太田述正コラム#5074(2011.10.25)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その4)>(2012.2.10公開)
「旧文部省の天下り先は豊富でない印象が強いが、実際にはそうではない。・・・
<天下り先としては、>私立大学などが公益法人の代わりをしているのだと思われる。営利法人の方を見ると、・・・学校建設との関係<からか、>・・・建設会社が多いのが目立つ。」(117~118頁)
「農林水産省の天下り先の豊富さは厚生省と類似している。・・・」(118頁)
「環境省(=旧環境庁)・旧総務庁・旧経済企画庁・旧国土庁<という、>・・・戦後新しくできた・・・他省庁の影響を受けやすい・・・産業を所管していない・・・関連の非営利法人が少ない・・・官庁<は、>天下り先が豊富でない・・・。・・・」(120頁)
→たとえが不適切かもしれませんが、オリンパス「事件」がまだ立件されていない現在と雖も、この「事件」について、日本経済新聞が客観報道しかしていないことに対してもどかしさを感じるのと同様のもどかしさを、中野の天下りに関するこれまでの記述を読んで感じます。
このもどかしさの原因は、中野が、なぜ天下りというテーマを取り上げたのか、彼の問題意識を明らかにしていないところにありそうです。
そもそも、中野がこの研究に取り組み始めた時点で、中央官庁による天下り(官庁が関与する在籍高級官僚の再就職)のすべてが病理現象であるとは言えないにしても、その過半が病理現象なのか、それともその大部分は生理現象であるけれども例外的に病理現象が伴っているのか、一体中野はどちらだと思っていたのでしょうか。
少なくとも、それくらいは、本書において、まず最初に明らかにして欲しかったと思います。
言うまでもなく、私は、天下りの過半が病理現象である、と見ているわけですが、仮に中野もホンネではそう思っているのだとすれば、記述ぶりがかくも微温的なものにとどまったはずがない、という気がするのですが・・。
とはいえ、これから先の記述において、中野がこのもどかしさを解消してくれることに期待したいところです。(太田)
「天下りは何を基準にしているのか・・・それは収入などではなく、「傷つかない」「社会的地位」ということであり、個々人の能力を再利用しようという能力本位の視点ではない・・・。・・・
複数回にわたる再就職行動を見てみると、・・・複数の非営利法人への再就職を繰り返すケース・・・が圧倒的に多い。・・・
<また、>複数回(3回以上)の天下りを繰り返している者の天下り先を見ていると、徐々に天下り先のレベルが下がっていくのが一般的である。・・・<そして、出身>省庁と関連のうすい組織になっていく・・・の<が>典型であろう。・・・
時系列のデータの豊富な事務次官経験者や局長経験者の天下り先を追って見ていると、彼らの再就職先に明らかな変化があることがわかる。・・・
まず、事務次官の天下り先を見てみると、天下り先が豊富な役所を含めて、昭和40年代くらいまでは政治家への転身が目立つということである。・・・当選回数に基盤を置く自民党一党優位システムが完成するまでは、官僚トップとしての経験が非常に重宝されたことを示している。
第二に、政治家への転身が見られなくなるにつれて、特殊法人や公益法人などの非営利法人を中心とした天下りシステムができあがったことである。論者によって天下りの起源がいつなのかは異なるが、1960年代の高度成長期に数多くの特殊法人・公益法人が作られたことから考えると、昭和40年代が安定した戦後天下りシステムの完成期と見ていいだろう。・・・
第三に、経済産業省のような経済官庁でさえ、戦後時間を経るにつれて民間企業への再就職は難しくなったことである。これは特殊法人などの非営利法人を中心とした天下りシステムのコインの裏側とも言えるが、昭和60年代以降は特に顕著である。・・・
第四に、非営利法人中心の天下りシステムが完成するにつれて、個々人の能力や影響力を基盤にした天下りは減っている。・・・
