太田述正コラム#5301(2012.2.15)
<皆さんとディスカッション(続x1464)>
<太田>(ツイッターより)
ヒューストンの歌唱傑作5選だ。三番目の米国国歌は余りにも有名だが、ぜひ改めて聴いて欲しい。
できれば、その能書きも読んでね。
http://www.guardian.co.uk/music/musicblog/2012/feb/12/whitney-houston-five-great-performances?commentpage=1#comment-14618119
「バレンタインに男性が恋人にしたい憧れの女性スタートップ10」
http://j.people.com.cn/94638/94657/7728014.html
変わり映えしないねえ。
イギリス人のラブレター10選だ。
(同性愛も一つ入ってるよ。)
http://www.guardian.co.uk/books/gallery/2012/feb/14/valentines-day-best-love-letters#/?picture=385830909&index=0
<太田>
その米国版があるのに気付いた。
http://newsfeed.time.com/2012/02/14/top-10-famous-love-letters/#henry-viii-to-anne-boleyn
どっちもヘンリー8世のアン・ブーリン宛てのラブレターから始まってるのは出来過ぎか。
こっちの方は、一応世界を相手にしてるが、英米以外は、フランス1、ドイツ1、メキシコ1にとどまる。
<bonkers_blunder>(ツイッターより)
普天間基地の固定化は、政権交代を実現し野田首相をいただいても日本の米国の植民地化は食い止められなかった、ということになるんでしょうか。
<太田>
沖縄の人々が、(勝利した候補者自身が親基地から反基地へスタンスを変えていたところの)2010年の県知事選の結果や今回の宜野湾市長選挙の結果が端的に示しているように、マッチポンプでもって最大限本土政府からカネを引き出す、というこれまでのやり方を改めようとしていない(注)以上、本土政府が、沖縄の基地問題を日本の独立のために利用するのは不可能に近い、ということでしょうね。
(注)NYタイムスもお見通しですぞ。↓
・・・<Okinawa> can often seem united in its resistance to the new airfield at Henoko and, more broadly, to the large number of military bases that the United States has maintained here since the end of World War II. But look more deeply and a nuanced picture emerges, one that seems to offer a possible chance of some sort of compromise. ・・・
・・・they・・・want the jobs and other money the bases bring to Okinawa, by many measures the poorest of Japan’s 47 prefectures. ・・・
http://www.nytimes.com/2012/02/15/world/asia/okinawan-views-on-us-military-presence-are-nuanced.html?_r=1&ref=world&pagewanted=all
<αββα>(「たった一人の反乱」より)
政府、復興財源に「休眠預金」検討=金融界は反対
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120215-00000056-jij-pol
政府はこの国をどうなされるおつもりなんでしょうね。
<太田>
さて、本日も、「天皇制」スレッドでの私がらみの議論をコピペしとくね。
<xfh1COmP>(2012.2.14)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1325763572/
・・・<戦前の日本では>帝国議会も大審院も全くもって機能していない。
三権分立など、幻である。
何故なら、大審院は司法省管轄の一組織であり、司法大臣の指揮命令を受ける。
これでは司法の独立性を保てない。
あと、議会も現在の国会と比べると権限が小さく設定されていた。
伊藤が憲法を作成する時に、立法府の権限を縮小するよう、ドイツのヴィルヘルム1世からアドバイスを受けていたためだ。
そして行政は、天皇の勅令だとか、元勲の指示だとかで、どうにでも国民を説得出来た。これでは権力の分立など夢である。
<u3qVFZxp>(2012.2.15)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799/1-100
実例もなく嘘をつくな。
司法の独立は守られていた。
それは、大東亜戦争中の衆議院選挙違反【軍部施策追認政党と揶揄される大政翼賛】<事件の裁判を見れば分かる。>
