太田述正コラム#0058(2002.9.5)
<日本の防衛力の過去と現在――新たなあり方を考える出発点として――>

(民主党系のシンクタンク「シンクネット・センター21」の隔月刊機関誌「研究レポート」no11 (2002.8.25)10??15頁から転載)

ディフェンスアナリスト 太田述正(元防衛庁官房審議官)

 安全保障政策が経済政策と並んで国の最も重要な政策であることは、現在でも何ら変わりがありません。しかし、経済政策の議論とは違って、日本での安全保障政策の議論は、いまだに防衛力に関する事実を踏まえない観念論が横行しています。本稿は、日本の防衛力の過去と現在について、私が考えるところの基本的な事実を読者に紹介するねらいで執筆したものです。ただし、吉田ドクトリンを始めとする政治の問題については、拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社2001年)にゆずり、本稿では触れていないことをお断りしておきます。

1 これまでの防衛力
 (1)陸海空自衛隊の生誕時の事情とその後
 1950年の警察予備隊発足以来の戦後の日本の防衛力は、先の大戦における負け戦の断片的記憶と再軍備時の経緯とを引きずった、いびつな姿のまま現在に至っています。

陸上自衛隊について申し上げれば、
?? 1939年にノモンハンの大平原において、装甲機動力と火力において圧倒的に勝る旧ソ連軍に旧帝国陸軍がなすすべもなく一敗地にまみれたという日本人が共有する記憶
?? 日本の再軍備が米国の意向により、朝鮮戦争向けに米陸軍の戦略予備としての陸上兵力を数個師団 緊急整備するために始められたという歴史的経緯
―から陸上自衛隊(警察予備隊・保安隊)の防衛力整備は、師団を中核とし、一貫して旧ソ連ないし米国の最先端の重陸軍師団並みの編成・装備を目標に行われてきました。日本列島の領域保全のためには必要性が乏しいにもかかわらず、戦車の整備に力を入れてきたのがその現れです 。
?? しかし、米国が日本に本格的な再軍備を要求してきた1953年、当時の吉田茂政権は、朝鮮有事に日本の陸上兵力を投入するオプションを残しておきたいという米国の意向に逆らい、日本の陸上兵力が従事するのは日本列島の領域保全だけだとして、外征軍として必要な兵站面の装備・人員の整備はあえて「手抜き」することにしました 。このこともあって、後に順次発足することになる海上自衛隊も航空自衛隊も兵站面は「手抜き」されることになります。
?? その後、朝鮮有事に日本の陸上兵力を投入することをあきらめた米国が、朝鮮有事以外の事態で陸上兵力に比べてより利用価値の高い海上兵力と航空兵力の整備に対日防衛努力要請の重点を移したこともあって、日本の防衛費は海空自衛隊に手厚く配分されるようになります。それにもかかわらず陸上自衛隊は、定員を削減し、師団の数を減らすことによって戦車等の正面装備を充実させる、というオプションをとることを拒み続けたため、米ソ重師団 並みの編成・装備を達成するという目標は、見果てぬ夢に終わってしまいます。

結局、陸上自衛隊は、コンセプチュアルには大陸向けの外征軍だが実態は装甲機動力・火力の面でも兵站面でも国内向けの領域保全部隊という矛盾を基本的に解消できないまま、現在に至っています。

 海上自衛隊については、
?? 米軍の潜水艦や機雷によって日本の輸送船が次々に撃沈され、日本への原材料等の海上搬入がままならなくなったことが敗戦を決定的にした という日本人が共有する記憶
?? 戦後も日本の海上兵力は日本の内水、領海等における先の大戦の残留機雷除去活動に従事する掃海部隊の形で存続し、この掃海部隊が、占領当局の命令で朝鮮戦争に米軍等の海上兵站線を切り開く目的で秘密裏に派遣されたという歴史
?? 海上自衛隊発足に当たって、朝鮮有事の際の朝鮮半島等への米軍等の海上兵站線確保のため、そして米軍等 の朝鮮半島等への出撃拠点である日本列島への米軍等の海上兵站線確保のために、米海軍の補助部隊として日本の海上兵力を活用することを目論んだ米国の意向
?? 空母を中心とする旧帝国海軍の対陸上・対水上艦船攻撃能力の復活に対する米国の警戒心
から、海上自衛隊は対潜水艦戦・対機雷戦に特化した、いびつな編成・装備で発足し、現在に至っています。