第五に、・・・昭和期後半以降、・・・天下り先がそれほど豊富ではなくなったことである。・・・
第六に、天下り先の減少や世論への配慮もあって、事務次官の場合、1回目の再就職は座布団機関のような組織を経由することが多くなったことである。・・・80年代後半あるいは90年代に入って、天下り先の縮小や天下りそのものに対する批判から天下りシステムが揺らいでいるという指摘・・・もある。」(226、228~231頁)
→依然として、中野は現象を追う形の、客観的ではあるけれど表面的な記述を続けているだけだ、という印象がぬぐえません。
中野は、「天下りは何を基準にしているのか・・・それは収入などではなく、「傷つかない」「社会的地位」ということであり、個々人の能力を再利用しようという能力本位の視点ではない」、だから、天下りは人材を腐らせている、という、私自身も抱いている問題意識からこの研究を始めた、と思いたいところです。
いずれにせよ、中野には、天下りの変化を論じるにあたっては、まず、戦前に天下りがなかったのはどうしてか、を説明して欲しかったと思います。
私の仮説は、それは、第一に恩給制度があったからであり、第二に、高級官僚も含め、日本人の平均寿命が短かったからである、というものです。
その上で、戦後における天下りの成立と変化についての私の仮説は次のとおりです。
まず、戦後初期における政治家への転身は、天下りではなく、単に、戦前、他のソースに比べて相対的に能力の高いところの、高級官僚がその出身官庁の大臣等を含む政治家になる傾向が暫定的に続いただけのことである、と考えます。
そして、そのような例が減って行ったことについての私の仮説は、日本が属国化したことに伴い、そもそも政治家という職業に対する魅力が減った・・換言すれば、相対的に能力の高い者が政治家になる必要が減じた・・上、平均寿命が延びて行ったため、落選による失業という深刻なリスクが伴う政治家という職業に対する魅力が一層減じたからだ、というものです。
また、「時間を経るにつれて民間企業への再就職<が>難しくなった」ことについての私の仮説は、日本型経済体制が緩慢に、しかし着実に崩壊して行き、中央官庁が日本型経済体制の司令塔(財務及びマーケティング中枢)として次第に機能しなくなって行ったため、官僚が、官庁勤務時代に培った知識や経験を民間企業において活かせなくなって行ったからだ、というものです。
これに加えて、戦後、恩給制度が廃止され、当初のうちは、経過措置が講じられるとともに、一般の年金と国家公務員の年金との間にも格差が設けられたものの、経過措置の期間が終わり、かつまた、年金における官民格差が次第になくされて行ったことが、高級官僚のみならず、全中央官僚の再就職のニーズをいや増しに増して行きます。
こうした変化の結果、各中央官庁は、自前で、少なくとも高級官僚については、天下り先をでっちあげる必要に迫られ、所管の特殊法人・公益法人を濫造した上で、そこに高級官僚をはめ込む形で天下りさせて行くことになった、と考えるわけです。
また、防衛庁(防衛省)において、天下りがらみの不祥事が頻発するのは、制服の将官クラスを含めれば、天下りニーズが巨大であるにもかかわらず、他の官庁に比べて相対的に「特殊法人・公益法人を濫造」する等の定番的な天下り先の確保ができないために、無理をする形の天下りをさせざるをえないため、無理が露呈しがちであるからだ、と考えるわけです。
ところが、昨今、平均寿命が極めて長くなった一方で、年金制度が「崩壊」しつつあることもあって、国民世論の高級官僚の天下りに対する批判が飛躍的に高まり、天下りの維持が困難になりつつある、ということになるのです。
以上は、ことごとく仮説の域にとどまるものであって、本来、これらの仮説を一つ一つ検証して行く必要があるところ、かかる検証作業の一部なりとも中野がこの本で行ってくれていることを期待していたのですが、私の期待は裏切られつつあります。(太田)
(続く)
中野雅至『天下りの研究』を読む(その4)
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