以上に悪しき事例はない」と彼は述べる。
「自分が読んでもいない本をどうして発禁にできるのだ」と。
彼は、ガンディーのカレンバッハとの手紙のやりとりは、既に何十年も図書館で読むことができる状態にあったと述べた。
「そこには何も秘密なんてない。そこには何も醜聞なんてない」と彼は述べた。」(E)
「ガンディーの孫のラジモハン(Rajmohan)でさえこれに同調する。
彼は、ガンディーの性的生活に関する示唆を一笑に付し、発禁を求める声を拒否し、それは「あらゆる見地から間違っているし、ガンディーが言論の自由を追求したことに鑑みれば、その倍間違っている」と形容した。
「我々はレリヴェルドの本など気にする必要はない」と彼はヒンドゥスタン・タイムスに書いた。」(G)
–批判の背景–
「<上出の>グジャラート州は特に保守的な所であり、例えば、アルコール飲料を販売することはできないし、この州はヒンドゥーのナショナリスト政党によって統治されている。・・・
<ちなみに、>2009年にニューデリーの高等裁判所は、英領当時からのホモ禁止法を違憲であるとしたが、これはゲイの権利の分水嶺と見られている。
にもかかわらず、インドのゲイの大部分はカミングアウトを躊躇し続けている。・・・
<この本を巡る>この論議は、インドの高度に制限的な言論の自由の権利を浮き彫りにする。
インドの役人達は、よく、本、映画、絵画等の作品を発禁にしたり検閲したりする。
インドの法の下では、いかなる市民も作品を発禁にして欲しいと請願することができ、活動家や政治的指導者達は、よく、その権利を行使する。・・・
<インドの>憲法は、不快であると解釈できる言論に対し「合理的制限」を課すことを認めている。
1988年に、インドは多くのイスラム教国ともども、インド出身のサルマン・ラシュディの小説、『悪魔の詩』を発禁にした。
また、昨年には、地域政党であるシヴ・セナ(Shiv Sena)が、<上出の>マハラシュトラ州(Maharashtra)における支配的な倫理集団を誹謗しているとして、ムンバイ大学をして、ロヒントン・ミストリー(Rohinton Mistry)の高い評価を受けているところの、『かくも長き旅路(Such a Long Journey)』<(注1)>をそのカリキュラムから落とさせた。」(H)
(注1)ミストリーは、1952年ボンベイ(ムンバイ)生まれのパルシー教徒(Parsi)・・ゾロアスター教を起源とする一神教宗派の信徒・・であり、現地の大学を出てしばらくしてからカナダ住まいとなり、現在に至る。彼が1991年に上梓した2作目の小説(カナダ総督賞受賞)がこれ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rohinton_Mistry
http://ejje.weblio.jp/content/Parsi
–著者によるコメント–
「<件の二人の間で交わされた>手紙群は、競売でインドの国立文書館が入手したものであり、研究者なら手にすることができる。
それらは、カレンバッハ氏の子孫達によって売られたものだ。
<なお、>ガンディーは、カレンバッハ氏の彼宛の手紙群を早い時期に焼却している・・・。・・・
口づてで交わされたところの、南アフリカのこぢんまりとしたコミュニティーにおける<この話の>結論は、往々にしてかなり露骨なものだった。
当時も、あるいはその後においても、ガンディーが妻のもとを去って一人の男と生活を共にしたことは、秘密でも何でもない。
<私は、この本の中で二人の関係について結論を下してはいないが、>プラトニックな愛の概念なんて眉唾物だと思われていた時代においては、二人の関係と手紙類から適宜詳細な事実を選びとれば、一つの結論が示唆されるように見えることは否定しがたい。」(H)
(続く)
再びガンディーについて(その2)
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文化の違いが言論の自由に影響を及ぼすんですね。