1942年4月30日投開票の第21回衆議院議員総選挙で鹿児島2区選挙無効裁判があり、大政翼賛議員を選挙違反で当選無効と勇気を持って判決し、1945年3月1日に大審院第3民事部(吉田久裁判長)は冨吉の訴えを全面的に認め、翼賛選挙は自由で公正な選挙ではなく、規定違反の選挙は無効となる旨を定めた衆議院議員選挙法第82条に違反し無効であるとの判決を下した。
この判決を受けて、3月20日に鹿児島2区のやり直し選挙が行われている。
軍部の意向が絶対と戦後宣伝されたのは嘘だった事が証明された。
判決文は長らく所在が不明となっており戦災で消失したものと見られていたが2006年に最高裁判所の倉庫で61年ぶりに発見された。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kikotsu/yoshuu/index.html NHKで放送
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B62%E5%8C%BA%E9%81%B8%E6%8C%99%E7%84%A1%E5%8A%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ウキ
<1eoF8O7+>(2012.2.13)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1325763572/
≫天皇をトップとする階級社会であると指摘してる≪(コラム#5297。gm8DKlTS)
確認しとくが、この分析は明治から戦後にかけての日本についてのものか。
≫全体主義の起源は、・・・単元的な社会を創出したことにある。≪(同上)
それは全体主義が成立する段階にまでしか遡っていない。
アーレントは、全体主義の成立した原因の考察を、ナショナリズムが成立した時期からしか行っていない。
そもそも個人がアトム化してしまったのは、カトリシズムによる個人の抑圧が原因とするのが俺の主張。
俺は、アーレントより考察する時代対象をさらに拡大して、個人がアトム化して暴走してしまった原因をカトリシズムに求める。
カトリシズムは人々を教会という権威の下に共同体を組織させ、自らの教義に反する考えを弾圧した。
となると、人々は自立した精神を持ちにくい。
このように、カトリシズムが浸透した欧州大陸では、教会という強固な共同体があったが、その中では均質な価値や考えが押し付けられ、人々は精神的に自立できずに共同体の中で埋没していた。
しかし、社会が近代化し、それに伴い啓蒙思想が生まれると、それに伴い人々は宗教的な権威を否定するようになり、社会は世俗化していった。
すると、人々はカトリシズムの設置した教会を攻撃し、教会が組織した共同体も崩壊した。聖書の教義も否定された。
社会において共同体である教会が崩壊し、それまでの価値観であった教義も揺らぐと、発生するのはカトリシズムから解放されたアトム化した個人である。
しかし、彼らはそれまで教会に抑圧されていたので自立心が存在せず、均質な価値観を求める精神を有していた。すると、人々は自ら抑圧的な権力を求め、全体主義が誕生した。
お前のいう、大衆による大衆の抑圧。
このように、カトリシズムは強固な教会によって共同体を組織し、内部で教義を押し付け人々の自由を抑圧した。
しかし、社会の近代化によりカトリシズムが否定されるようになると、共同体は崩壊し、アトム化した個人が大量に発生した。
しかし、長年の抑圧により自立心がないため、カトリシズムに変わる均質な価値観を求め、全体主義が誕生した。
結局、カトリシズムが個人の自立を奪い単元的な価値が支配する共同体を組織したから、大衆はカトリシズムから解き放たれたというのに、今度は教会権力に変わり、自らが自らで均質な考えが支配する共同体を組織したというわけである。
よって、アーレントは全体主義の原因を個人のアトム化に求めるが、それはそもそもカトリシズムによる個人の抑圧のせいで発生したのではないか。
となれば、全体主義のより深い根源は、アーレントの指摘よりもより深いところにあり、欧州文明=カトリシズムにまで遡ることができるといえる。
俺の主張とアーレントの主張は基本的に矛盾せず、むしろ、俺の主張はアーレントの缺欠した時代区分を補間し合っている。
ただし、上記文章には一見矛盾した点が見られる。上で俺は、欧州においては、カトリシズムにより個人は抑圧され、自立心を奪われた。
しかも、個人のカトリシズムからの解放後は、人々は抑圧的な権力を求めるようになった、としている。
それは、価値が混乱をきたし、共同体が存在しなくなると、人々はアトム化した個人となるという、アーレントの主張と合わない。
カトリシズムにより自立心を奪われていたのならば、そもそもカトリシズムから解放されても、個人という自立心を持ちえた存在にはなりえないからである。
なので、俺はアーレントの主張には留意すべき点があると考える。
アーレントは、個人がアトム化すると全体主義が誕生すると言ったが、ここでいう個人とは、純粋に共同体から孤立した個人のことをいうのであり、個人主義者という意味ではないということである。いうなれば、共同体から放り出された自立心の無い個人、ということである。
≫終末論はプロテスタントを見られる考えで、カトリックだけに見られる独特の考え方でもない。≪(同上)
つまりプロテスタンティズム普及地域で全体主義が発生したことの説明がつかないということか?
