太田述正コラム#0037(2002.5.31)
<北京雑感(続)>

北京では、駐日経験が長く、最後は第三世界の国の大使をつとめた方のご自宅を17日の昼下がりに訪問した。
中国人の私邸を訪問するのは初めての経験だったが、(当然のことながら、)西洋式に靴のまま中に請じ入れられた。ご本人は80歳を越えるお年にもかかわらず、矍鑠としておられ、長時間にわたって日中関係についてのお話をうかがうことができた。「北京と上海を結ぶ新幹線計画に日本が関与する余地はない。中国は既に独自技術で時速240kmを出せているからだ。」と断言されたのが、とりわけ印象に残っている。
様々な名誉職におつきなっていることや、日中関係の最新情勢を(恐らく政府から提供されて、)把握されていることから、第一線を退いた政府関係者がいかに大事にされているかが推察できた。
奥様は、時々お茶や果物を持ってこられる以外は、別室に退いておられた。このあたりは日本人にそっくりだ。
話が一段落したところで、ご老体自ら、自宅の中の全室を案内してくださった。日中交流に関わる思い出の本、写真、書等も拝見した。
ここは北京市内の住宅街に位置するマンション群(周囲は塀で囲ってあり、門にはガードマンが立っている)の中の一棟の二階で、間取りは3LDK。お風呂はシャワーだけ。奥様と娘さんとの三人住まいだ。大使までつとめた人の住まいとしては、日本人の感覚からするとつつましい感じだ。前の住居を売って、郊外の大きな家にするかここにするか迷ったが、こちらにしたと言っておられた。

 北京では、エリート女性が活躍している様子もうかがえた。男性が女性をたてることについては、日本人ももっともっと努力しなければなるまい。
 共産党のエライさんは女性だったし、17日の夜には元駐日武官(たまたま不在)の奥さんが我々を接待するつもりでおみやげを沢山持ってホテルにやってきた。この人は大学で哲学の先生をやっているという。(気を遣った私の同行者が、結局ホテルでの食事代を支払った。)
 また、18日の夜には、北京の総合研究所(シンクタンク)の部長さん等と会食したが、彼は経済を専門とする同僚の女性研究員を連れてきていた。(ちなみに、部長さんの専門分野は政治だという。)最終日の午前中、初日に会食の席を共にした日本研究者が再びホテルに我々をたずねて来たが、彼の前の勤務先である新華社のかつての同僚の女性を連れてきていた。この女性は、日本語を勉強したいらしい。

 今回の北京訪問の極め付きは、18日(土)昼の中国側招待による北京ダック専門店「全衆徳」での会食だ。宮殿のような建物に度肝を抜かれたが、二階の廊下には中国首脳と海外からのVIPが会食している写真が沢山飾られている。(店は三カ所にあるので、ここでのものばかりとは限らないが・・。)毛沢東、周恩来、キッシンジャー、ブトロス・ガリ等と並んで、我が海部首相や藤縄統幕議長(肩書きはいずれも当時)の写真も目にした。
 宴席は広々とした個室で、参会者は全部で5名しかおらず、王侯貴族になった気分でダック尽くしに下鼓を打った。サソリの唐揚げ(?)にも挑戦したが、見た目と舌触りが全く異なり、何と言うことなく胃袋に収まった。

 中華料理店と言えば、このほか、同じ系列の浙江料理の店「北京孔乙己酒楼」の旧店と(新)本店をそれぞれ16日夜(当方招待)と18日夜(中国側招待)の会食の場として用いた。安くてうまいと聞いていたからだ。浙江は魯迅の出身地であり、魯迅もこの店の常連だったらしい。旧店の入り口を入ったところには、ガラスケースに魯迅の著作集が飾られていた。味付けは日本料理を思わせるあっさりさで、今までに食べたことがない中華の味だ。どちらの店も、ウェートレス達が底抜けに明るく、溌剌としていた。規則なのか、彼女たちは一切チップを受け取ろうとしなかった。

http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20020813k0000m030116000c.html(新幹線)