太田述正コラム#5080(2011.10.28)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その7)>(2012.2.13公開)
<脚注:退職勧奨に応じなかった事例>
「1974年、当時の通産省事務次官山下英明氏が林信太郎立地公害局長に退職勧奨したところ、林氏が拒否し、局長在任期間を過ぎても登庁し続けたという事件があった。林局長は局長室を追われ、「官房付」となったが、この事態に若手官僚が林氏を激励するなどしてマスコミにも取り上げられるようになった。この事態に困った通産省は、林氏を「北海道通産局長付」として、何年も後輩の地方局長に仕えろという厳しい仕打ちを行ったため、林氏もほどなく辞職してジャスコ副社長に転身した。」(409頁)
→林信太郎公害保安局長(のちの立地公害局長)とすべきであったようだ。
ちなみに、「通産官僚の流通業界への入社は、元中小企業庁長官の樋詰誠明が大丸副社長となった例を除けば、初めてだった。・・・1984年6月 副会長(1988年6月まで)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E4%BF%A1%E5%A4%AA%E9%83%8E_(%E5%AE%98%E5%83%9A)
最近の、古賀茂明の事例を思い起こさせるが、いずれにせよ、レアケースであるとともに、この2人の事例に限って言えば、戦後において官僚に対する所管大臣の任免/昇任・降任権(補職権ではない)がいかに形骸化しているかを示すものであると言えよう。
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「非営利法人に天下った官僚に対する根強い批判<中>、・・・<彼らが>充分な経営実績を上げていないという点について・・・は、非営利法人の中には民営化が望ましいものや、廃止すべきものもあるが、多くは民間が参入しない慢性的な赤字事業を行っているものであり、そこに天下った官僚が業績を上げることは難しいと言われる。
次に、労働条件の良さと民間に開放していないという点であるが、現在の特殊法人の長の労働条件では、民間の優秀な経営者は誰も手をあげないという意見も根強くあるし、最近の政府系金融機関の人事でも、民間企業にはなり手がいないような報道がなされている。・・・
元通産官僚で現在長野県知事の村井仁・・・は、特殊法人の給与については、民間の優秀な人に経営を委ねたいという考え方から、民間企業と遜色のないレベルにするという設計がなされてきたと思うとし、民間の給与水準が高くなるにつれて民間企業がしかるべき人を出してくれなくなったと指摘している。その際、自分自身が大企業の副社長を特殊法人トップに招こうとした時の経験を話しているが、相手方の秘書部が、「特殊法人のトップにはそんなに交際費はない」という話に愕然としていたということを述懐している。」(406、410頁)
→「特殊法人は、営利目的の市場原理による実施では不可能か、不可能に近いような事業を実施を目的として設立されることが通常であ<り、>・・・運営上は、法人税や固定資産税などの納税が免除されたり、国の財政投融資による資金調達が可能であるなどの大きな特典を有している反面、事業計画には国の承認が必要となること、不採算事業からの撤退等が簡単にはできない点など、国の意向に大きく左右される点も有する」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%B3%95%E4%BA%BA
わけですが、これらは多かれ少なかれ非営利法人全体の属性でもあり、要するに、非営利法人は、本来官僚機構内にあってもおかしくない存在なのであることからして、民間企業等の人々より官僚の方がその幹部にふさわしい人が多いと言うべきでしょう。
そうである以上、経済情勢いかんによって、非営利法人の広義の報酬の水準が民間に比べて相対的に上下することはあるとしても、そんなことはほとんど再就職(天下り)問題とは関係ないのではないでしょうか。
なお、この本で、(表の中ではなく文章の中で)実名で登場する官僚は意外に少ないのですがこれまででも、天野定功(110頁。郵政省。浩志会OB幹事会)、宍倉宗夫(115頁。大蔵省。防衛庁官房長・事務次官)、長尾正和(234頁。運輸省。防衛課部員)、細川興一(240、368、382、385頁。大蔵省。防衛担当主計官)、西村吉正(241頁。大蔵省。防衛担当主計官)、田村秀昭(英昭と誤記されていた)(361頁。航空自衛隊。参議院議員)、中島洋次郎(361頁。NHK(特殊法人)。防衛政務次官)、加藤紘一(363頁。外務省。防衛庁長官)、岩田喜美枝(369頁。労働省。浩志会)、小粥正巳(371頁。大蔵省。主計局次長)、小川是(403頁。大蔵省。防衛担当主計官)、そして村井仁(410頁。通商産業省。防衛庁装備局管理課長)
