太田述正コラム#0048(2002.7.15)
<先の大戦中の日本の民主主義(続き)>
前回のコラムに対しては、Aさんから、大正デモクラシー等に言及しつつ、「共感を覚えるところがあります」というコメントが寄せられ、G.Nさんからは、「お言葉ですが、戦前の軍隊、警察、司法界、言論出版、教育などどこにも民主主義はありません。しかし『議会』については私も同感です。強いていうなら『それでも選挙制度やその結果としての帝国議会で民主主義的手続きが残存、機能していたのは驚きであり、なんとも皮肉である』とでも表現すべきではないでしょうか」というコメントが寄せられました。Bさんからも、G.Nさんと同じ趣旨の、「よしんば民主主義勢力がいたとしても、それと民主主義が機能していたというのは、別ではないかなという気もします」というコメントをいただいています。
どうやら、このテーマに強い関心を持っておられる読者がたくさんいらっしゃるようですね。
そこで、予定を変更して、前回のコラムの内容を補足することにしました。
私は手放しの民主主義礼賛者では全くありません。
私の好きなアングロサクソン文明は、反民主主義文明の最たるものです。フランス人貴族のトックビルが書いた「アメリカにおける民主主義」という余りにも有名な本は、そのタイトルだけでも多大の誤解を読者に与え続けています。哲人ソクラテスを、青年達を惑わしたとして死に追いやったのはアテネの民主主義でした。このような権力を握る多数者による少数者・個人の自由の恣意的侵害を許さない、という世にもめずらしい文明がアングロサクソン文明なのです。
アングロサクソンは、手続き的正義と実体的正義が渾然一体となった慣習法=コモンローを墨守してきました。議会制定法によるコモンローの改廃を基本的に認めないという考え方です。 そして政治制度にあっては、英国は、王制や貴族院制度、そして王制と表裏一体の内閣制度等の反民主主義的制度、米国は、大統領の間接選挙制(その名残が、この前の大統領選挙の総得票数でゴアを下回ったブッシュの当選)、三権分立による権力の相互牽制、連邦制(「合衆国」ならぬ「合州国」)等の反民主主義的制度、を堅持してきたわけです。(議会制そのものが、直接民主制の否定という側面を持っていることもお忘れなく。)
ですから、英米における民主主義の進展は遅々としたものでした。米国の黒人の投票権問題に端的にあらわれているように、両国における普通選挙権の確立に至る紆余曲折の歴史を振り返ってみれば、そのことは明らかです。英国の貴族院制度、つまりは貴族制度に至っては、その「民主化」に手がつけられたのは、つい最近のことに過ぎません。
しかし、このようなアングロサクソンの自由主義が貫徹されるのは平時だけの話であり、有事にはアングロサクソンの姿が完全に変貌することを我々は忘れがちです。
英国においては、有事には、「全地方自治体は機能を停止させられ、国土全体が10個の方面に分けられ、各方面は、軍・警察・行政の三者統合委員会の掌握するところとなる。そして全てのマスコミは接収され、電話の私的使用も原則禁止されるに至る」ことになっています。(拙著「防衛庁再生宣言」202頁。ただし、この箇所は、1991年出版の典拠によっているので、現在では異なっているかもしれません。)
米国はどうでしょうか。
米国は現在対テロ戦争真っ最中の有事です。その米国に関しては、同時多発テロによる自国での民間人死者をはるかに上回る「5000人以上の民間人がアフガニスタンの爆撃によって既に殺され・・あらゆる戦争法規や国際法に違反して、数百人もの囚人がキューバの米国の強制収容所に運ばれた。彼らの容疑についての証拠は何一つ開示されていない。FBIは、まともな容疑者は一人しかいないと言っているありさまだ。米国の国内では、容疑を明らかにされないまま、1000人以上のイスラム教徒が「行方不明」になっている。峻厳な「愛国法」によってFBIに新たな諸権限が与えられたが、その中には図書館に踏み込んで、誰が何を読んでいるかを尋問するといった権限が含まれている・・」のが現状です。
