太田述正コラム#4868(2011.7.14)
<イギリス大衆の先の大戦観(続)(その1)>(2011.10.4公開)
1 始めに
予告した「イギリス大衆の先の大戦観」正シリーズ(コラム#3493、3495、3497、3499、3501、3503)の続編です。
改めてこのシリーズを読み返してみたら、結構面白かったので、時間のある方は、再読されることをお勧めします。
いずれにせよ、上記正シリーズも、今回の続シリーズも、書評を通じて、アンドリュー・ロバーツ(Andrew Roberts)の ‘The Storm of War’ を俎上に載せていることをお忘れなく。
a:http://www.guardian.co.uk/books/2009/aug/09/storm-of-war-andrew-roberts
(7月13日アクセス)
b:http://www.thedailybeast.com/articles/2011/05/16/the-storm-of-war-by-andrew-roberts-best-history-of-world-war-two.html
(7月13日アクセス)
c:http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304070104576399862101639604.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(7月2日アクセス)
d:http://www.andrew-roberts.net/pages/books/the_storm_of_war.asp
(7月13日アクセス。以下同じ)
e:http://failuremag.com/index.php/book_review/article/the_storm_of_war/
f:http://wavefunction.fieldofscience.com/2011/03/break-from-chemical-blogging-andrew.html
g:http://ezinearticles.com/?The-Storm-of-War:-A-New-History-of-the-Second-World-War-Written-By-Andrew-Roberts&id=6248625
h:http://www.nytimes.com/2011/06/19/books/review/book-review-the-storm-of-war-a-new-history-of-the-second-world-war-by-andrew-roberts.html?pagewanted=all
i:http://www.telegraph.co.uk/comment/columnists/simonheffer/6569395/Is-Andrew-Roberts-really-an-inadequate-historian.html
j:http://www.historytoday.com/andrew-roberts/second-world-war-storm-war
k:http://www.ft.com/intl/cms/s/2/88c7b8b6-82e2-11de-ab4a-00144feabdc0.html#axzz1RyltvzPy
((j)は著者自身による論文。その他は、この本の書評。)
2 総論
(1)プロローグ
ガーディアンの姉妹紙であるオブザーバー(The Observer)の2009年8月9日付書評(正シリーズ執筆の際には参照していない)の末尾に、同年8月16日付の訂正文が載っています。
どういう訂正文か、まずは、誤りが含まれている部分(の翻訳)を読んでいただき、ご自分で考えてみていただければと思います。
「英国で誰かが第二次世界大戦の概史を書いていない瞬間はない、ということに賭けてまず間違いはない。
アンドリュー・ロバーツの最近著は、きしむ音をたてている本棚への輝かしい追加だ。
英国は、本件に関してほとんど独占状態だ。
イタリアのどの本屋でもよいから行ってみよ。
そこには、<イタリアの>アペニン山地(Apennines)での戦いについての出版物が山のようにあるだろう。
ワルシャワでは、同じことが、カティン(Katyn)の森でのソ連によるポーランド軍部隊の殺戮について言える。
ロシアの軍事史家は、スターリングラードとクルスク(Kursk)の戦いについて、毎年絶え間なく本を生産する。
米国の著述家達は、フランクリン・ローズベルト、パットン(Patton)について、そしてチャーチルについてさえ、たゆむことなく書く。
しかし、この国<(=英国)>においてこそ、1939年9月から1945年8月の日本の降伏に至るまでの全球的現象としてのこの戦争についての大部分の書き物が出現してきた。
これには明白な理由がある。
ヒットラーがポーランドに侵攻した時点で、英国とフランスはヒットラーと戦争状態に入った。
一年も経たないうちに、フランスが倒れた。
ソ連が第三帝国<(=ナチスドイツ)>とほとんど同盟関係にある中で、かつまた、米国の国内政治がローズベルトがこの紛争に加わることを妨げている中で、英国はたった一国でドイツ及び日本と戦い続けた。・・・