http://spysee.jp/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E5%AE%9A%E5%8A%9F/1006425/
(宍倉、長尾両氏については、サイトなし)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%88%88%E4%B8%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E5%90%89%E6%AD%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E7%A7%80%E6%98%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%B4%8B%E6%AC%A1%E9%83%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%B4%98%E4%B8%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E5%96%9C%E7%BE%8E%E6%9E%9D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%B2%A5%E6%AD%A3%E5%B7%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%98%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E4%BB%81
といった、私が関わりを持った懐かしい人々が登場しています。(太田)
「天下りが行われているのは官庁だけに限らないという指摘もある。特に大企業の場合、退職する中高年社員や幹部のために子会社を設立したり、関連会社を作ったりすることはままあることであり、取引先に人材を送り込むこともある。・・・
伊丹・・・は<それには>3つの複雑な事情が絡んでいるのではないかと指摘している。第一に、天下る人の雇用を確保したり、その人の経験を活用するという「前向きの意図」から起こっているということである。第二に、「やむをえざる事情」で、役員レースで敗れた人々への処遇であり、組織内部に対立の種を抱え込むよりは子会社へ火種を出した方がよいということである。第三に、「後ろめたい事情」で、親会社の人事上の窮状処理を子会社に押しつけるということである。・・・
ただし、民間企業の場合には官庁と異なって、・・・経済原則には従わなければならないということがある。天下りによる非合理が行き過ぎればマーケットで淘汰される。」407頁)
→ここも、最後のセンテンスで尽きており、いわでもがなの箇所です。(太田)
「川村・・・は、戦前には一、官吏服務紀律を見ても天下り規制が存在しなかったこと、二、天下りという現象自体例外的で、高級官僚の多くは退官すれば恩給を受けて悠々自適の生活を送るということだったこと、三、退官後まで稼ぐのは「天皇の官吏」だった身としての体面にかかわるという意識もあったらしいこと、四、当時の産業構造から考えて今のように天下り先がなかったこと、五、他方で、戦後インフレの中で恩給だけでは生活できなくなったこと、六、公職追放の結果、各省幹部が若返り、退職年齢も若くなったため、再就職先の確保が必要となったことを指摘し、・・・<天下りが>戦後的な現象であることを暗に示すような論を展開している。ただその一方で、天下りの淵源としては「戦後統制経済の実施が役人と業者の癒着の土壌を作った当たりにありそうだ」と指摘している。
同様の指摘は早田・・・も行っている。・・・<すなわち、>一、戦前においても天下りの事例が見られるが、数が増してくるのは大正末期から昭和初期およびそれ以降であること、二、天下りが発生し、それが日常化及び構造化するには、それなりの重要な前提的基礎が必要であること。三、具体的に言うと、官僚制度および官僚と民間部門との経済的人的関係の癒着が定着化し、構造化することであるが、それは1931年の満州事変を契機とする戦時体制への傾斜のなかに見いだせること、四、その後、太平洋戦争に突入していく中で、重要産業ごとに強制カルテルを組ませるために統制会が作られるようになり、統制会のトップの多くに官僚出身者が就任したことから、戦時経済体制とともに天下りの源流ができあがったという説を展開している。・・・」(412~413頁)
→私の指摘したところの、戦前の天下りの少なさの原因たる恩給制度の存在、戦後一時期の民間企業への天下りの原因たる満州事変頃からの日本型経済体制の成立、という仮説は、ほぼ正しそうですね。(太田)
(続く)
中野雅至『天下りの研究』を読む(その7)
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