プロテスタンティズムもカトリシズムと大差ない。
現在普及しているルター派(ルーテル派)プロテスタントもまた、人々に教義を押し付け、自由を抑圧するという点はカトリシズムと何ら変わらないから。
実際、シュマルカルデン戦争後のアウクスブルクの和議では、各領邦の領主はカトリックとプロテスタントのいずれかを選択する権利が与えられたが、当該領主の支配に服属する人々には選択権が認められず、領主の選択した宗派を信仰しなければならなかった。
人々は、自分の信仰する宗派を信仰し続けたいならば、全財産を放棄する条件で、自己の宗派を国教とする領邦に移住することができた。
このように、領主も、非常に厳しい条件ながら人々も、キリスト教内の宗派選択は可能であった。
しかし、キリスト教を信仰せず、他宗教を信仰したり、無宗教であることを保証する、信教の自由は認められなかった。
よって、最初の通り、プロテスタントも、自らの優勢な地域では、人々に教義を強要し、それを信じない自由を与えなかったので、カトリシズムと大差ない。太田氏も、下記に示す頁で上記のことがらを述べている。
(http://blog.ohtan.net/archives/50955774.html)
・・・
≫相対的にも自由主義的な社会ではない事の表れです≪(同上)
まず、社会大衆党はファシスト党に分類されない。もしされるとするならば、典拠を示せ。
一般的な事実ではないのだから。
≫戦争を伴うような危機観は、自由主義的な振る舞いが後退することはむしろ当然≪(同上)
争点ではない。
≫戦前とは時代が異なるアメリカにおけるレッドパージを引き合いに出すことは、 同時代における比較とも言えずナンセンスです。≪(同上)
たしかに同時代の比較とは言えない。
よって先に示した自分の言動と矛盾しているかもしれない。
しかし、そうだとしてもこれは無意味ではない。なぜならば、戦後日本を「民主化」して戦前の治安維持法を廃止させたGHQを設置した当のアメリカが、戦後になって治安維持法と同等の役割を果たしたレッドパージを行ったからである。
つまり、アメリカは自身が非民主的であるとした治安維持法と同等のものを、法と運動という形式の違いはあれ導入したということである。
治安維持法は非民主的であるというアメリカの考えに従うと、戦後のアメリカは、共産主義を弾圧する点で、日本と、それも戦前の日本と同水準の非民主的な社会に陥ったということになる。滑稽である。
≫日本を個人主義的社会だとするならば、和辻の考えを引き合いにだすのはオカシイ≪(同上)
やはり、和辻の考えを全く理解していない。
たしかに、俺は最初に日本を個人主義的社会であると主張した。
しかしそのことと和辻の考えは矛盾しない。
俺は、便宜上、日本の社会のあり方を、個人主義的である、とあえて断片的で不完全な示し方をしたに過ぎないからである。
和辻の考えに従うと、日本人とは集団的であると同時に、個人的でもあるのである。
人間主義という人間の在り方は、他人との社会関係によって人は初めて存在することができるとしている。
しかし、だからといって人間主義における人々の個性は決して弱いわけではないのである。
実際、古来の日本人たちはけっして他人への依存心が強いため、独立できないような人々ではなかった。以下、典拠を示す。
(http://blog.ohtan.net/archives/50955204.html)
一方で、人間主義的な人間関係における人々は、他人の為に役立とうとする利他的な人々である。
彼らは、他人との関係性によって人として存在することができる。
したがって、彼らは他人を強く意識し、彼らが助けを必要としている際には、人間本来の共感能力を以てそれを察知するからである。
実際、東日本大震災の時には、日本人がお互いを気遣い列を作った光景が見られ、それはヴァーチャル空間であるネットゲームですら見られる。
このように、人間主義における人々は、個性にあふれると同時に、他人への気遣いをもみられるという、たいへんバランスの良い優れた人格の持ち主である。
・・・
≫むしろイデオロギーを意味することが判ってない≪(同上)
そうではなく、なんのためにあえて君がいままでの哲学的な概念を議論で持ち出してきたのか意義が分からないから。
その後、どのような論を展開したいのか判然としない。
よって、哲学的な概念を持ち出すことはKYであるとした。
・・・
<Kkx5w81J>(同上)
<戦前の日本のファシスト国家化は、>ナチスやイタリアのファシスト党との比較で述べてる以上、1925年以降辺りからでしょう。
>アーレントは、全体主義の成立した原因の考察を、ナショナリズムが成立した時期からしか行っていない。
国民国家の成立過程そのものがナショナリズム的な運動。
別にそれがドイツだけに見られるようなものではなくフランスでもあった。
しかし、カトリック信者が多いフランスと比べ、ドイツが全体主義体制に最終的に至ったのは、歴史伝統に根ざす19世紀における階級社会の崩壊と、それによって伴うことなった「不明確な民族的な共同帰属感」というものが、「拡大され種族意識」に結びつき、種族的なナショナリズムに変質したことにあったとされる。
>よって、アーレントは全体主義の原因を個人のアトム化に求めるが、それはそもそもカトリシズム>による個人の抑圧のせいで発生したのではないか。
いいえ、全体主義の起源は「現代大衆社会のアナーキスティクな登場の内にある」とし、個人の抑圧を起源してる訳ではありません。
>つまりプロテスタンティズム普及地域で全体主義が発生したことの説明がつかないということか?
