太田述正コラム#4866(2011.7.13)
<米国の戦後における市場原理主義について(その4)>(2011.10.3公開)
ところが、そのノジックが、転向するのです。
「私が一時提議(propound)したリバタリアンの立場は、今や私には著しく不適切(inadequate)であるように思える」とノジックは1980年代末に上梓された論文に記した。
アナーキーの下では、民主主義はどこにも見出すことができない、と。
ノジックは、今では、民主主義の諸制度は、「我々平等な人間の尊厳、我々の自治(autonomy)と自己方向付け(self-direction)の諸力を表現し象徴化している」と信じるに至ったのだ。
アナーキーの下では、最良の政府は最小の政府であって、諸契約の価値中立的な執行者であるわけだが、今では、ノジックは、「我々の人間としての連帯の厳粛なシンボルマーク(marking)として、政府を通じて我々が一緒に行うことを選択するいくつかの事柄があり、それは、かかる公的な流儀で我々が一緒に行う事実によってこそ供せられる(served)のだ」と結論付けているのだ。・・・
一体どうして、1975年のノジックは資本を人的資本と混同したのだろうか。
そして、一体どうして、ノジックは1989年に1975年のノジックを否定(disavow)する必要があると思ったのだろうか。・・・
冷戦酣の1954年には、米国政府は<第二次世界大>戦前に比べて20倍も研究予算を使っていた。・・・
1970年には、500,000人近い、雇用された学者(academics)がいて、彼らの相対的所得は、史上最高に達した。
人が皆、精神的才能(mental talent)<なるもの>を信じている限りにおいては、人的資本と資本とは見分けがつかなかったわけだが、それは、産業資本主義の歴史における最大の市場歪曲(distortion)のおかげであり、また、40年間にわたって、この歪曲のおかげで、<知的>才能<を持った人々>が、資本家達(financiers)や経営者達(CEOs)という、古き「産業の船長達」との競争を強いられることがなかったからなのだ。・・・ この<『アナーキー』の>著者から聞こえてくるところの、リバタリアニズムに好意的な過度の自己満足感(smugness)は、最も非リバタリアン的な措置・・すなわち、戦後における、ノジックが存在しない(nonexistent)と貶(decry)したところの、そのまさに「公共財」の名の下における、高い限界税率と私的富の巨額の移転という社会契約(social compact)・・によって裏うち(underwrite)されていたのだ。・・・
策略(ploy)は、オーウェル<(注16)(コラム#471、508、739、1105、1254、2099、3213、3332、3751、3873、3929、4107、4471、4676)>の意味におけるリバタリアニズムを、ハイエク<(注17)(コラム#1865、3541、4858)>の意味におけるリバタリアニズムと混同する形で行われた・・すなわち、個人に対し、それがそれ以上削減することのできない(irreducible)、道徳的価値の単位(unit )であるという信条を信じ、それを略奪的行動(predation)に資する武器に変えるという形で・・。・・・」
(注16)George Orwell。インド帝国官僚の息子。イートン校卒。本名はEric Arthur Blair。1903~1950年。深い社会正義感覚を持ち、彼自身が、「私が1936年以来書いてきたまともな(serious)作品は、直接的ないし間接的に全体主義に反対し民主社会主義に賛成するためのものだ」と記している。
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Orwell
(注17)Friedrich August Hayek。1899~1992年。オーストリア系英国人。父方も母方も貴族の家系。ウィーン大学卒。「彼は、社会が市場秩序を中心として組織される社会を好んだ。この社会では、国家機関は、(全てではない)ほとんどが、もっぱら自由な個々人が機能する市場にとって必要な(抽象的規則群から成り、具体的諸命令ではないところの)法的秩序の貫徹(enforcement)のために用いられる。・・・ハイエクは、「社会的正義」の観念を強く排斥した。彼は、市場をゲームになぞらえ、「その結果が正義であるとか不正義であるとか呼ばわるのはナンセンス(no point)であるとし<た。>・・・<すなわち、市場での取引の累積>結果として生じる所得分配が正義である<とか不正義である>とか言うことには意味がない、と・・。彼は、政府が所得や資本を再分配するいかなる試みも個人の自由に対する侵害(intrusion)である、とみなした。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Hayek
(以上、特に断っていない限り、下掲のスティーヴン・メトカーフ(Stephen Metcalf)によるコラムによる。)
http://www.slate.com/id/2297019/pagenum/all/
(6月21日アクセス)
4 終わりに
私は、欧州文明が現代的民主主義独裁(スターリニズムとファシズム)と市場原理主義を生み出した、と指摘している(コラム#3754)わけですが、ヘーゲルが前者の、そしてカントが後者の祖、と言えるのかもしれませんね。
このことの検証をどなたかがやっていただけるとありがたい。
いずれにせよ、この欧州由来の市場原理主義が、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるところの・・「歴史的偶然・・・の濃密な塊のおかげで、・・・一種のロック的・・・楽園・・・であって、自由をその最高の・・・価値として掲げることにユニークにも適合的である」(前出)・・米国(コラム#3754)において、戦後、まず、ハイエクら欧州知識層の市場原理主義哲学の焼き直しであるところの、合理的選択哲学の形で、知識層にとっての(冷戦下で共産主義に対抗することを目的とする)公定哲学となったわけです。
次いで、この知識層にとっての公定哲学が、アイン・ランドの小説群を通じて米国の大衆に浸透し、リバタリアニズムなる(米国の例外主義の最後の拠り所たる)全国民的公定哲学へと衣替えして現在に至っているわけです。
最後に一言。
このシリーズを書いていて、戦前から戦後直後にかけて、全体主義にも市場原理主義にも反対した、ジョージ・オーウェルの偉大さを改めて痛感させられましたが、彼が50歳にも満たない年で他界していることを考えると、60歳を過ぎている私としては忸怩たる思いを禁じ得ません。
(完)
米国の戦後における市場原理主義について(その4)
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