 航空自衛隊については、
?? 米軍の空襲(東京大空襲や広島・長崎への原爆投下等、都市の戦略爆撃を含む)によって日本の生産力や国民の継戦意志が著しく減殺せしめられた という日本人が共有する記憶
?? 航空自衛隊発足に当たって、朝鮮半島等への米軍等の出撃拠点である日本列島の防空のために米空軍の補助部隊として日本の航空兵力を活用することを目論んだ米国の意向
?? 海上自衛隊の場合と同様、日本が対陸上・対水上艦船攻撃能力を持つことへの米国の警戒心
―から、航空自衛隊は爆撃機および護衛戦闘機に対する防空戦闘に特化した、いびつな編成・装備で発足し、現在に至っています。

今度は自衛隊を全体として眺めてみましょう。
第一のいびつさは、既に述べてきたところからも明らかなように、陸海空自衛隊がそれぞれ別個に互いに何の脈絡もなく生まれ、並存してきたことです。
後に「専守防衛」という言葉がつくられ、あたかもこの単一の「国防戦略」に基づいて陸海空自衛隊が整斉と整備されてきたかのような印象がふりまかれていますが、これは後追いのフィクション以外の何物でもありません。(そもそも陸上自衛隊は、コンセプチュアルには、全く「専守防衛」ではないことは申し上げた通りです。また、海上兵力は、本質的に攻撃的な性格を持っており、海上自衛隊もその例外ではありません。第二次冷戦時代の海上自衛隊の「任務」について触れた箇所をお読みになれば、そのイメージがつかめると思います。)
これは、総合的な観点から陸海空自衛隊への資源配分が行われてこなかったということでもあります。
 自衛隊を全体として眺めた場合の第二のいびつさは、現在では軍事常識である、陸海空三軍(自衛隊)の統合運用がほとんど顧慮されてこなかったことです。

統合運用が顧慮されなかったのは、
?? 米陸軍の戦略予備として発足した警察予備隊からスタートした陸海空各自衛隊は、当初、「海外有事」や「日本有事」を問わず、「武力攻撃事態」 等が発生した場合、補助部隊として、東アジア太平洋地域に関しては基本的にハワイに司令部のある米太平洋軍レベルで統合運用される陸海空各米軍それぞれによって、「事実上」指揮を受けることが当然視されていた
?? 陸海空自衛隊が相互に脈絡なく並存してきたという第一のいびつさの存在から、統合運用してもシナジー(相乗)効果に限界があり、また陸海空自衛隊の間で共用性がないシステムが多く、統合運用が技術的に困難であるという問題があった
?? 「日本有事」中、「武力攻撃事態」以外の「武器攻撃事態」と「大量破壊兵器攻撃事態」(以下「武器攻撃事態等」という)、といった米軍の手が回りかねる事態に対してこそ、自衛隊を統合運用して対処すべきであったにもかかわらず、政府には、北朝鮮による日本人拉致や不審船侵入等の「武器攻撃事態」や「大量破壊兵器攻撃事態」等に備える民間防衛(国民の避難・保護)に対するつい最近までの対応を見ても分かるように、これらの事態に対処しようという意思が欠けていた
―ことのためです。

防衛庁の中央組織である内局は、他のサミット参加国やOECD加盟国の国防省の中央組織では見られないキャリア文官が全権を握るというユニークな組織ですが、陸海空を分割統治することがキャリア文官による三自衛隊支配体制の維持につながることもあって、内局はこの陸海空がばらばらで統合運用がほとんど顧慮されない状況をあえて放置してきました 。

この自衛隊のいびつさは、共に米国の主要同盟国であり、国の地政学的位置や支出している防衛費の規模が似通っている英国軍と比較すれば一目瞭然です。
英国軍が核戦力を保有している点はひとまず置くとしても、その陸上兵力にあっては、(ドイツに陸上の大兵力を派遣しているにもかかわらず)陸上兵員数の総兵員数に占める割合が日本よりもはるかに低く、またドイツ駐留部隊だけが師団編成で本国の部隊はすべて軽快な旅団編成であり、さらに海兵機能も備えています。そして海上兵力にあっては、軽空母 等の攻撃能力を備えたバランスのとれた姿をしていますし、航空兵力にあっても、爆撃機能を重視した、やはりバランスのとれた姿をしています 。三軍それぞれが特殊作戦部隊も持っています。英国軍がNATO傘下で戦う場合は、指揮権はNATOの共同統合軍(複数)に委ねられることになっている一方、フォークランド戦争のように英国単独で戦う場合には、三軍は英国自身の手で統合運用されます。人員や物資の調達・輸送機能も、フォークランド戦争の時に目を見張らされたように充実しています 。