だから上記に書いたように、プロテスタントの国でるアメリカであってもファシズムの温床と呼べるものは常に抱えてる。
但し、それが社会の表舞台に出るには、多くの社会集団が個人にとって拠るべき存在となり得ないほどの、社会的混乱を引き起こすトリガーが必要があるということ。
・・・
>まず、社会大衆党はファシスト党に分類されない。もしされるとするならば、典拠を示せ。一般的な事実ではないのだから。
「自由と平等の昭和史」。一般的な昭和研究では、社会大衆党はファシズム党に分類されていることを述べています。
しかし、本書の立場は、社会大衆党は国家社会主義者だとしても、そうじゃない面もあることを救い挙げてる。
但し政党とは別に、戦前の日本の中で、軍ファシズムと呼ぶに値する勢力が存在した事を述べています。
>そうだとしてもこれは無意味ではない。
同時代の中で比較しないと意味ないでしょう。現代中国であっても、中世フランスと比べれば自由に生きられる。
だから現代の中国は、自由主義国家だとも言えてしまう。
>東日本大震災の時には、日本人がお互いを気遣い列を作った光景が見られ、それはヴァーチャル空間であるネットゲームですら見られる。
上記のような光景でもって、さすが日本は個人主義的な人達だとするような論評は見たことがありません。
人間主義=個人主義の関係における意味合いを、あなたが取り違えてるからでしょう。
>そうではなく、なんのためにあえて君がいままでの哲学的な概念を議論で持ち出してきたのか意義が分からないから。
上記に書いたでしょう。政治におけるイデオロギーを考察する場合、哲学を抜きして深く語られることでもあったのですか?
<dp7kKD2g>(2012.2.14)(同上)
<戦前の日本のファシスト国家化については、ドイツと同じような>それも、ある程度あるかもしれないが、個人が伝統的に弱いのはあるかもしれないね?
後、最近気が付いたが、現在の日本の場合は、サヨクと言うよりも、もっと別な、不特定の集団みたいなのが、権力を支配していますね?
誰が大ボスとか言うようなものではなく、その大ボスが居なくなっても、別なボスがすぐに代行をしているような?
<戦前の日本のファシスト国家化の話に戻るが、>1925年あたりから、貧乏な農家や足軽的な庶民などが、中央政府や上流階層や中流の上部へと、成功して行く傾向が、減って行ったわけだ。
<5knwxFro>(同上)
<減って行ったのは>警察が封鎖<たとでも言うのか>?
意味が分からない
<果たして、日本では>伝統的に個人が弱いの<だろう>かな?
<日本人だって、>追い詰められたら強いと思う。
今は弱いと思う。
占領政策の結果だと思うけど、弱いというか真面目なんじゃないかな?
自分を主張しなくちゃ生きていけない歴史とそういうことは必要なかった歴史の違いとか…?
脅したり騙したり嘘でも芝居でもやって略奪もやる。
弱いやつが悪いと。
日本人はそういうことをやらずにすんできた<ということだろう>。
<CbzVvMYx>(同上)
<dp7kKD2gクン、>中途半端な悪役が、芝居をさらに中途半端に、ぐちゃぐちゃにしている感じだな。
悪役なら大物になってほしいところなんだが?
