太田述正コラム#4834(2011.6.27)
<先の大戦における蛮行(その5)>(2011.9.17公開)
 (8)ソ連(独ソの共通性)
 「強制収容所(Concentration camp)は独ソ両国で制度化された。最初はロシアで、次いではるかに小さい規模でヒットラーのドイツで・・。とはいえ、両者の関連は明らかだ。
 私(書評子)にとっては、ドイツの計画者達がソ連侵攻前にユダヤ人をスターリンの北極圏の収容所(Gulag)に送り込んで働かせ/殺すアイディアをもてあそんでいたという事実は初耳だった。
 そこでは、<ナチスドイツの強制収容所の門の上に掲げられていた>労働は自由にする(Arbeit Macht Frei)<という標語>に相当するところの、門の上に掲げられていた標語は、「労働は、名誉、勇気、そしてヒロイズムに関わる」だった。
 スタイルといい、冷笑癖といい、いや少なくとも簡明さ(concision)において、これはナチスの勝ちだ。
 SSの殺戮男達の発した、脳漿と頭蓋骨の断片をぶっかけられることに対する不満についてのバーレイの記述は、ロシアのNKVDの殺人者達が同じ不平を言った時に埋め合わせとして追加のウオッカとオーデコロンを与えられた話を思い起こさせた。・・・
 彼の結論は正常(sane)かつ単純なものだ。
 諸個人を不埒なる集団へと矮小化し、人類の諸問題の解決方法として彼らを絶滅させようとするのは、それが毛、ポルポト、スターリン、あるいはヒットラーのいずれによって断行されようと、究極の罪であるということだ、以上で議論終わり、と・・。」(C)
 「バーレイは、人種がゆえにユダヤ人を殺害したナチスとその階級と国籍がゆえにカティン(Katyn)でポーランドの将校団を殺害したソ連の共産主義者達との間で、当然のことながら、ほとんど道徳的差異を見出さない。
 それならどうして、つい最近まで、我々はナチスの罪を非難しつつも、共産主義者達にはあまり何も言わなかったのだろうか。
 バーレイは、恐らくはヒットラーが「我々のモンスター」だったと示唆しているのだろう。
 我々の隣に住んでいると想像できる人々を犠牲者にしたところの、我々にとてよく分かる狂信者であると。
 それに対して、スターリンが、かくも身の毛のよだつような天文学的多数を殺害したところの、富農(Kulak)、ドン河流域のコサック(Don Cossack)、その他の人種的そして社会的集団は、別の惑星に住み、かつ死んだ<連中な>のだ。」(K)
 バーレイ自身もそのような書きぶりをしているのかもしれませんが、この書評子が、ソ連による蛮行に言及する時に、常にナチスドイツのそれと対でとりあげることで、前者のインパクトを弱めようと図っているのには失笑を禁じえません。
 私に言わせれば、ナチスドイツ並み、あるいはそれ以上にひどい蛮行を、平時を含め、長期にわたって継続したソ連と自分達の国(英国)と米国とが同盟を結んで先の大戦を戦ったことを心理的に免責するために、英米において、つい最近までソ連の蛮行を矮小化することに汲々としてきたということにほかならないのであって、さすがにそうはいかなくなった最近においても、なお、ソ連の蛮行を、英米の指導層の中で、この書評子のように、直視することができない者がいる、ということなのです。
 (9)総括
 「英語による第二次世界大戦の著作の大部分はそうだが、バーレイの歴史書も、西欧、日本、及び東部戦線<だけ>に焦点をあてている。
 ナチが占領した欧州に関する章は、ほとんどフランス<についての記述>に終始している。
 <ところが、>バルカン半島ないしはそれより更に東部における実情については取り扱われていない。」(E)
 日本についても、質量ともにまともに取り扱っているようには思えません。
 「何よりも、この本は、2年前に米国の小説家のニコルソン・ベーカー(Nicholson Baker)が、彼の本『Human Smoke』<(コラム#2419以下、4206)>で行った主張・・連合国と枢軸国はどちらも同程度に悪かった・・を完璧なまでに粉砕していると言えよう。
 バーレイが示すように、連合国もいくつかひどいことをやってはいる。
 そのうちのいくつかは、例えば、ハンブルグの火炎爆撃であり、広島と長崎への原爆投下だが、これらを平静に熟慮することは苦痛だ。
 しかし、戦争においては、ヨーク大司教のサイリル・ガルベット(Cyril Garbett)が1943年に書いたように、「二つの悪のうちより小さい悪を選択することが行われなければならない」のだ。
 そして、戦争好きのドイツを爆撃すること、そしてそれによって何百人もの奴隷状態に貶められている人々を救いだす(deliver)ことは、平和を希求する同胞達<(英国人達)>の命を犠牲にすることに比べて、より小さい悪なのだ。」(F)
 ニコルソン・ベーカーの本に弱点があったとすれば、それはナチスドイツと日本とを一括りにしてしまったことでしょう。
 日本は、むしろ小悪の英米と一括りにして、大悪の独ソと対置させなければならなかったのです。
