太田述正コラム#0041(2002.6.16)
<米国憲法第一条第八節第11項>

 コラム#34では、米国憲法修正第二条をとりあげましたが、今回は、(「連邦議会とその権限」を規定している)米国憲法第一条の第八節第11項「戦争を宣言し、捕獲免許状を付与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設けること」をとりあげたいと思います。
 この条文は、日本でもお馴染みの条文です。というのは、(大統領ではなく、)連邦議会が戦争を宣言する権限を有することを規定した条文だからです。しかし、引用されるのは、もっぱらそのことについて規定した前段であって、後段の捕獲免許状に関する規定に言及されることは、全くないといってもいいでしょう。
 米国でも、これまで余り話題になることはありませんでした。

 しかし、最近米国では、この条文に注目すべきだとする論者が出てきています。
 以下、ガブリエル中森氏による米退役海軍少佐ディビッド・ダグラスのペーパー(「私掠船を復活させろ!」米海軍協会報2002年4月号)の紹介(「OSS・02会議」国際新聞2002.5.31)、及び中森氏から入手した同ペーパーの抜粋を踏まえて、米国で出てきた意見の要旨をご紹介しましょう。

 『捕獲免許状(letter(s) of marques)とは、他国の商船を拿捕する免許状のことであるが、米独立戦争の際、反乱軍側からコモン・ローに基づいて捕獲免許状を与えられた私掠船(privateer)が、第二次世界大戦でドイツの潜水艦が沈めた船と同じくらいの数の英国側の船を捕獲し、捕獲された積み荷と船を「戦利品」として与えられた、という史実も踏まえ、米国憲法の中に議会が捕獲免許状を付与できる旨の規定が盛り込まれた。
 その後、大方の国は1856年のパリ条約で海上における捕獲免許状付与権を放棄したが、米国は放棄せず、また、陸上における掠奪を禁じた1899年のハーグ条約(=陸戦の法規慣例に関する規則。「・・私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ズ。掠奪ハ之ヲ禁ズ。」(第46条))にも加盟しなかった。現在でも米国は、国際法上、捕獲免許状付与権を放棄していない。
 しかし、米国では、憲法に規定があり、国際法上も捕獲免許状付与権を放棄していないけれども、この規定を実施するための法律(具体的な体制)は整備されていない。
 昨年、同時多発テロが生起したこともあり、テロリストや麻薬を積んだ船が米国に秘密裏に侵入するのを沿岸警備隊だけで完全に阻止できない状態をこのまま放置しておくわけにはいかないので、私掠船によって沿岸警備隊を補完する体制をつくるべきである。』

 この話は、文明論的に大変興味深いものがあります。
 タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のようなくだりがあります。
 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。

こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人は急速にローマ化してしまい、戦争が生業ではなくなっていきます。

 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。
だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。
 後に、(やはりゲルマンの支族たる)バイキングの血も、デーン人の侵攻やノルマン人による征服を通じて受け継いだアングロサクソンは、イングランドが「島国」であったこともあり、とりわけ海上における「捕獲」戦争に情熱を燃やし続けました。ガブリエル中森氏も指摘されているように、英語には「海賊」の同義語がやたら多い・・例えば、pirate、privateer、corsair、buccaneer、filibuster、freebooter・・のは、そのためです。イギリス海軍の前身は、捕獲免許状を付与された海賊、すなわち私掠船であったと言っても過言ではありません。
 そして、同じアングロサクソンがつくった国である米国においては、捕獲免許状を付与された私掠船に関する規定が憲法に設けられるまでに至ったというわけです。
 (1988年に私が英国のRoyal College of Defence Studies に留学した時、同道した家内はロンドンのシティーで働きましたが、イギリス人の同僚から「最近の戦争はもうからなくなったね。」と言われてショックを受けて帰ってきたことがあり、家内に以上のような説明をしたものです。)

 他方、いくら侵攻したゲルマン人がローマ化したとはいっても、欧州大陸(西欧)においては、戦争が生業ではなくなって、他の目的を達成するための手段化したというだけであって、ゲルマン系が多かった支配者達が行う戦争に掠奪が伴うのはあたりまえであり続けました。すなわち、「掠奪は、軍隊の国家化が完成する以前においては、・・軍の存在そのもののうちに、いわば構造化されていた・・」(山内進「掠奪の法観念史  中・近世ヨーロッパの人・戦争・法」(東京大学出版会1993年3月)2頁)のであって、これが変わるのは、掠奪に「思想的に決定的な一撃を与えた・・ルソーの『社会契約論』(1762年)」が上梓された時、より正確にはルソーの思想的影響下で起こったフランス革命の時まで待たなければなりません(山内 前掲 341頁)。そして、このようなルソー的考え方が、実定国際法までに高められたのが先述したパリ条約であり、ハーグ条約なのです。ここに西欧のローマ化は完成します。
(もっとも、フランス革命の申し子たるナポレオン自身、後にナポレオン神話が生まれたアルプス越えのイタリア侵攻の際、「イタリア遠征の兵士諸君・・<私は>諸君を世界中で最も肥沃な平野までみちびこう。諸君はそこに栄光と名誉と戦利品を見いだすであろう。」と叫んで兵士の志気を鼓舞した(岩島久夫「リーダーと情報力」(五月書房2002年5月)67頁)と伝えられているところを見ても、容易にこのルソー的考え方は第一線まで浸透しなかったようです。)

 そこで、まとめです。
 私は、かねてより、アングロサクソンと西欧は別個の文明に属すると指摘してきました。
 掠奪(捕獲)に関する考え方の違い、より一般的には戦争観の違いについても、文明の違いに由来すると考えてよいでしょう。
 両文明の戦争観の違いをつきつめると、国家と国民(市民)とを原理的に区別する(=西欧)か区別しないか(=アングロサクソン)に帰着すると言えるのではないでしょうか。(山内 前掲 343頁から示唆を得た。)戦争に勝った自国が敵国から賠償金がとれるのなら、自国の市民がつかまえた敵性を帯びた外国市民からも私的に捕獲が許されてしかるべきだ(米国憲法第一条第八節第11項!)とアングロサクソンは考えるのでしょうし、自国の戦争に軍隊の一員として以外の形で市民が参加することもできて当然だ(同じ条文及び米国憲法修正第二条!)とも考えるのだろうということです。

 ここから、米国による東京大空襲や原爆投下(いずれも、一般市民の殺傷を主たる目的とした)の必然性にまで思いを致すことは、いささか論理の飛躍なのかもしれません。しかし少なくとも、同時多発テロの対象となった米国が、国家ならぬテロリスト集団に対してただちに自衛権を発動(=宣戦布告)したのは、国と市民を峻別しないアングロサクソン的発想からすれば、不思議でも何でもないのでしょう。そして、いささか不穏な話ですが、イスラム文明を背景にしているところの一般市民をターゲットにした自爆テロと、アングロサクソン文明を背景にした米英の対テロ戦争は、同じ次元で正対して戦われていると言ってもよいのではないでしょうか。