太田述正コラム#4707(2011.4.25)
<日進月歩の人間科学(続X19)>(2011.7.16公開)
1 始めに
仏教の座禅に関する人間科学の話題を二つご紹介しましょう。
2 序
米国の研究者達が、国勢調査で宗教も申告することになっているところの、豪州、オーストリア、カナダ、チェコ、フィンランド、アイルランド、オランダ、ニュージーランド、スイスという9か国のデータを集めたところ、20世紀の間、無宗教であると申告する人の割合が着実に増えてきていることを発見しました。
そして、その理由は、宗教集団に属する価値が顕著に減少してきたところにある、と結論付け、宗教は消滅の方向に向かっている、と指摘しました。
チェコでは、既に60%の人々が無宗教であると申告していますし、オランダでは現在は40%ですが、2050年にはそれが70%になると予想されています。
http://newsfeed.time.com/2011/03/23/study-religion-may-head-toward-extinction-in-many-western-countries/
(3月25日アクセス)
私に言わせれば、先進諸国においては、(従って、現在の先進国以外の諸国、諸地域においても早晩、)神話に立脚していて、人々が「属する」集団主義的な宗教は消滅するだろう、ということです。
しかし、我々は、神話に立脚していない・・すなわち、無「神」論で、かつ創世「神」話等も持たない・・宗教であり、かつ本来的には非集団主義的な宗教が存在することを知っています。
仏教がそうです。
その仏教における行の中核が座禅(瞑想=meditation)です。
座禅の効用については、以前にも取り上げたことがありましたが、座禅が、内因性脳神経系と外因性脳神経系の同時活性化やテロメールの保護をもたらすことが最近分かったのです。
3 内因性脳神経系と外因性脳神経系の同時活性化
脳は、内因性脳神経系(intrinsic(default) network)と外因性脳神経系(extrinsic network)から成り立っています。
後者は、人がスポーツをしたり、コーヒーを注いだりといった外部の作業に集中している時に活性化します。
他方、前者は、自分自身や自分の感情に関することを考えている時に活動します。
この両者が同時に活動的になることはほとんどありません。
一方が活発になればもう一方は非活発になるわけです。
ところが、仏教の僧のうち、瞑想(座禅)に習熟した者は、瞑想中に両者を同時に活性化する能力を持っていることが、最近の研究で分かりました。
その結果、彼らは外界と自分自身とが一体になる感覚を経験するようになっているのではないかと考えられています。
内因性脳神経系は、中心的な脳神経系であるにもかかわらず余り研究が進んでいませんが、鬱や自閉症やアルツハイマーといった精神疾患は、この神経系を攻撃している、と考えられるに至っています。
http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-12661646
(4月25日アクセス)
4 テロメールの保護
染色体の両端を保護しているのがテロメール(telomere)ですが、これが短くなると心臓疾患、糖尿病、肥満、鬱、や骨関節炎(osteoarthritis)、骨粗鬆症(osteoporosis)といった退行性(degenerative)疾病を発症するリスクが大きくなります。
さて、脳が外界において脅威を感知すると、体を活動的にする信号を各部位に送ります。
その脅威と戦うか、その脅威から逃げるためです。
そして、心臓の鼓動は速くなり、息遣いは荒くなり、瞳孔は広がります。
消化は遅くなり、次の動きのための燃料として脂肪やブドウ糖が血中に放出されます。
更に、炎症反応(inflammatory response)が免疫系で引き起こされます。
以上をストレス反応と呼びます。
これらの反応は、敵から逃げたり感染と戦うことを助けてくれるわけですが、それは同時に体の組織に損傷を与えます。
過去においては、ストレス反応が引き起こされることには、それによって生じる組織の損傷を上回る意義がありました。
しかし、現代においては、借金、仕事のプレッシャー、社会的地位といった長期的脅威によって、このようなストレス反応が、継続的に引き起こされてしまっています。
恒常的ストレスはひどい効果をもたらします。
それは、糖尿病、癌、心臓疾患、鬱、そして死といった数多の疾病に罹るリスクを高めてしまうのです。
座禅(瞑想)は、恒常的ストレスを減らしてテロメールを保護し、それが短くなるのを防止するところの、極めて効果的な方法であるらしいことが、最近の研究で判明しました。
とはいえ、座禅以外にも方法はあります。
運動をすること、ストレス管理プログラムを活用すること、感情を吐露する日記を書くこと、等がそうです。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2011/apr/24/meditation-ageing-shamatha-project
(4月24日アクセス)
5 コメント
以上を、私の言葉に置き換えるとこういうことになりそうです。
人間は、狩猟採集時代に適合的な遺伝子しか基本的に持っていないため、農業社会やその後の工業社会には不適合な状態になっており、(かねてより指摘しているように、非人間主義的に行動しがちになっているほか、)長命化ともあいまって、様々な慢性的な精神的肉体的疾患に悩まされるに至っている。
座禅とは、狩猟採集時代の自分、つまりは本来の自分、換言すれば、外界(自然及び他人)と一体であった自分、恒常的ストレスと無縁であった自分、を再発見するための営みであり、座禅に習熟すれば、(人間主義的に行動するようになるとともに、)精神的肉体的疾患が軽減されたり精神的肉体的疾患に罹りにくくなる。
仏教は、何とまあ良い意味での現世利益を人にもたらしてくれる宗教であることよ、と思いますね。
私は座禅こそやっていませんが、「感情を吐露する日記を書くこと」を、言いたい放題のコラムを(しかも読者との交流付きで)毎日書き綴ることで行っている、と言えそうであり、おかげさまで、私は、恒常的ストレスとは無縁の人間主義的な生活を送っている、ということになるのかもしれません。
そういう意味では、私は、狩猟採集時代(縄文時代)のメンタリティーを抱き続け、仏教を含むあらゆる世界宗教と、本質的な関わりを持たないまま、従って座禅ももちろんやったことがないまま、恒常的ストレスとは無縁の人生を送ってきたところの、日本の大部分の衆生の典型的な一人である、と言えそうです。
日進月歩の人間科学(続X19)
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