太田述正コラム#0031(2002.5.7)
<興味深い二つの記事>
本日は、余り皆さんの目に触れていないであろう二つの記事(英ガーディアンと台湾タイムス(英字紙)。いずれも5月6日にアクセス)から得た情報を私見を交えてご紹介します。
1 ガーディアンの記事
2002年4月7日付の私のコラム(#27)の中で、フォークランド戦争について、「最近になって明かされたことですが、当時、米国は自分の裏庭で起きたことであるだけに、優柔不断でイギリスをロクに助けてはくれず、イギリスは単独で、はるかに本国から戦場に近かったアルゼンチンの強力な軍隊と戦ったのです。」と述べたところですが、このくだりは訂正を要します。
ガーディアン(http://www.guardian.co.uk/falklands/story/0,11707,710665,00.html)によれば、アルゼンチンがフォークランドに侵攻した1982年当時のアルゼンチンの潜在敵国であった隣国チリのピノチェト軍事独裁政権は、アルゼンチンが南大西洋における最良の港をフォークランドにおいて取得することによって両国の軍事バランスがくつがえることに強い危機感を抱きました。
そこで、チリはイギリスに手を差し伸べ、両国はフォークランド戦争の全期間を通じ、秘密裏に軍事協力を推進することとしたのだそうです。チリが得たアルゼンチンの軍事通信傍受情報は全てイギリスに提供されましたし、チリ国内のフォークランドに近い飛行場や駐屯地は丸ごとイギリス軍の使用に供せられました。例えば、イギリス空軍の高々度偵察機キャンベラが、秘密裏に何機もイギリス本国から飛び立ち、中米に位置するベリーズ(旧英領ホンデュラス)に一旦降りたってチリ空軍仕様に塗り替えられ、再び飛び立ってチリのプンタアレナス空軍基地に到着、爾後イギリス人乗組員によりアルゼンチンの軍事施設のスパイ偵察飛行に従事したといいます。(フォークランド戦争終了後は3-6機のキャンベラがそのままアルゼンチンに供与されました。)
敵の敵は味方といいますが、当時のサッチャー政権を含むイギリスの政権はこの時の恩義に報いるため、上記キャンベラを始め、大量の兵器をチリに供与し続けるとともに、国連等におけるチリ独裁政権・・その人権侵害ぶりで鳴り響いていました・・への批判に水をかける役割を演じ続けたようです。(そう言えば、引退したピノチェトはイギリスで病気療養したのでしたね。)
しかし、価値観を共有しない盟友関係には自ずから限界があります。フォークランド戦争20周年記念の今年、このような機密が明るみに出た背景には、時間が経過したこともあり、イギリス政府において、この盟友関係にそろそろ幕を引きたいという思惑があったものと思われます。
2 台湾タイムズの記事
「台湾人に生まれた悲哀」を語ったことがある台湾の李登輝前総統は、総統職を辞してからも精力的に活動を続けていることで知られていますが、台湾タイムズの報道
(http://www.taipeitimes.com/news/2002/05/06/story/0000134816)によれば、彼は??「中国政府や米国政府が唱える一つの中国論を誤りである」と批判し、??「中国(本土の)人は利己主義者ばかりであり、カネのことしか考えず、ウソを平気でつく」と断言し、??「台湾の国民党政権のような専制体制と同様中国の共産党政権の専制体制も必ず滅びる」と述べたとのことです。
私は、台湾の国民党政権で総統まで務めた李さんのかくも過激な発言に心から敬意を表するとともに、この三つの見解全てに共感を覚えます。しかし、現時点では私自身が、いまだ十分裏付けのある形でこの三点の論旨を展開するだけの用意はありません。今後の勉強の結果を待っていただきたいと思います。
いずれにせよ、このような李さんの考え方が今後とも台湾において大勢を占めるかどうかは、必ずしも予断を許さないと思います。??の見解についてすら、高度経済成長を続ける中国と台湾との経済相互依存関係の急速な進展に加えて最近の台湾経済の不調もあり、台湾世論には変化の兆しが見られますし、李さんのように初等中等教育はもとより、大学教育まで日本人として受けた人とは異なり、国民党政権下で中国人としての教育、就中反日教育を受けて育った台湾の大部分の人々(民進党から出た陳水扁現台湾総統もそうです)からすれば、??のような見解に組みすることには抵抗感があるのではないでしょうか。
確かに李さんが??で言うように、台湾の専制体制たる国民党政権は倒れたとはいえ、中国の共産党政権の帰趨とともに、台湾自身の今後についても目が離せないところです。