(http://www.observer.co.uk/worldview/story/0,11581,754972,00.html 02年7月14日アクセス)
私が申し上げたいのは、次のとおりです。
先の大戦に至る昭和初期の日本では、有事の状態が長期にわたって続きました。
その有事とは、主要な「敵」だけで、
1 重武装しつつ、国際共産主義運動を操って日本や中国への勢力伸長を図っていた帝国主義的独裁国家ソ連、そして
2 (その資本主義経済が危機に直面していたことから来る、誤った政策たる)近隣窮乏化政策と(人種的宗教的偏見と嫉妬心に由来する、いわれなき)親中・反日政策を掲げて極東に介入していた米国、更に
3 ナショナリズムに藉口した排外政策の過激さを競いあいつつ、血みどろの権力争いに明け暮れていた中国国民党や中国共産党(両者の実態は瓜二つ)等の中国軍閥、
の三つを数えた深刻なものであり、この三つの「敵」等が複合した相手と日本は先の大戦をたたかうことになります。
(先の大戦そのものについて論じるのが本稿の目的ではありませんが、大戦の結果、米国は、2で述べた政策をいずれも180度転換する一方で、ソ連と中国に対する戦前の日本の対外政策を日本になりかわって遂行する羽目になり、日本は空前の経済的繁栄を達成し、中国は自らの行き過ぎた排外政策の「報い」を受け続け、ソ連はやがて冷戦に破れて崩壊せしめられる、という形で、戦争に負けた日本が、その戦争目的を完全に達成したことを、後世の我々は知っています。前掲拙著第九章(知られざる予言者マクマレー)参照。)
このように深刻、かつ長期的な有事状態のもとで、(私はやや誇張だと思いますが、)「戦前の軍隊、警察、司法界、言論出版、教育などどこにも民主主義」ならぬ自由「がない」(前掲G.Nさんのコメント)ことについては、当然のことだとまでは申しませんが、アングロサクソンですら、あのなりふり構わぬありさまなのですから、日本国民としてシンパシーは覚えるということを、まずもって申し上げておきたいのです。
いずれにせよ、そのことと民主主義うんぬんとは直接関係のないことです。
最後に、私が先の大戦中も民主主義が機能していたと考えるゆえんを、前回よりやや敷衍して述べておきます。
日本では、非欧米圏で初めて憲法が制定されて立憲主義、すなわち自由主義の旗が高々と掲げられ、引き続き民主主義もあわただしく導入されます。そして、短時日のうちに日本の民主主義は、(長期間にわたって徐々に導入されてきた)アングロサクソンの民主主義を射程にとらえるレベルまで成熟します。(前掲拙著でサミュエル・ファイナーや戸坂潤に言及した箇所(144-145頁)を参照。)
議会(本稿では衆議院をさします)は、まさに、この成熟した民主主義の中心的な担い手でした。
確かに、戦前の日本には議会以外の政治勢力も存在していました。しかし、軍にしても、将校の中核は、学業成績だけで陸士海兵に入り、卒業した人々であり、兵の大部分は国民の間から徴兵された人々でした。官僚にしても、帝大等と高等文官試験とをやはり学業成績だけでクリアして入省した人々が中核を担っていました。だから、軍隊も官僚機構も民意を強く意識せざるをえない存在でした。
そこへ、日本が深刻かつ長期にわたる有事状態のもとにおかれます。当時の日本国民の圧倒的多数は、緊急措置として、軍隊や官僚機構に国策立案の主導権を委ね、議会はこれをチェックする役割に甘んずることを期待しました。軍隊、官僚機構、そして議会は、そのような民意に積極的に応えようとしました。
すなわち議会は、軍隊や官僚機構が立案したところにしたがい、当時の日本の対外政策に協賛し、先の大戦の開戦を当然視し、大戦の遂行に協力しました。まさに、民意主導(民主主義)なるがゆえに、日本は勝ち目のない戦争をたたかってしまったわけです。これは、米国が1960年代にベトナム戦争の泥沼に陥って行ったことと並ぶ、民主主義の陥穽の典型的事例であると言えるでしょう。(前掲拙著141-144頁参照。)
このような意味において、日本の民主主義は戦時中も機能していたと私は主張しているのです。