太田述正コラム#0023
<パレスティナ紛争(その3)>
<パレスティナ紛争のとるに足らなさ>
読者の中には、私が余りにもイスラエル寄りの議論を展開していると感じておられる方がいることでしょう。
しかし、とにかく我慢して最後まで私の議論を聞いてください。
私が「パレスティナ紛争がとるに足らない」と主張するのは、二つの意味においてです。一つは単純な話で、「人災」としてはパレスティナ紛争はそれほど大規模なものではないという意味であり、もう一つは、パレスティナ紛争自体に目を奪われると、その背後に横たわるより深刻な問題から目をそらすことになりかねないという意味です。
最初の方から説明しましょう。
「人災」としてパレスティナ紛争はそれほど大規模なものではないという点は明白です。パレスティナ問題をめぐって戦われた四度にわたる中東戦争の総犠牲者数にイスラエルのレバノン侵攻に伴う犠牲者数やインティファーダがらみの犠牲者数をすべて足し合わせても、せいぜい10万人程度にしかなりません。
他方、同じ中近東・北アフリカ地域で言っても、アルジェリア独立戦争(54-62)だけで10万人、イランイラク戦争(80-88)では50万人もの犠牲者が出ています。日本の位置する東アジアで言えば、朝鮮戦争(50-53)では300万人、第二次世界大戦終了後からベトナム戦争終結まで(45-75)の間にベトナムでは290万人の犠牲者が出ています。また、文化大革命(67-68)では50万人の犠牲者が出ましたし、カンボディアのポルポト時代(75-78)には100万人も人々が虐殺され、また、このところの北朝鮮の飢餓状況により、200万人もの(広義の)餓死者が出ていると言われています。(北朝鮮以外の数値は、The Military Balance 2001-2002による。)
では、どうしてあれほどパレスティナ紛争が注目されるのでしょうか。
それは西欧諸国がキリスト教国であり、パレスティナはキリスト教の聖地でもあって、しかも西欧の裏庭に位置し、十字軍の昔から深い関わりのあった地域だからです。これに加えて西欧にはユダヤ人迫害に対する贖罪意識があります。米国はこの西欧のパレスティナ観を受け継いでいるだけでなく、自身が現在イスラエルに次ぐユダヤ人人口をかかえ、しかも在米ユダヤ人が米国のマスコミや学会で大きなウェートを占めているという事実があります。だから、欧米の政治家やマスコミがパレスティナ紛争に強い関心を示すのは当然です。
しかし、我々までがこの欧米的視点に同調する必要はありません。我々にとってはパレスティナ紛争以上に重視すべき「人災」がいくらでもあるからです。
後の方の話に移りましょう。
現在、イスラエルの人口は600万ですが、うち100万のアラブ人を差し引くとユダヤ人人口は500万人です。このわずか500万人が1億2千万人のアラブ人、というより12億人のイスラム教徒に取り囲まれているわけです。イスラエル建国当時は両者の人口比はもっとかけ離れていました。この圧倒的な人口比からすれば、ユダヤ教信徒たるユダヤ人とイスラム教信徒たるアラブ人、ひいては全イスラム教徒との間での「紛争」(=パレスティナ紛争)など生じるはずがありませんし、仮に生じたとしても、ユダヤ人はあっという間に地中海にたたき落とされて紛争は終結していたはずです。ところが既に半世紀以上にわたってパレスティナ紛争が続いています。これは、アラブ側ないしイスラム側に深刻な問題があることを示すものです。(続く)