太田述正コラム#4736(2011.5.9)
<ヒューム随想(その2)>(2011.7.30公開)
 それは、まだ20代の、魅力的で陽気で極めて知的な女性、ナンシー・オルド(Nancy Orde)だった。
 彼女は、オルド・スコットランド国家財務裁判所首席裁判官(Chief Baron of the Scottish Exchequer)
http://www.websters-online-dictionary.org/definitions/Exchequer?cx=partner-pub-0939450753529744%3Av0qd01-tdlq&cof=FORID%3A9&ie=UTF-8&q=Exchequer&sa=Search#922
の娘でした。
 ヒュームの友人が彼女について、「私が知る限り、もっとも感じがよくてたしなみの良い女性の一人だ」と評しています。
 彼女は、茶目っ気あるユーモアのセンスでも有名であり、ある晩、ヒュームの自宅の軒に「聖デーヴィッド通り」とチョークで書き記したことがあります。
 今、それがこの通りの名前になっています。
 2人がどんな親しい関係にあったかは、ヒュームが新しい自宅の壁紙を選ぶ際に、彼女が助言をしたことからもうかがえます。
 二人は婚約しているという噂さえ、パリのサロンに集う人々の間でささやかれていました。
 死の直前、ヒュームは、遺言書に追加条項を入れたのですが、その中に、「かくも気立ての優しくたしなみの良い人物<(ナンシー)>に対する私の友情と愛情(Attachment)を記念する指輪を<この人物が>買うための10ギニー」の贈与が含まれていました。
 (以上、特に断っていない限り、Cによる)
 ヒュームは、年増の悪女たるフランス人と純な乙女たるスコットランド人という、二人の女性に強い思いを寄せつつ、その65年の生涯を閉じたわけです。
 
3 人間主義的思想
 以前(コラム#517で)、ヒュームやアダム・スミスらを、ホッブス、ロック、マンデヴィルらの原始論的個人主義者とは対蹠的な存在である、とする米国人ヒンメルファルブの指摘をご紹介したことがあります。
 この際、このことを、ヒュームが人間主義者であった、という観点から改めて確認したいと思います。
 道徳性(morality)について、オランダ系イギリス人のマンデヴィル(Mandeville)(コラム#517)のようにそんなものは幻想であるとしたり、イギリス人のホッブス(Hobbes)のように、それは利己心(considerations of self-interest)に帰着させることができるとする利己的学派(the selfish schools)に対し、ヒュームは、そのような考えが誤っていることを、社会的諸徳、慈悲、正義について正確に叙述することによって明らかにすることができる、と主張しました。
 ヒュームの2番目の『調査』(’An Enquiry Concerning the Principles of Morals'(1751))における慈悲(benevolence)は、『論』(’A Treatise of Human Nature'(1739-40))における同情(sympathy)とほとんど同じような役割を果たしています。
 ヒュームは、しばしば、慈悲は、我々の「本性」ないしは「社会的同情」の顕現である、と記しています。
 この二つの論文における、ヒュームの中心的論点は、我々の中に存在するだけでなく、他人の中にも存在することが見て取れるところの「人間性志向の感情(feeling for humanity)」を経験することから、「利己的仮説」は「共通感情と我々の極めて非偏見的諸観念のいずれにも反する」ということだったのです。
 (以上、特に断っていない限りCによる。)
 以前(コラム#519で)、原始論的個人主義を批判した英国人の大部分は「イギリス人でなくスコットランド人である・・・ことは興味深い。」と記したところですが、それは、「イギリスの懐に飛び込んだことによってスコットランドの知識人は、イギリス人が行わなかったこと、すなわちアングロサクソン(イギリス)文明の中核部分の理論化、つまりは普遍化に成功」したからであり、その代表格として、「イギリス経験論を理論化したヒューム(David Hume。1711~76年)(コラム#1257、1259、1699)、イギリス資本主義を理論化したアダム・スミス(Adam Smith。1723~90年)<(コラム#4174、4176)>の二人を挙げ」た次第です。(コラム#2279)
 ヒュームは、個人主義的なイギリス社会に求心力を与えている要素の一つがその人間主義にあることを踏まえつつ、イギリス人の物の考え方を哲学化することに成功したのに対し、スミスは、このヒュームの人間主義を重視する考え方を基本的に踏襲しつつ・・スミスもまた、同情(sympathy)に注目した・・
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Theory_of_Moral_Sentiments
あえて、イギリスの個人主義社会性、すなわち資本主義社会性に注目し、その科学的描写を成功裏に行った、というのが私の所見です。
4 終わりに
 ヒュームと同様、スミスもまた、独身で通し、子供がいなかったことは偶然とは思えません。
 実は、スミスは、情熱(passion。passionには「情欲」が含意されている)
http://ejje.weblio.jp/content/passion
があらゆることを突き動かしている、としている点でもヒュームを踏襲しています。(コラム#4176)
 となれば、スミスが独身を通したのもまた、ヒューム同様、自分が対等と思えるような女性に出会うことがなかったからではないか、と想像をたくましくしたくなります。
 スミスの生涯に、母親以外に女性の痕跡は皆無であるとされていますが、実際のところは、スミスも、ヒューム以上に女性に翻弄され続けたのではないのでしょうか。
 そして、その苦渋の恥ずかしい記録を消し去るためにこそ、彼は遺言で友人に彼の手紙や草稿類すべての破却を依頼したのではないか、とさえ私は思うのです。
 死を間近にして、一人の女性には永別の手紙を送り、もう一人の女性には遺言でプレゼントを贈ることができたヒュームは、スミスよりは幸せな生涯を送った、と言えそうですね。
(完)