太田述正コラム#4942(2011.8.20)
<米国の20世紀スケープゴート史に思う(続)>(2011.11.10公開)
1 始めに
 ジェイ・フェルドマンの ‘Manufacturing Hysteria: A History of Scapegoating, Surveillance, and Secrecy in Modern America’ の書評がまた出ていたので、「米国の20世紀スケープゴート史に思う」(コラム#4932)の続篇をお送りしておきます。
α:http://www.csmonitor.com/layout/set/print/content/view/print/402874
(8月18日アクセス)
β:http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/jay-feldmans-manufacturing-hysteria/2011/08/08/gIQAEF5aQJ_print.html
(8月20日アクセス)
2 米国の20世紀スケープゴート史(続)
 「<スケープゴート史の一環として、第二次赤狩りと>同じ時期に行われた、国務省内の同性愛者に対する攻撃(campaign)、9.11同時多発テロ後の愛国者法(Patriot Act)等に基づく市民権侵害、そして一番最近では、アリゾナ州における反移民狂騒、をフェルドマンは記す。」(β)
 「<振り返ってみれば、>第一次世界大戦が転機となったことは疑いの余地がない。
 ウッドロー・ウィルソンは、進歩的公約でもって大統領選に勝利したかもしれないが、人種的・民族的偏見に侵されていないどころではなかった。
 そして、米国が欧州における紛争に介入しそうになってくると、彼は、現実の、或いは想像上の不忠誠に対する「不寛容と疑念の基盤」を構築した。
 反独狂騒は、米国中で行われた彼の演説と、「公的な国家プロパガンダ機関」たる公共情報委員会(Committee on Public Information)によって火をつけられ、米国社会に広範かつ深く広がり、ドイツ系の名前という不運を持ち合わせた、無数の普通の愛国的米国人達の人生を破綻させた。
 米司法省のある官僚は、「ドイツのスパイ行為はあらゆるものに浸透したシステムとなっている、と主張され、これに対してシステム的かつ無差別的扇動によって無辜の人物の弾圧が行われたが、かかる弾圧に、これほど寄与した大義(cause)はなかった」と述べている。
 このような政府の努力の結果、「一般住民に対するスパイ行為…は日常的な姿(order)と化した」と。
 これは大部分の新聞によって支持された。
 ニューヨークタイムスは、これを「すべての良い市民の義務」と呼び、1917年に司法省に入り、「爾後半世紀にわたって…米国において前代未聞のことだが、秘密政府の業務執行と市民監視の最も練達なる専門家となるであろうところの、若きJ・エドガー・フーバー(J. Edgar Hoover)を熱心に慈しんだ。・・・
 「第一次世界大戦は、米国を二つの根本的な形で変貌させるという遺産を残した。
 第一は、産軍複合体の出現であり、武器製造業者に政府に対する巨大な影響力を与えた。
 第二に、監視(surveillance)国家の生誕は、一般住民に対する<国による>スパイ行為を可能にし、奨めたところの自己恒久化的インフラをつくりだした。その結果、監視は、米国人の生活の根底へと速やかに浸透し、次第により強く、<米国政府の>運用上の規範となったのだ。」(β)
→19世紀から20世紀への変わり目に、英国に代わる世界覇権国になるという野望に目覚めていた米国が、第一次世界大戦を契機に、この野望を支えるためのインフラを整備することができたということです。しかし、このインフラが全面稼働を開始するのは第二次世界大戦への米国の参戦を待たなければならなりませんでした。(太田)
 「「1947年初頭、政府がどちらも強力な共産主義運動によって脅かされていたところの、ギリシャとトルコに対する援助を止める決定を下した後、<民主党の>[ハリー・]トルーマンは懐疑的な共和党指導者達に接触し、新議会にこの二つの困難に直面していた国に対して総額4億ドルの軍事的・経済的援助を与えることを求めた。
 戦略会議(session)において、ミシガン州選出共和党上院議員のアーサー・H・ヴァンデンバーグ(Arthur H. Vandenberg)は、「大統領閣下、それがお望みであれば、それを得る方法は一つしかありません。個人的に議会に赴いて、そこで米国中を恐怖におののかせる(scare hell out of the country)ことです。」と智慧を付けた」とフェルドマンは記す。
 まさにその通りのことをトルーマンはやった。
 3月12日、彼は議会で演説し、トルーマン・ドクトリンを発表した。
 「武装した少数者または外部からの圧力による征服(subjugation)の企図に抗している自由な人々を支援することは米国の政策でなければならないと私は信じるものです」と。
 彼は沈鬱な趣で、「今日の世界が直面している深刻な状況」について語った。
 すぐに、米国によるギリシャとトルコへの、そしてまた野心的なマーシャル・プランにおける、援助による欧州の経済復興が始まった。そして冷戦も・・。」(β)
→このすべてを戦前の日本は東アジアでやっていたのであり、既視感を覚えるどころの話じゃありません。これほど発育の遅く、勘も鈍かった米国には、改めて呆れ果てます。(太田)
 「1919年の「赤狩り(red scare)」が、マッカーシー上院議員が政治の場を支配した1950年代初期に復活した。
 それは、彼自身が1953年に義務的な国家への忠誠を規定した大統領令を発出したアイゼンハワー大統領を含め、政治家達が臆病であったために、余りにも長く続くことになった。
 <この大統領令によって、>米国務省の1,000名近くの職員が「性的倒錯(sex perversion)」によって職を失うことになった。
 それと並行して、アイゼンハワーによる対密入国者作戦(Operation Wetback)は、大不況の時代におけるメキシコ人とメキシコ系米国人のスケープゴート化を蘇らせた。
 そしてまた、フーバーは、対諜報計画–米国共産党(Counterintelligence Program-Communist Party USA=COINTELPRO)を、アイゼンハワー政権に知らせることなく発動した。」(α)
→遅咲きの対赤露恐怖感がヒステリーと化し、この頃、米国は理性を失っていた、といった趣がありますね。(太田)
 「フェルドマンは・・・ジョージ・W・ブッシュの時代に<も>触れる。
 当時、米愛国者法が採択されたが、テロ情報・防止システム(Terrorism Information and Prevention System)なる精緻な全米密告作戦は世論の評判が芳しくなかった。
 明らかに、米国人の多くは、お互いをスパイするという観念を敬遠したのだ。
 その一方で、技術革新が政治的妄想のシステム化を促進したことにより、<政府による>監視に人々は気づきにくくなっている。」(α)
→アングロサクソンは平時と有事にメリハリをつけるわけですが、対テロ「戦争」は、事柄の性格上、極めて長期化することが予想されたにもかからわず、ブッシュ政権が、それを有事に仕分けしてしまうことによって、国家による人権侵害が恒久化する恐れが出てきた、と当時、私は指摘したところです。(コラム#省略)(太田)
 「結局のところ、第一次世界大戦の時のプロパガンダ作戦のスポンサーになったのは自称進歩的政権だったし、日系米国人を収容所に入れたのはニューディールだったし、戦後の赤狩りが始まるのを助けたのはハリー・トルーマンだった。
 右にとっても左にとっても、恐れと憎しみの政治は専売特許ではない。」(β)
→まさにそのとおりです。(太田)