太田述正コラム#5005(2011.9.21)
<皆さんとディスカッション(続x1330)>
<太田>(ツイッターより)
リビア:(1)南部のサバの近郊の町が反体制派によって「解放」された時の動画。英語をしゃべれる人と日本車の多さが印象的。
http://edition.cnn.com/video/#/video/world/2011/09/19/wedeman-libya-drive-by-liberation.cnn?&hpt=hp_c2
(2)ベンガジでカダフィの風刺画を描き続ける青年とその画が紹介されている。
http://www.bbc.co.uk/news/in-pictures-14883637
非感染性疾患(成人病?)の各国比較がなされている。カウチポテト度や喫煙率等の比較もなされている。
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/99c6fb2c-e366-11e0-8f47-00144feabdc0.html#axzz1YXhTTeMk
日本人がもっと運動をしタバコを止めたら更に寿命が延びること間違いなし。
<ζΞΞζ>(「たった一人の反乱」より)
「大阪市の平松邦夫市長は16日、国会内で民主党の平野博文国対委員長と面談し、11月の大阪市長選に向け今月19日に立候補表明する意向を伝え、支援を要請した。大阪府の橋下徹知事が率いる大阪維新の会に対抗するため、「政党の枠を超えて幅広い勢力の結集が必要だ」とする平松市長の姿勢に平野氏は理解を示し、「がんばって」とエールを送った。」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110917/lcl11091700230001-n1.htm
<太田>
で?
それでは、その他の記事の紹介です。
「・・・政権を握る吉田は、岸の牙城であった商工省の大改革に着手する。懐刀の白洲次郎を、商工省の外局の、汚職はびこる貿易庁へ長官として送り込んだのだ。
海外経験豊かな白洲は、常々「日本を貿易立国に変えよう」と唱えていた。従来の国内産業育成を主眼とする商工省を潰し、「貿易省」に改組しようと考えた。・・・
49年5月、「通商産業省(経産省の前身)」が発足する。「日本株式会社」の司令塔の誕生である。貿易を通商と言い換えてはいるが、白洲の執念がこもった新省の設立であった。・・・
→吉田茂は、商工省を通商産業省に改編し、外務省の植民地にして、日本の産業政策を吉田ドクトリンで染め上げようとしたわけです。(太田)
中曽根は、<米国の日本再軍備政策>の流れに乗った。51年1月、対日講和交渉で来日したダレス大使に「建白書」を差し出す。その文書で自衛軍の編成、再武装で足りない分の米国からの援助、最新鋭兵器の補給貸与、旧軍人の追放解除などを訴える。
そして「原子科学を含めて科学研究の自由(原子力研究の解禁)と民間航空の復活を日本に許されたいこと」とつけ加えた。翌52年4月、講和発効で原子力研究は解禁された。・・・
53年12月8日、アイゼンハワー米大統領は国連総会で「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」の演説を行った。アイゼンハワーは、核軍縮を唱え、原子力の平和利用のために国際原子力機関(IAEA)をつくろうと世界に呼びかける。・・・<この>演説は、米国の核政策の大転換を告げるものだった。従来の独占、秘密主義から原子力貿易の解禁、民間企業への門戸開放へと切り替えたのだ。・・・
翌54年3月、中曽根は、改進党の同僚議員と国会に「原子力予算案」をいきなり提出。予算案は、成立した。・・・
中曽根たちの原子力予算案の提案趣旨説明<の中で、>・・・改進党の小山倉之助は堂々と語っている。
「……MSA(米国の対外援助統括本部)の援助に対して、米国の旧式な兵器を貸与されることを避けるためにも、新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110916/222663/?top_updt
→この結果、産業政策の一部・・ただし、原子力と宇宙というう軍事安全保障の根幹に関わるという意味で重要な一部等・・を所管する科学技術庁が設置される運びとなった。
吉田ドクトリンで染め上っていない官庁が生誕したわけだ。↓
「1956年・・・5月19日、総理府の外局として科学技術庁・・・を設置。 母体となったのは、総理府原子力局、総理府の附属機関だった科学技術行政協議会事務局、資源調査会事務局である。その他工業技術院からは調査部門が、特許庁からは発明奨励部門が移管された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%BA%81
ところが、2001年に通商産業省は原子力行政を事実上傘下に取り込み、経済産業省となり、ここに、事実上全産業政策の吉田ドクトリン化が達成され、現在に至っている。↓
「科学技術庁<の>・・・実際の科学技術行政の大半は通産省やその他の所管省庁に握られ、科技庁所掌は主に原子力及び宇宙関係行政であった。・・・2001年1月6日、中央省庁再編に伴い、・・・原子力局は内閣府原子力委員会と<経産省>資源エネルギー庁および文部科学省に所掌が分割され、原子力安全局は原子力安全委員会事務局(内閣府)と<経産省>原子力安全・保安院および文部科学省に所掌が分割された。」(ウィキペディア上掲) (太田)
リビアの反体制派は、国連に迎えられ、アフリカ連合によっても政府承認された。↓
