太田述正コラム#0047(2002.7.13)
<先の大戦中の日本の民主主義>
拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社01年7月)の中で、私は戦前の日本で民主主義が確立しており、先の大戦中も民主主義が機能していたと指摘しました。(140-147頁)
拙著は面白かったが、先の大戦中も民主主義が機能をしていた、という箇所にだけは違和感を覚える、という感想を寄せる友人が少なくありません。当然のことながら、本年5月の北京訪問時にも、現地の日中交流人士から強い反発を受けました。
私自身、ゴードン・バーガーの本(「大政翼賛会 国民総動員をめぐる相克」山川出版社00年。原著はGordon M. Berger, Parties out of Power in Japan 1931-1941, Princeton University Press 1977)を読むまでは、そうは考えていなかったのですから、友人達等が違和感を覚える気持ちはよく理解できます。
(もっとも、この話は、少なくとも先の大戦に至るまでの間に、日本の民主主義が確立し、機能していたということを前提にしないと少しも面白くありません。この点についてすら疑問をいだいておられる方々は、申し訳ありませんが、本コラムをお読みになる資格はありません。)
拙著の中では、ゴードン・バーガーだけを引用していたので、拙著を上梓してから読んだ、古川隆久「戦時議会」(吉川弘文館01年2月)でもって若干の補足をしておきましょう。
古川氏(横浜市立大学助教授)の所説は、「議会勢力の中でも、既成政党系(現在でいえば保守系)は、総選挙をはじめ、補欠選挙や地方議会選挙でも、一貫して議会での多数決による意思決定を左右できるだけの多数派を維持し続けた。そして、既成政党を中心とする多数派を作っていた代議士たち(議会主流派)は、この時期、言論界や非議会勢力や衆議院内の反主流派から激しい批判にさらされながらも、彼らなりに国家・国民の現状と将来を案じ、個々の政策について、議会審議などの場を通じて彼らなりに持っていた一線を貫いた。さらに、阿部信行内閣、東条英樹内閣の退陣に決定的な役割を果たし、第一次近衛文麿内閣退陣の根本原因を作り、一見、政府や軍部が全体主義化をめざして主導したとされている政治改革(新体制運動)や選挙改革(翼賛選挙)も挫折させたり、実は主導権をとっていた。しかも、・・・日中戦争期と太平洋戦争期に各一回、あと一歩で事実上の政党内閣を作れるところまでいった。そのため、他の政治勢力は時に彼らの議論や行動に怒り、時にやむをえず妥協し、時に恐怖さえ感じていた。」(古川 前掲書3頁)というものです。
詳しくは、バーガーや古川氏の本に直接あたっていただきたいのですが、先の大戦中、なるほど日本は政党内閣ではなく、しかも、議会や内閣以外の政治勢力が存在していたものの、選挙に基づいた民意が重要な国政を左右していたという意味で、当時の日本においても、民主主義が機能していたと私は考えているのです。
それにしても、バーガーの本が出たのが77年だというのに、その日本語版や同じ趣旨の日本人による本が出るまでに四半世紀近くを要した点に、日本の戦後の歴史学会のかかえる問題が露呈していると感じるのは私だけではありますまい。