<また、5knwxFroクン、>強い真面目ならいいんだけど、現在はある人たちを除けば、個人は弱くなってきているね?
日本の場合、室町時代後期ぐらいまでは、織田信長とか足利義満とか、自己をある程度主張してた人もいたが、いわゆる朝廷の皇家や公家の人たちによって、その小さい自己主張すら芽をつまれてしまった。
そのあたりに、個人が弱いということにもつながっている要素はあるね。
<n8iG5U0n>(2012.4.14)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799/1-100
>ナチスやイタリアのファシスト党との比較で述べてる以上、1925年以降辺りからでしょう。<(Kkx5w81J)
『東京に暮らす』によると、日本の社会では、人々の生活にあまり差がないことが示されている。
これは、人々の階級意識がない/欧州などに比べると極めて微弱であるということの証拠である。
太田氏は、『東京に暮らす』の中で、当該書籍中の階級への言及部分を取り上げている。
(http://blog.ohtan.net/archives/52095497.html)
>国民国家の成立過程そのものがナショナリズム的な運動。別にそれがドイツだけに見られるようなものではなくフランスでもあった。しかし、カトリック信者が多いフランスと比べ、ドイツが全体主義体制に最終的に至ったのは、歴史伝統に根ざす19世紀における階級社会の崩壊と、それによって伴うことなった「不明確な民族的な共同帰属感」というものが、「拡大され種族意識」に結びつき、種族的なナショナリズムに変質したことにあったとされる。<(同上)
とりあえず、読みにくいから文章は1文1文を短く書くべき。
また、ただでさえ抽象的な概念を多用しているわけだ。
ならば、なおのこと文章に具体例を挙げる必要がある。
さらには、できれば典拠があればよい。もっとも、これは俺もしてないことが多いから、人のことは言えないが。どっかのをただ丸写しすうるだけじゃあダメだな。
>いいえ、全体主義の起源は「現代大衆社会のアナーキスティクな登場の内にある」とし、個人の抑圧を起源してる訳ではありません。<(同上)
着目する焦点がずれている。
俺は全体主義のより深い起源の原因を述べたわけだから。
いわば、全体主義の起源の起源。
>社会大衆党はファシズム党に分類されていることを述べています。<(同上)
「自由と平等の昭和史」の主張を要約して掲示を求める。
>同時代の中で比較しないと意味ないでしょう。現代中国であっても、中世フランスと比べれば自由に生きられる。<(同上)
俺が出した例は、時代こそ違うものの、戦前日本と、それより自由主義的とされるアメリカで、自由の程度がある点で同じくらいだということを挙げた。
つまり、戦前の(一般的には)不自由な国と、戦後の自由な国を比較し、前者と後者の自由の度合いが一緒ということ。
お前のは、現在の不自由な国と、(大昔の)自由(でもないが)な国を比較している。
俺の主張を理解できていない。
>上記のような光景でもって、さすが日本は個人主義的な人達だとするような論評は見たことがありません。人間主義=個人主義の関係における意味合いを、あなたが取り違えてるからでしょう。<(同上)
読んでないやろ。
>政治におけるイデオロギーを考察する場合、哲学を抜きして深く語られることでもあったのですか?<(同上)
出し方が稚拙すぎだろ。もう覚えていないかもしれないが、最初に議論を始めた時は、相対的自由を挙げて俺を非難していた。
では、そのことが現在の議論に反映している箇所があるか。それをイデオロギーでは哲学を出してはいけないと俺が主張していると見なすのは拡張解釈。
・・・
今後の予定
1戦前の日本は自由民主主義であった。
2戦前の日本は東亜の自由と平和のためにたたかった。
3アメリカは国民党と中共を支持し、日本を破滅させた。
4平和に対する罪はアメリカにある。
いちおうここまで達成かな。
5日本の憲法は、誤った歴史認識や思想を前提に作られている。
6そのような前提により作られた戦後憲法とは、馬鹿げている。
7日本の天皇制とは、権威と権力の分離である
8それにより、これまでの日本では両者を併せ持った絶対者が存在してこなかった。これに伴い、変革が円滑に行われ、人々には自由があった。