・・・日本軍は、北太平洋からビルマまでのアジア地域に展開していた<ところ、>日本人達を白人の帝国的統治から解放者として歓迎していたかもしれない植民地の人々を、野蛮に抑圧し搾取した。」(a)
誤りを見つけられなかった人は太田コラムの読者の中にはいらっしゃらないと信じたいですね。
オブザーバー紙の訂正文は次のとおりです。
「1940年にフランスが倒れてから、・・・「英国はたった一国でドイツ及び日本と戦い続けた。」と我々は言ったが、日本が真珠湾に1941年12月に攻撃をかけて米国をこの戦争に引き込むまで、英国は日本に対して宣戦布告をしなかった。」
この書評を書いたロバート・サービス(Robert Service。1947年~)は、英国の歴史家、学者で著述家で現在オックスフォード大学のロシア史教授兼スタンフォード大学フーヴァー研究所フェローです
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Service_(historian)
が、こういう人物ですら、日本に係わる歴史に、かほども無知である・・このミスはケアレスミステイクとは到底言えない・・ことは、衝撃的です。
それに、英国人であるにもかかわらず、日本は真珠湾より早く英領マレー半島を攻撃していたこと(注1)に全く言及していないのも、真珠湾攻撃の政治的重要性を勘案したというより、そもそも、サービスは、マレー云々の史実を知らないのではないか、と勘繰りたくなります。
(注1)「1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。アメリカの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、太平洋戦争はこの時間に開始された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6
最後の段落も、果たしてロバーツがそう書いているのか、サービスの主観がかなり入っているのかは定かではありませんが、(何度も持ち出して恐縮ですが、)同じ時期に英領インドのベンガル地方で起きたような数百万人規模の原住民の餓死に相当するような「野蛮」な話は、日本占領下の地域では全く起こっていないことだけをとっても、ナンセンスです。
それはともかく、サービスが言うように、先の大戦の全体像を(日本関係については量質共に不十分ではあるものの)描こうとしてきたのは英国の歴史学者だけであったことは事実でしょう。
経済的には既に米国が全球的覇権国であったけれど、全球的な帝国を持っていたのは、当時、(というか、後にも先にも)英国だけであったこと、その帝国をこの戦争の結果英国は失うことになったこと、がそのホンネのレベルでの理由であると私は思っています。
しかし、考えてみれば、大英帝国を瓦解させたのは日本です。
ですから、英国人による先の大戦史に匹敵する大戦史を日本の歴史家は上梓する義務がある、と私は考えます。
この点に関する「敗者」の側からだけの先の大戦史ばかりが幅を利かせている現状は異常である、という認識を日本人は持つべきだ、ということです。
(続く)
イギリス大衆の先の大戦観(続)(その1)
- 公開日:
>英国人であるにもかかわらず、日本は真珠湾より早く英領マレー半島を攻撃していたことに全く言及していない
おっしゃるとおりですが、私の知る限り、『日本人』であるにもかかわらず、日本は英国と戦い、帝国陸軍は真珠湾攻撃より早くコタバル強襲上陸作戦を開始していたこと、昭和17年2月に陥落したのは『シンガポール』ではなく、『大英帝国』なのだという認識がない人が圧倒的であります。当然のことながら、大戦前、駐日英国大使が本国にどんな対日政策を具申していたのか、吉田茂がどんなに愚かであったのか知らない人間がほとんであり、現代日本人が属国日本の病理から抜け出せない一因でもあります。(太田さんのクレイギー・吉田茂関連のコラムを引用すべきですが省略します) (当方、『国賊・吉田茂の正体、英国陸軍の実力』というサイト立ち上げに奮闘中)
(追記1)コタバル強襲上陸が真珠湾攻撃よりどれだけ早かったかは、太田さんが引用したマレー作戦Wikiのページ(注1)、マレー沖海戦Wikiのページ(参照1)では多少の差があります。この時間差をめぐって(たぶんWikiを書いた人と)議論したことがあるので気になりました。
(参照1http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6)
その際、上陸した佗美浩支隊が敵飛行場を制圧し、第12飛行団、さらに、日本軍飛行集団主力がこの地域の英航空戦力を一掃したのがマレー沖海戦の大勝利に結びついた事をもっと強調してほしいと注文をつけた記憶があります (典拠・・・例えば・・・太平洋に消えた勝機by佐藤晃著・・・帝国陸軍士官学校61期生)。
(追記2) 久しぶりに太田コラムというか日本語のサイトを見に来ました。The Duchessの映画評論よかったです。E.M. Forster のシリーズではHowards End(http://en.wikipedia.org/wiki/Howards_End_(film))も取り上げて欲しかったです。
暴力団に集団自衛権を行使させろという議論を太田さんにふっかけておられる方(やへがきやくも氏)がいらっしゃるんですね、楽しみです。