太田述正コラム#4709(2011.4.26)
<日進月歩の人間科学(続X20)>(2011.7.17公開)
1 雑談的プロローグ
 本日、新しく買ったパソコンと今まで使っていた卓上・携帯両パソコンとをつないで、データを新しいパソコンに移したり、また、新しいパソコン上から、今まで使っていたパソコンにつながれているプリンターで文書を印刷したり、にすべて成功したのはいいのですが、やっぱり一筋縄で行かなかったために疲れたのと時間もなくなったことから、昨日の仏教の話の続編的な話題を、軽く提供させていただくことにしました。
 この際、ついでにもう一つご報告を。
 本日、未公開コラムの公開は、#4534(2011.2.1)であったところ、既に非公開配信から3か月を切って公開している状況です。
 一部のコラム・・時事性のあるもの、映画評論、及び表記のシリーズ・・を1か月目で公開することとしていたのですが、このままでは、早晩、全非公開コラムを1か月で公開することになってしまい、有料読者と無料読者のメリットの差が、一層なくなってしまいます。
 そこで、明日以降は、1か月目での公開は行わないことにしました。
 
2 自殺と幸福
 家族のための充実した休暇制度、低い犯罪率、無料の医療、豊かな経済・・ただし、高負担だが・・のスカンディナヴィア諸国の人々は世界で最も平均的幸福度が高いことはよく知られています。
 ところが、パラドックスめいていますが、これら諸国では自殺率が極めて高いのです。 このような平均的幸福度と自殺率の正の相関関係は、米国の各州を比較した場合にも見られるところです。
 さて、経済的不平等度が大きく、富者と貧者との格差が大きければ大きいほど、平均的幸福度は低く、犯罪率は高くなることが分かっています。
 平均寿命も経済的不平等度によって決まります。
 つまり、不平等度が大きければ、富者も貧者も、ともに平均寿命は短く、健康は悪くなります。もちろん、貧者の方が甚だしくですが・・。
 これは、社会的ヒエラルキーにおける位置によって引き起こされるストレスとリンクしている、という疑いが持たれています。
 ヒヒにおいてさえ、低い地位の個体はストレス・ホルモンの分泌が多く、健康を害しがちである一方で、より平等な状況をつくって地位による紛争を減少させると、このような傾向が少なくなることが分かっています。
 また、英国の官僚たちを対象とした研究で、ストレスに関連した健康問題であるところの、心臓疾患、肥満、そして脳卒中等は、ヒエラルキーと直接リンクしており、地位が低ければ低いほど増加することも分かっています(コラム#817)。
 
 そこで、自殺の話に戻りましょう。
 不平等度が小さい社会で自殺率が高いということから、これは社会的地位の比較ではなく、幸福度の比較が原因ではないかという仮説が唱えられています。
 非常に不幸だと思っている人は、近しい人や隣人が自分よりも幸せのように見えた場合、一層不幸だと思うようになり、鬱になる、というのです。
 いずれにせよ、経済的不平等が減ると、平均的幸福度が高まるけれど、自殺率は増えてしまう、ということです。
http://healthland.time.com/2011/04/25/why-the-happiest-states-have-the-highest-suicide-rates/
(4月26日アクセス)
 なお、世界で最も自殺率の高いのはリトアニアですし、二番目に高いのはロシアである
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7340.html
ところ、ロシアの経済的不平等度は大きいことから、以上は、先進社会(平均所得が高い社会)での話である、と考えるべきではないでしょうか。
3 エピローグ
 本件についても、私のかなり大胆な仮説を交えつつ、あえて私の言葉に置き換えてみることにしましょう。
 農業社会の到来によって、人間の間でヒエラルキーや経済的な不平等が生じ、(平均的な栄養状態が向上し、平均寿命が延びたことともあいまって、)恒常的ストレス(コラム#4707)に悩まされる者が大勢出てきたわけです。
 平均的幸福度は、狩猟採集時代に比べると、むしろ減少した、と言ってよさそうです。
 やがて、工業社会が到来すると、生産力が農業社会に比べても飛躍的に高まったため、絶対的貧困が解消されただけでなく、社会によっては所得再分配を通じて、経済的不平等度を減らすことにも成功しました。
 そうなると、平均的な恒常的ストレスも、したがって平均的幸福度も、高くなって行きます。
 しかし、それは、必ずしも一人一人の幸福度の平等化を意味しません。
 問題は、仏教以外の世界宗教や、かかる世界宗教の工業社会における変形物であるところのイデオロギーには、狩猟採集社会の時代に適合的であった人間主義的遺伝子を持ち越してきている我々人間に対し、人間主義を再活性化させようとする要素と、それに相反する、農業社会(及び工業社会)におけるヒエラルキーや経済的不平等を正当化しようとする要素、の両者が混在していて、前者が後者によって水で薄められているところにあるように思います。
 これらの世界宗教やイデオロギーから解放されていない人間にあっては、経済的不平等度が減れば減るほど、ささいな経済的不平等や、経済ならぬ、権力や権威の面での不平等が気になり、経済的・権力的・権威的不平等の底辺にいると感じた人に、著しく高い恒常的ストレスが生じ、その人を自殺へと導いてしまうのではないか、という気が私にはするのです。
 
 日本も、自殺率が高い社会(コラム#省略)ですが、経済的不平等度が依然比較的少ない先進社会ではあっても、世界宗教やイデオロギーから自由な極めて人間主義的な社会であることから、一体どうしてそうなのか、不思議です。
 ちなみに、日本国内でも、都道府県を自殺率の高い順に並べると、秋田、青森、岩手、島根、新潟、宮崎、山形、高知、和歌山、佐賀となり、
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7340.html 前掲
東北地方を中心とするところの、最も人間主義的な地域において、自殺率が高いのです。
 一応の説明はできそうですが、さほど自信がないので、今それを申し上げるのは控えておきましょう。
 皆さんのご意見もお聞かせください。