 (2)第二次冷戦時代
 こうして朝鮮有事を念頭に置いて第一次冷戦時代に誕生した自衛隊は、その後日本の高度成長のお裾分けにあずかって目覚ましい成長をとげ、デタント時代を経て第二次冷戦時代(1979年の旧ソ連のアフガニスタン侵攻から1989年のベルリンの壁崩壊までの10年間)に至ると、一般には余り知られていないことですが、中東有事や西欧有事を念頭に置いた米国の対旧ソ連抑止戦略のカナメとしての役割を果たすことになります。
 それはこういうことです。
この時代、米国は、西側が軍事的に劣勢である中東や西欧で旧ソ連が攻撃をしかけてきた場合、軍事的に優勢であった極東で第二戦線を開いて反攻する、という戦略を採用しました。
そこで米国は、海上自衛隊に対しては、旧ソ連の攻撃型潜水艦を撃破することによって米軍の日本列島への海上兵站線を守るとともに、オホーツク海周辺の旧ソ連の軍事拠点の占拠ないし撃破を行う米軍の海上兵站線を確保し、引き続いて米海軍と連携して旧ソ連の戦略核搭載潜水艦を撃破することによって、旧ソ連の極東海域所在の第二撃戦略核戦力を壊滅させることを期待しました。また、航空自衛隊に対しては、米軍の出撃・兵站拠点である日本列島(日本列島周辺の米軍の海・空兵站線を含む)の防空を行うことを期待しました。そして陸上自衛隊に対しては、同じく米軍の出撃・兵站拠点である日本列島の領域保全を行うことを期待しました。そして各自衛隊は、米国のこれらの期待を重々承知していました。
このように第二次冷戦時代においては、国民のあずかりしらないところで、日本政府ならぬ米国政府によって、直接各自衛隊に対し、明確な任務が付与されていたのです。
これらの任務を遂行するために最適な編成・装備を(陸上自衛隊の大陸向けの外征軍的側面を除いて)各自衛隊は保有しており、しかも各自衛隊は、この(マクロ的に見れば、日本による集団的自衛権の行使と米国の核戦略への積極的協力を前提としていた)対旧ソ連抑止戦略が破れて実際に東西戦争が勃発した場合でも、形の上では「おおむね」憲法上・政策上の各種制約内で行動すれば足りました。当時、自衛隊に対する国民的認知はまだまだ得られてはいませんでしたが、自衛隊にとっては、これは予定調和の時代であったと言っても過言ではありません。

戦後一貫して日本への「武力攻撃事態」などまずありえなかったにもかかわらず、予算要求
および対国民広報の観点から、冷戦終焉までの間、日米安保体制の存在が捨象された虚構のセッティングの下で繰り返し口にされた「武力攻撃事態」シナリオが、陸上自衛隊作の「旧ソ連による着上陸侵攻」であり、海上自衛隊作の「旧ソ連の潜水艦による日本のシーレーン攻撃」です。
旧ソ連は、その極東地域の地政学的脆弱性と西側に比較しての地域配備可能兵力の劣勢から、
同地域においては守勢に立たざるをえない状況にあったこと、また、いわゆる三海峡等の封鎖を前提とした海上自衛隊の対潜哨戒機による対潜水艦戦によって、日本の食料や原材料の備蓄が尽きる前に旧ソ連の日本列島以東海域所在潜水艦が壊滅したであろうことなどから、この二つのシナリオが非現実的であること は、当時の公刊資料だけによっても明らかです。
ちなみに航空自衛隊は、「国籍不明機」が日常的に領空侵犯未遂を犯していたことなどから
日本列島防空の必要性が一見明白であったことと、保有装備のハイテクイメージやカッコよさに助けられて人気があり、予算要求の観点からはともかく、対国民広報の観点から独自の「武力攻撃事態」シナリオを作る必要はありませんでした。

この自衛隊にとって幸せな時代は1991年、旧ソ連の崩壊によって第二次冷戦が終焉を迎えるとともに幕を降ろし、各自衛隊は冷戦下の任務を失って途方に暮れることになります 。

