太田述正コラム#4667(2011.4.5)
<先の大戦時に腐っても鯛であった英国>(2011.6.26公開)
1 始めに
「権威」あるガーディアンとファイナンシャルタイムスが、それぞれ書評でとりあげたというのに、英国の他の主要紙等が追随して書評を載せようとしない本は珍しいのではないかと思います。
上梓されたばかりの、デイヴィッド・エジャートン(David Edgerton)の ‘Britain’s War Machine: Weapons, Resources and Experts in the Second World War’ がそうです。
2つの書評だけでは、十分なご紹介ができないのですが、考えて見たら当たり前の、ただし、結構重要なことを指摘している本なので、あえてご紹介を試みた次第です。
2 先の大戦時に腐っても鯛であった英国
「エジャートンが主たる標的にするのは、昨年にもデーヴィッド・キャメロンによって断言されたところの、ナチスにたった一人で対峙していた傲慢な負け犬という、1940年当時の英国のイメージだ。
つまり、エジャートンが正しくも主張するように、英国は、「恐るべき戦争遂行手段を有したという意味で、十分な根拠に基づき、自信満々であったところの第一級の大国だった」のだ。・・・
英国の軍隊は、1930年代において世界最大の武器輸出国であったところの製造業基盤によって供給されていたことから、最初から、敵<のドイツ>よりも、より資源豊富であり、技術的にも進んでた。
かてて加えて、英国は、その帝国の莫大な資源を利用できた。
しかし、母国を支えるものとしてのその中心的重要性は、イデオロギー上の理由によって歴史家達によって過小評価されることになる。
フランスが降伏した後においてさえ、英国は、世界の多くの部分の物的かつ人的資源を自らの側に保持していた。
特に、その全員が志願兵であったところの、250万人のインド出身の兵士を・・。
<実際、>大西洋のUボートの脅威よりも、マラヤの石油とゴムの喪失に方がより大きな問題を引きおこした。
いずれにせよ、戦時中の英国では生活必需品等の欠乏は起こらなかった。
いや、少なくとも、その多くが英海軍の封鎖によってもたらされたところの、ドイツにおいて経験された、生活必需品等の欠乏に相当する程の規模においては起こらなかった。」
http://www.ft.com/cms/s/2/9fd585be-5663-11e0-84e9-00144feab49a.html#axzz1IKAQl3IM
(4月2日アクセス)
「1940年において、英国は、世界最大の海軍、いかなる国をも凌駕する航空機製造数、小さいけれど珍しくも機械化された陸軍、を誇る第一級の大国であり、大戦前の宥和政策は、再軍備と平行して行われたのだ、と彼は述べる。・・・
英陸軍はダンケルクでその装備品の大部分を失ったわけではない。
<実際、>英国は本国に十分な予備装備があったので、チャーチルは1940年8月に戦車群をエジプトに送ることができた。
また、英国は、<フランスが降伏した>1940年6月から<ドイツが対ソ開戦をした>1941年6月まで「独りぼっち」であったわけでもない。
英国は、その背後に巨大な帝国と全球的な金融資産を抱えていたからだ。・・・
<そして、英国の輸送船及びその護衛部隊とドイツのUボート等の間の>バトル・オブ・アトランティックにおける転機(crisis)は、1943年ではなく1941年に訪れていた、とエジャートンは主張する。<(注1)>
また、英国は、囲まれていたわけでも封鎖されていたわけでもない。
金額的には輸入は戦前の水準で推移したし、大部分の食糧は配給になることなく量的に十分だった。
肉とチーズの輸入はむしろ増えた。
石油製品、燃料油、ガソリン、航空燃料、そして潤滑油は、空前の分量が全量輸入された。
一般に思われているのとは違って、チャーチルの戦時中の仲間達(coalition)は英国史上最も技術識字率が高く、科学の訓練を受けた閣僚が4人もいた。
戦時中の科学の重要な業績は、JD・バーナル(Bernal)<(注2)>のような著名な知識人によってではなく、軍事官僚機構の中の名も無き人々によってあげられた。
また、バーンズ・ウォリス(Barnes Wallis)<(注3)>やフランク・ホイットル(Frank Whittle)<(注4)>は、行政機構の無関心さに対して闘争を行わなければならなかったわけではなく、当局にかわいがられ、甘やかされた。・・・
<ただし、>英国が1940年に抱いた勝利への自信は、ドイツが、占領した欧州諸国の労働力と資源を搾取する能力についての恐ろしいまでの過小評価に依拠したものであった<ことが判明した>。
そして、英国の持っていた資源は確かに大きかったけれど、それは、1941年末に日本が勝利をあげたことによって突きつけられた追加的挑戦に伍すには極めて不十分であることも判明した。
爾後、英国は、米国の富と工業力とに依存して戦争を遂行することになる。・・・
(なお、書評子として補足しておきたいが、)レーダーといった、戦争の帰趨を真に決定した科学的業績は、チャンバレン首相の庇護の下で、1940年より前にあげられたのであって、チャーチルと彼のリンデマン(Lindemann)<(注5)>もどき達は、多額のカネをかけたけれど、大発見と見えて実は見かけ倒しの業績が多い。」
http://www.guardian.co.uk/books/2011/mar/27/britains-war-machine-david-edgerton
(3月28日アクセス)
(注1)1941年3月から5月にかけて、英国は、常設船団護衛部隊を編成し、また、小艦艇や航空機に搭載できる短波レーダーを導入することによって、ドイツのUボート等に対して優位に転じた。
他方、1943年3月から5月にかえて、様々な技術革新の集大成と米国の装備の物量によって、バトル・オブ・アトランティックは、ドイツのUボート等の敗北でもって事実上終焉を迎えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Atlantic_%281939%E2%80%931945%29
(注2)John Desmond Bernal。1901~71年。先の大戦中、英軍部の顧問を務める。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Desmond_Bernal
(注3)Sir Barnes Neville Wallis。1887~1979年。跳躍弾(bouncing bomb)の発明者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Barnes_Wallis
(注4)Sir Frank Whittle。1907~96年。ジェットエンジンの発明者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Whittle
(注5)Frederick Alexander Lindemann, 1st Viscount Cherwel。1886~1957年。先の大戦中、英政府、とりわけチャーチルの科学顧問を務める。ドイツ都市の戦略爆撃の推奨者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Lindemann,_1st_Viscount_Cherwell
3 終わりに
要するに、チャーチルは、斜陽とはいえ腐っても鯛であった大英帝国の力を過小評価したために、その大英帝国を守るため、米国を先の大戦に引きずり込む必要があると思い込み、その手段として、彼がその力を過小評価したところの日本を対米英攻撃へと追い込む、という下の下の愚策をとったために、意外や意外、日本によって大英帝国の過早な瓦解がもたらされてしまった、ということです。
先の大戦時に腐っても鯛であった英国
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