太田述正コラム#4908(2011.8.3)
<終末論・太平天国・白蓮教(その6)>(2011.10.24公開)
[義和団の乱(Boxer Rebellion)] (1900~01年)
「飢饉などの天災により寄る辺をなくした民衆などは宣教師の慈善活動に救いを見出し、家族ぐるみ・村ぐるみで帰依することもあった。また当時中国の内部対立の結果社会的弱者となった人々も庇護を求めて入信し、クリスチャンの勢力拡大に寄与した。・・・義和団の母胎となったと言われてきた白蓮教徒も、官憲の弾圧から逃れるために、その一部がキリスト教に入信していた・・・。・・・
外国人宣教師やその信者たちと、郷紳や一般民衆との確執・事件を仇教事件(・・・「教案」・・・)という。具体的には信者と一般民衆との土地境界線争いに宣教師が介入したり、教会建設への反感からくる確執といった民事事件などから発展したものが多い。1860年代から・・・見られはじめ、1890年代になると主に長江流域で多発するようになる。事件の発生は、列強への反感を次第に募らせていった。何故なら、布教活動や宣教師のみならず、同じ中国人であるはずの信者も不平等条約によって強固に守られ、時には軍事力による威嚇を用いることさえあったため、おおむね事件は教会側に有利に妥結することが多かったからである。地方官の裁定に不満な民衆は、教会や神父たち、信者を襲い、暴力的に解決しようとすることが多かった。・・・民衆の間には外国人は官僚より三等上という認識が広がっていった。
こうした対立に、異文化遭遇の際に起こりがちな迷信・風説の流布が拍車をかけた。当時、宣教師たちは道路に溢れていた孤児たちを保護し、孤児院に入院させていたが、それは子供の肝臓を摘出し、薬の材料にするためだといった類のものである。
仇教事件の頻発は、一般民衆の中に、西欧及びキリスト教への反感を醸成し、外国人に平身低頭せざるを得ない官僚・郷紳への失望感を拡大させたといえる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
→日本や中共では、「義和団は、 太平天国における拝上帝会のようにその起源を単一のものに特定できない。そのためもあって白蓮教的な拳法に由来するという説と、団練という地方官公認の自警団に求める説とがある」としつつも、団練由来説が通説のようです。
そして、これに関連し、「中国や日本では、欧米及び日本の帝国主義に反対する愛国運動という捉え方をするのに対し、アメリカなどでは闇雲に外国人を攻撃した排外運動という捉え方をしてい」ます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1 上掲 最後に、欧米の見解で記述されていると考えられる、「弥勒」に関する英語ウィキペディアの一節を紹介しておきましょう。(太田)
「英語で、しばしば「和(調和的)拳会(Society of Harmonious Fists)」と呼ばれるところの義和団は、部分的に白蓮教(White Lotus Society)によって鼓吹された19世紀の格闘技セクトだった。
「和拳」の構成員達は、欧米では、彼らが支那の格闘技を訓練したことから、「拳法者達(Boxers)」として知られるようになった。
「1900年8月までに、230人の外国人、数万人の支那人たるキリスト教徒、そして数知れない数の叛徒達、シンパ、その他の無辜の第三者が混沌の中で殺された。
1900年8月14日に20,000人の外国軍が支那の首都の北京に入城した時、この反乱は瓦解した。
弥勒の名の下に遂行されたわけではないが、<(第二次)白蓮教の乱も義和団の乱も、>そのどちらの反乱も、叛乱的弥勒セクトたる白蓮教によって単独で、或いはその一部が白蓮教によって遂行された。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya 前掲
→このように、支那における弥勒下生信仰は、時代や国際環境が異なることから発現形態こそ違え、20世紀初頭において、6世紀の昔の身の毛のよだつ大乗に先祖帰りしたかのような醜悪な姿を、義和団として、今度は支那のみならず世界に対して、再び晒すことになったわけです。(太田)
[三合会(Triad)]
「三合会・・・は、香港を拠点とする幾数かの犯罪組織を総称する呼名である。地下社会や裏社会などという抽象的な意の言葉ではなく(これらを表す現地の言葉としては黒社会が適当なものである)、実体をもつ犯罪組織のネットワークを指していう、結社という意を表すものと解釈できる。英語圏においてはTriad(トライアド)あるいはTriad Societyと呼ばれている。・・・