・・・the Transitional National Council, the interim government・・・’s leader, Mustafa Abdel Jalil, was warmly welcomed by President Obama and other world leaders who had supported its side in the Libya conflict. The new flag of Libya flew over the United Nations for the first time, and the African Union officially recognized the council as the governing authority in Libya.・・・
http://www.nytimes.com/2011/09/21/world/africa/qaddafi-assails-libya-government-that-replaced-him.html?_r=1&ref=world
イラク政府が、これまでの姿勢を改め、シリアのアサド大統領の退陣を求めた。↓
After months of striking a far friendlier tone toward the government of President Bashar al-Assad of Syria, the Iraqi government has joined a chorus of other nations calling on him to step down.
An adviser to the Iraqi prime minister, Nuri Kamal al-Maliki, said in an interview on Tuesday that the Iraqi government had sent messages to Mr. Assad that said he should resign.
<一党支配と独裁制に反対すると表明。↓>
“We believe that the Syrian people should have more freedom and have the right to experience democracy,” said the adviser, Ali al-Moussawi. “We are against the one-party rule and the dictatorship that hasn’t allowed for the freedom of expression.”
The statements from Mr. Moussawi mark a significant change for Iraq. When the United States and several of its major allies called in August for Mr. Assad to cede power, the Iraqi government appeared to be more in line with Iran, which has supported Mr. Assad. The same day as the American statement, Mr. Maliki gave a speech warning Arab leaders that Israel would benefit the most from the Arab Spring.・・・
http://www.nytimes.com/2011/09/21/world/middleeast/iraq-tells-bashar-al-assad-of-syria-to-step-down.html?ref=world
英副首相で第三党の自由民主党党首のニック・クレッグ(1967年~)(コラム#3965、3991)は、高祖父の一人はドイツ系ロシア人で母親はオランダ人で奥さんは(弁護士で)スペイン人。ケンブリッジ卒後、米ミネソタ大学及びベルギーの欧州大(College of Europe)に留学し、欧州議会議員を経て英下院議員、という経歴
http://en.wikipedia.org/wiki/Nick_Clegg
だが、この程度の「欧州臭さ」でも、かつてはこんな高い地位に就くことなど考えられなかったとさ。
イギリス人は、欧州がどんだけ嫌いかが良く分かるね。↓
・・・Britain’s troubled deputy prime minister, ・・・Liberal Democrat・・・Nick Clegg・・・’s career・・・reflects a maturing of our electorate. It is hard to imagine a man with his continental heritage and eurocrat background reaching such heights a decade or so ago.・・・
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/e0daa284-dfce-11e0-b1db-00144feabdc0.html#axzz1YXhTTeMk
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太田述正コラム#5006(2011.9.21)
<戦間期日本人の対独意識(その10)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x1330)
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