太田述正コラム#0068(2002.10.19)
<カーター元米大統領の評価>
ベトナム戦争中の1968年3月に起こったミライ虐殺事件を覚えていますか。
ウィリアム・カレー中尉に率いられた米軍の一小隊が、ある村の300-400人もの老人、女性、子供を虐殺したという事件です。
翌年の11月にこの事件がスクープされ、ジョージア州で70年から始まった軍法会議において、カレー中尉に対し71年に有罪の陪審員評決が下され、終身刑が宣告されました。
これに対し、米国内では同情論が沸騰しました。左翼は、カレー中尉が将軍連中のスケープゴートにされたとし、右翼はこの判決が米軍兵士に対する侮辱だとしました。
その判決の日、ジョージア州の知事は、カレー中尉支援のジェスチャーとして、州民に対し、「カレー中尉が星条旗に敬意を表したように」車のヘッドライトをつけて走行するように呼びかけました。
その翌日、カレー中尉は仮釈放され、三年後には無罪放免になりました。
このジョージア州知事こそ、31年後、ノーベル平和賞を授与されたカーター大統領その人です。(以上、http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/DJ17Aa01.html(10月17日アクセス)による。)
カーター大統領は、フツーのハト派一市民のイメージで彗星のように大統領選に登場し、当選を果たしましたが、イランによる米大使館人質事件に対して手をこまねいたという批判を受け、一任期で交替を余儀なくされました。
このため、ソ連を「悪の帝国」と呼んで大軍拡によって追いつめ、ついに崩壊に追い込んだ、タカ派のレーガン大統領(共和党。任期1981-1988)と、その前任者であるカーター大統領(民主党。任期1977-1980)とは好対照の存在だと思われています。
しかし、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以前にひそかにデタントに見切りをつけ、大軍拡に着手したのはカーター政権でしたし、日本に防衛努力の強化を久方ぶりに要請しだけでなく、集団的自衛権の行使を強く促したのもカーター政権でした(コラム#30参照)。
また、最近、ソ連のアフガニスタン侵攻の六ヶ月近くも前にカーター政権がアフガニスタンでムジャヒディーン達に親ソ政権打倒を目的としたジハード(聖戦)を始めさせていたことが明らかにされました(http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/DL04Aa01.html。12月4日アクセス)。
更にカーター政権が初めて、敵性を帯びた国がペルシャ湾地域を支配するために行ういかなる動きに対しても米国の枢要な利益への攻撃とみなし軍事力を含むあらゆる手段で反撃する、とのいわゆるカータードクトリンを打ち出したことも忘れてはなりません。カーター大統領は、このドクトリンに基づき、緊急展開部隊(Rapid Deployment Force)を創設しました。この政策は、それ以降のすべての米大統領によって踏襲されてきています(http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/DK23Aa01.html。11月23日アクセス)。
一体、カーター氏は、究極のポピュリストなのでしょうか。それとも計算され尽くしたハト派・ポピュリストイメージを振りまくリアリストなのでしょうか。後者だとすれば、彼は大政治家だと言わざるをえません。
はたしてノルウェーのノーベル(平和)賞選考委員会にはその見極めがついたのでしょうか。同委員会の委員長の発言(コラム#65参照)から判断する限り、大変こころもとない思いがします。