その発生は清の時代、清朝による支配に抵抗すべく結成された反体制的結社を源流とするといわれている。類似するものとして天地会(洪門)などが存在した。その目的は、漢民族の復権、すなわち清朝の打倒、支配層としての満州族の排斥、『漢民族による中国大陸』の奪還(明の復興)であった。こうした結社は中国大陸の諸地域に広がると同時に、多くのグループに分岐し続け、また多くの名前で知られることとなる。そのうちの一つが三合会であった。
三合会という名称は、天、地、そして人という、三つの要素の調和を表すものとされた。そして三合会は自らの表象として三角形を利用した。・・・
1949年に中国共産党が中国大陸における支配権を得ると、組織犯罪に携わる社会は厳しい法の締め付けにさらされることになる。三合会の成員は自らの活動を継続するため、中国大陸を南下、当時英国の直轄植民地であった香港への移動を開始した。・・・
1970年時点で、香港警察のうちの実に三分の一の人間が黒社会の成員を兼ねている者かまたは黒社会と何らかの繋がりを持つ関係者であるという証言が存在した。・・・
しかしながら、香港はもとよりマカオや中国大陸における反三合会勢力との苦闘のうちに、彼らの活動領域はしだいに狭められていったのであった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%90%88%E4%BC%9A
→ところが、英米等では、以下のように、文字通りの犯罪組織たるこの三合会もまた、白蓮教と関わりがあるもの、と捉えられているのです。(太田)
「証明はされたことはないが、三合会諸組織が、白蓮教と呼ばれた革命運動の後継、ないしはもともとはその一部であった「可能性が極めて高い(highly probable)」。[2]
・・・
Reference 2. Triad Societies. page 4・・・Further reading Books Kingsley Bolton; Christopher Hutton (2000). Triad societies: western accounts of the history, sociology and linguistics of Chinese secret societies. Taylor & Francis.」
http://en.wikipedia.org/wiki/Triad_(underground_societies)
5 終わりに
要するに、支那において、土着の無生老母信仰と結びついた弥勒下生信仰は、ランデスの言う、支那における千年王国的伝統を形作り、その中から、白蓮教系の様々なセクトや、白蓮教的なものが更に旧欧州由来のカトリシズムと結びついたところの太平天国が生まれ、それらのものを綜合的に咀嚼しつつ、更に新欧州由来の共産主義(スターリン主義)なる千年王国思想を取り入れて、中国共産党が生まれた、ということです。
また、現在の支那世界の表を取り仕切るのが中国共産党であるのに対し、裏の世界を取り仕切るのが三合会であり、そのどちらも支那における千年王国的なものの現代版である、と見ることもできそうです。
毛沢東の私党であったと言っても過言ではない、毛時代の中国共産党が、政権をとってから、特に身の毛のよだつような姿を現し、大躍進、文革等を通じて天文学的な数の支那人を虐殺したのは、支那の過去の千年王国的セクトが支那人等の虐殺を繰り返してきたことを思い起こせば、少しも不思議なことではない、ということにもなりそうです。
このように見てくると、支那において自由民主主義を実現するためには、その遊牧民的要素に基づく自由民主主義的伝統に着目するだけでは十分ではないのであって、千年王国的伝統そのものを克服し、廃棄する必要があるので必ずしも容易ではない、ということになるのではないでしょうか。
それにしても、日本の戦後の歴史学者達は、マルクス主義史観の呪縛の下にあることから、日本の戦前史を自虐的に歪曲する傾向があるわけですが、彼らの描く支那近現代史もまた、中国共産党迎合的に歪曲される傾向があるとすれば、日支両国、ひいては世界のために二重に遺憾なことである、と言わざるをえません。
(完)
終末論・太平天国・白蓮教(その6)
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