太田述正コラム#4910(2011.8.4)
<イギリスと騎士道(その1)>(2011.10.25公開)
1 始めに
私のコラムは、多かれ少なかれ、相互に関連しあっていますが、アングロサクソン論は中心的な位置の一つを占めていると言っていいでしょう。
さて、今まで様々な角度からアングロサクソン論を展開してきたとはいえ、なにしろ近現代のほとんどすべてがアングロサクソン(つまり、イギリス)発祥である以上は、とりあげるべき事柄は数限りがないのであって、これまで私が書いてきたものには欠缺部分が一杯残されている、と言うべきでしょう。
そのうちの一つが騎士道です。
騎士道は、地理的意味での西欧全体に関わるのであって、それがどうしてアングロサクソン論たりうるのか、という疑問を抱かれる方もおられることでしょう。
結論を最初に申し上げておきますが、騎士道というものは、ノルマン朝以降のイギリスで生まれ、その概念がイギリス以外の地理的意味での西欧に伝播した、と私は考えるに至っています。
本シリーズの構成は、最近、他のシリーズで何回か繰り返したところですが、まず、上梓された本の紹介を書評類に拠って行ったうえで、その本の記述に触発された私の考えを記す、という形にしました。
こういった構成は、いささかお行儀が悪いけれど、私の思考過程をありのままに分かっていただく、という意味ではメリットもある、と思っています。
今回、俎上に載せる本は、ナイジェル・ソール(Nigel Saul)の ‘For Honour and Fame: Chivalry in England, 1066-1500’ です。
ちなみに、ソールは、1952年生まれの英国の学者で、ロンドン大学ロイヤル・ハロウェー(Royal Holloway)校(RHUL)の歴史学教授(中世イギリス史専攻)です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nigel_Saul
http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Holloway,_University_of_London
(どちらも8月4日アクセス)
2 ソールの本の概要
A:http://www.guardian.co.uk/books/2011/jul/22/honour-fame-chivalry-nigel-saul-review
(7月26日アクセス)
B:http://www.express.co.uk/posts/view/251752
(8月3日アクセス)
C:http://www.literaryreview.co.uk/keen_07_11.html
(8月3日アクセス)
(1)序
「マリー・アントワネットの遺憾なる運命(sorry fate)について回想しつつ、エドマンド・バーク(Edmund Burke)は、彼の『フランス革命の省察(Reflections on the Revolution in France)』(1790年)の中で、婦人に親切な(gallant)男達の国(nation)、名誉と騎士達(cavaliers)の国において、このような大災厄が彼女の身の上にふりかかるとは、私はほとんど夢想だにしなかった」と嘆いた。
「私は、彼女を侮辱しながら脅すように見えただけで、何万本もの刀が鞘から飛び出して復讐をしたはずだと思った。
しかし、既に騎士道の時代ではなかったのだ」と。」(A)
→イギリスには一族連座制はなく、1648年にイギリスでも国王を処刑していますが、それに連座した形で(無実の)王妃等国王の一族から処刑者は出ていません(典拠省略)。
ちなみに、日本では1742年に一族連座制が廃止されているようです。
http://melma.com/backnumber_160538_3505017/ (典拠として薄弱)
しかし、ここでバークは、一族連座制であること以上に、高貴な女性を処刑したことを嘆いているように見えます。
それと同時に、果たしてフランスに真の騎士道が存在したことがあるのだろうか、という疑問が生じませんか?(太田)
「この光彩を放つ本の著者は、「騎士道(Chivalry)を舞台の中央に据え」、それが、欧米文明の発展に、捕虜を慈愛をもって扱う慣行や個人主義の発達や、更には何と現代の有名人崇拝、等に相当程度貢献した、と説明する。」(B)
「騎士道の時代は、武装した騎乗者の軍事的優位から生まれ出た理想化された幻想であり、おおむね、鐙(あぶみ=stirrup)の発明<(注1)>から火薬(gunpowder)の発明<(注2)>までの間、続いた。・・・
(注1)支那で晋の時代(226~420年)に発明され、中世に欧州に伝わった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stirrup
http://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%ACn_Dynasty_(265%E2%80%93420)
(注2)9世紀に支那の道教の道士達または擬似化学者(alchemist)達が不老長寿薬(elixir of immortality)研究の過程で発明し、アラブ世界、欧州、及びインド亜大陸に伝わった。硫黄(sulfur)、木炭(charcoal)、硝酸カリウム(potassium nitrate)が原料。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gunpowder
騎士道は、行動規範であっただけでなく、戦場と立派な住居の双方において磨かれた様式(style)でもあり、それは11世紀のフランス北部の貴族達の宮廷においてはっきり現れるに至っていた。」(A)
「<やがて、>騎士道は、文化のあらゆる場所(every nook and cranny)に浸透(invade)した。
それは、芸術家達、作家達、建築家達と工芸家達の主成分(staple)となった。
よりよい性(fairer sex)、より敬虔(pious)で貞節(chaste)な存在として女性達を扱うという観念は<その>中核的価値だった。
宗教的含蓄(overtones)に富む騎士的イメージ(imagery)が中世社会において流行した(prevalent)ことは、性的かつ物質的イメージが今日の社会において流行していることに比肩しうると言えるかもしれない。」(B)
「騎士道への関心は、美学(aesthetic)と同時に道徳を対象として、ヴィクトリア時代の中世的なものへの崇拝(cult)の形で復活した。
それは、クイーンズベリー(Queensberry)侯爵のルール<(注3)>や、ソールがその後のジュネーブ条約(Geneva convention)の成立につながるとするところの、戦争法の集成(codification)の試み(initiative)を鼓吹した。」(A)
(注3)1865年に作成され、67年に公表されたボクシングのルール。第9代クイーンズベリー侯爵のジョン・ダグラス(John Douglas。1844~90年。スコットランドの貴族)がその制定を推進した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Queensberry_Rules
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Douglas,_9th_Marquess_of_Queensberry
(続く)
イギリスと騎士道(その1)
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