2 今後の防衛力
(1)安全保障環境の変化
 冷戦の終焉は、東西両陣営の対峙という巨大な紛争要因を消滅させた一方で、冷戦下において封じ込められていた民族・宗教がらみの紛争要因を顕在化させるとともに、冷戦下においても進行していたグローバリゼーションを一気に加速化させ、様々な紛争要因を新たに産み出しました。
 新たな紛争要因としてよくあげられるのは、大量破壊兵器(核、化学兵器、生物兵器)の拡散、国際テロリズムの先鋭化、国際環境問題の深刻化、貧富の格差の拡大、移民・亡命問題の深刻化、国際犯罪組織(麻薬等の製造・密売組織を含む)や海賊の跳梁、エイズの蔓延です 。これらの紛争要因の主体は、必ずしも伝統的な国際法の主体たる「国」(権力を奪取しようとしている反乱勢力、独立をめざしている民族解放勢力等を含む)ではありません。
 このように多様化した紛争要因に対処するためには、冷戦後の軍隊はいかなるものであるべきなのでしょうか。
 考慮すべきことの一つは「抑止」(Deterrence)から「予防的防衛」(Preventive Defense)へという趨勢です。それは、多様化した紛争要因の多くが、医療にみたてれば、対症療法では治療が困難であり、患者の体質改善が必要な部類に属するからです。
ただし、「紛争の抑止」が、抑止が破れたときの「戦争」(War)があって初めて成立するように、「紛争の予防」も、紛争勃発(ないし再発)の芽を未然につみとるためにやむをえずして行う「先制攻撃」(Preemptive  Strike)があって初めて成立します 。
軍隊が「戦争」や「先制攻撃」に従事すること、すなわち軍隊の真骨頂が戦うことにあり、軍隊の平素の最も重要な仕事がそのための教育訓練である点には、ポスト冷戦期といえども何ら変化はありません。
 しかし、軍隊の戦い方はおのずから変わってきます。
「戦争」(War)から「警察行動」(Police Work)へというもう一つの趨勢があるからです。多様化した紛争要因のうち、やはり医療にみたてれば、外科的治療(敵の殺傷)より内科的治療(犯罪者の処罰・更生)が要請されるものが多くなってきているということです 。
そうなると、余り手荒なことはできません。軍隊がやむをえず戦う場合でも、「敵」の戦闘要員や軍事施設以外 のいわゆるコラテラル・ダメージ(目的のための犠牲)が発生しないようにピンポイント攻撃をしたり、自らの人的損害もできるだけ発生しないようにいわゆるスタンド・オフ攻撃をしたりする必要が出てきます。
 以上から導き出される軍隊の姿は、長期間をかけて予備役を招集したり徴兵したりして動員した上で戦力化を図るために即応性に欠け、重装備であることもあって機動性に欠け、かつ牛刀をもって鶏を割くように柔軟性に欠ける、冷戦時代のようなものであってはならないということです。ポスト冷戦期の軍隊は、即応性・機動性・柔軟性に富む専門家集団でなければならないということになります。

(2)国民が期待する防衛力
日本に関わる有事を起きる可能性が高いものから並べると、「海外有事」、「武器攻撃事態」、「大量破壊兵器攻撃事態」、そして「武力攻撃事態」の順番になります。この順序は、戦後日本が主権を回復して以来、一貫して変わっていません。 
従って私は、有事法制については、一番起こりやすく、従って法制整備の緊急性が高い「海外有事」に関するものから始めて、順次整備していくべきだと指摘してきました 。
 同じことが、防衛力そのものについてもあてはまると思います。
しかし、「海外有事」への対処については、集団的自衛権問題をクリアしなければならず、国民的合意がまだ形成されていません 。
 他方、ポスト冷戦期の現在では「武力攻撃事態」が起きることなど全く考えられないという認識は、前国会に上程された「武力攻撃事態法案」なる有事法制案が総スカンを食ったところから見ても、国民の間に相当浸透してきたと見てよいでしょう。
また、北朝鮮による核ミサイル開発疑惑や累次の不審船事件、さらには昨年の米国での同時多発テロ事件等を受け、「武器攻撃事態等」に対する国民の危機意識は高まっています。
従って現時点においては、政府が「武器攻撃事態等」に対処するための防衛力や有事法制の整備を図ることを、国民が最大公約数的に期待していると受け止めるべきでしょう。

(3)残された課題
事実の紹介は以上で終え、最後に私見を申し上げておきます。
有事法制に関しては、冷戦の終焉までの間とポスト冷戦期とを問わず、「武器攻撃事態等」に対処するための法制と「海外有事」に対処するための法制とはその中身が大いに違っていますが、私は、冷戦の終焉までの間とは違って、ポスト冷戦期の現在では、唯一の軍事超大国となった米国以外の国々にあっては、「武器攻撃事態等」に対処するために最適な防衛力は、「海外有事」に対処するために最適な防衛力と中身的にほとんど同じになった、という仮説を抱いています 。
この仮説が正しく、従って日本にもあてはまるとすれば、国民の最大公約数的期待に応えて、「武器攻撃事態等」に対処するための防衛力を整備することこそ、最も適切な安全保障政策だということになるはずです。
その「武器攻撃事態等」に(実質的には「海外有事」にも)対処できる日本の防衛力は、自衛隊のこれまでの様々な「いびつさ」が解消された、「即応性・機動性・柔軟性に富む専門家集団」でなければならないでしょう。
もし、各国の防衛力の動向からこの仮説が検証でき、かつ日本の新しい防衛力のイメージを、この仮説に即して具体化し、提示することができれば、防衛力のあり方に関し、中期的に幅広い国民的合意を形成することができるのではないでしょうか 。