 また、英米は日本を叩くことによって、何千万人もの支那等の人々をスターリン主義下の奴隷状態へと貶めることになったわけですが、バーレイはそのことを知っていてあえて書かなかったのか知らなかったのか、どちらにせよ、ひどい話です。
 「しかし、バーレイの分析の強みは、連合国の残虐行為について十分承知しつつも、戦火を交えていた両者の基本的な道徳的違いを見失うことが決してない点だ。
 この本が、暴力の修辞に酔いしれ、しかし基本的な人間の品位に完全に盲目であったところの、きどったプロト・ファシスト詩人たるガブリエル・ダヌンチオ(Gabriele d’Annunzio)<(注5)>による、1919年のフィウメ(Fiume)(現在のクロアティアのリジェカ(Rijeka))の占領から始まるのは偶然ではない。
 (注5)1863~1938年。イタリアの詩人、ジャーナリスト、小説家、戯作者、そして向こう見ず(daredevil)。パリ平和会議で、イタリア系が多数を占めていたフィウメがイタリア領とされなかったことに怒り、イタリア人非正規部隊を率いて同市を占領し、ファシスト的統治を行ったが、最終的に降伏した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gabriele_d’Annunzio
 何度も何度も、バーレイは、殺戮を愛していたがゆえに戦った者達と、他の選択肢を尽くしたためにやむなく戦っただけの者達との本質的な違いを我々に思い起こさせる。
 だから、一方で、彼は、クラカウ(Krakow)のワウェル(Wawel)城に引っ越した時、何ダースもの制服と120着のスーツを調達し、彼がどこを歩く時でも赤い絨毯を敷くことに固執し、巨額の現金をポーランドの諸基金から盗んで貯め込んだという、ナチ占領下のポーランドの総督であったハンス・フランク(Hans Frank)<(注6)>を紹介する。
 (注6)1900~46年。ドイツの弁護士。ヒットラーの法務関係の秘書を務め出世して行った。先の大戦中、ポーランド領中ドイツに編入されなかった残余の総督を務める。ニュルンベルグ裁判で戦争犯罪と人道に対する罪により死刑に処せられる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Frank
 それから、他方で、我々は、その最大の喜びが鳥の観察であって、その道徳的姿勢(approach)は、静かで素朴なキリスト教信仰に立脚していたところの、アラン・ブルック(Alan Brooke)<(注7)>元帥のような人々に遭遇させられる。
 (注7)Sir Alan Francis Brooke, 1st Viscount Alanbrooke。1883~1963年。彼も英国防大学の私の先輩。先の大戦中、1941年からは英陸軍参謀長(Chief of the Imperial General Staff) 、1942年からは英各軍参謀長委員会首席(Chiefs of Staff Committee)を務める。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Brooke,_1st_Viscount_Alanbrooke
 ブルックはもちろん戦士だった。
 しかし、帝国日本やナチスドイツの屠殺者達とは違って、彼は決して戦争の凄まじいコストを忘れることはなかった。
 「「汝の隣人を我々自身と同様に愛せよ」という根本的な法へと次第に我々を教育するために、私の頭の中に苦痛と苦悩が存在しなければならない」と彼は私的に記した。・・・
 どうせ、バーレイは、以下の話なども知らないのでしょう。
 (そもそも、彼のキリスト教フェチシズムは困ったものです。)
 「支那事変<において、>上海派遣軍司令官として上海に派遣された<松井石根陸軍大将(コラム#3536)は、>・・・昭和13年3月に帰国。静岡県熱海市伊豆山に滞在中に、今回の日中両兵士の犠牲は、アジアのほとんどの欧米諸国植民地がいずれ独立するための犠牲であると位置づけ、その供養について考えていた。滞在先の宿の主人に相談し、昭和15年(1940年)2月、日中戦争(支那事変)における日中双方の犠牲者を弔う為、静岡県熱海市伊豆山に興亜観音を建立し、自らは麓に庵を建ててそこに住み込み、毎朝観音経をあげていた。・・・<戦後、>「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(BC級戦犯)を受け、処刑された。現在は靖国神社に合祀されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%9F%B3%E6%A0%B9
 バーレイは第二次世界大戦が<連合国にとって>正戦(just quarrel)であったことに何の疑いも我々に残さない。
 それと同時に、彼は、現代戦争の恐怖に関しても何の幻想も我々に残さない。」(F)
 ソ連と同盟したこと、日本と戦ったことに関しては正戦ではありえません。
 
(続く)