9現在の天皇制は、日本国憲法の枠組みに捉われていて、時には憲法と抵触しかねない個所もある。
10現行憲法は馬鹿げたものであるので、改正する。その際、天皇を正式に国家元首とし、軍の最高司令官とする。これにより、これまで発生した現行憲法と天皇制との抵触状態を解消する。ただし、戦前の規定のように、天皇に絶対君主の権限を与えることは回避する。
11天皇制は晴れて、憲法と抵触することもなく、名実ともに立憲君主として日本に君臨する。
<Kkx5w81J>(同上)
>『東京に暮らす』によると、日本の社会では、人々の生活にあまり差がないことが示されている。
そんなことはないでしょう。515事件や226事件は、格差社会の是正が目的としてあった。
こうしたクーデターが繰り返されたのに格差がないという誤りです。
もちろん統制経済が強まるにつれ格差は是正されるようになりましたが、経済活動において自由主義的な理念が後退した結果に拠るものです。
自由主義が先立つ形で、格差是正が為されてる訳ではありません。
>ならば、なおのこと文章に具体例を挙げる必要がある。さらには、できれば典拠があればよい。
内容については、全体主義の起源に関する内容を概説したものからの抜粋です。
「」内については、全体主義の起源に書かれてる内容の抜粋です。
君の妄想によって語られる内容にコメントするには、十分な体裁でしょう。
>着目する焦点がずれている。俺は全体主義のより深い起源の原因を述べたわけだから。いわば、全体主義の起源の起源。
フロムも全体主義は、個人がアトム化する中で生じる事を説明していますが、彼は哲学にも大きな影響を与えた心理学者のフロイトにおける人間に対する眼差しを継承しています。
フロイトは、人間は常に凍える存在だとしていましが、
こうした弱い存在としての人間的な本質が「全体主義の起源の起源(?)」に該当するのではないでしょうか。
>「自由と平等の昭和史」の主張を要約して掲示を求める。
以前、書いた通りです。
>戦前の(一般的には)不自由な国と、戦後の自由な国を比較し、前者と後者の自由の度合いが一緒ということ。
戦後のアメリカはレッドパージがあったとはいえ、国民の多くは社会に復帰し、家族も含め自由な生活を送っていました。
それは男性の多くが徴兵によって駆り出され、厳しい制約の中での生活を強いられる戦前における日本の状況とは大きな違いです。
決して、戦前の日本と終戦後におけるアメリカも同じだとは言えないでしょう。
>読んでないやろ。
個人主義とは良い意味で捉えれば、人間中心主義的な考えを起点として、そこから浮かび上がった尊厳や目的性については、等しく異なる相手に対しても尊重しましょうという立場。
一方で和辻の人間主義の発想の起点は人との人の関係性から生じることなった道徳的な発想。
人間主義=個人主義という意味にはならないし、だとすと戦前日本は和辻が人間主義の社会だ=個人主義の社会だという事にもなりません。
>最初に議論を始めた時は、相対的自由を挙げて俺を非難していた。
いいえ、同時代における相対的な比較について、見方としてあり得るとしてはむしろ後からです。
自由主義に関しては、当初、主義とは運動的なものである以上、そうした思想に基く、社会に移ろいがないと、自由主義社会とは言えないのではないかということです。
以上、江戸末期~大正時代における社会的な推移はまだしも、昭和~敗戦期の日本社会は、自由主義的社会だとは言えないということです。
・・・
<4vW7WSpT>(2012.2.15)(同上)
>戦後のアメリカはレッドパージがあったとはいえ、国民の多くは社会に復帰し、家族も含め自由な生活を送っていました。それは男性の多くが徴兵によって駆り出され、厳しい制約の中での生活を強いられる戦前における日本の状況とは大きな違いです。決して、戦前の日本と終戦後におけるアメリカも同じだとは言えないでしょう。
横からのレスで悪いが、支那事変以降の有事下にあった日本と、第二次世界大戦後の平時下のアメリカを比べて、自由度で後者が勝るのは当たり前の話だろう。
なぜなら、如何なる自由民主主義国家であれ、有事においては(危機の度合いに応じて)自由に厳しい制限が為されるものだからだ。
少なくとも、戦後のアメリカと比べるならば、支那事変以降の日本ではなく、それ以前の日本と比べるべきだろう。
私が思うに議論すべきは、第一に有事下に入る前の日本が自由民主主義的な国であったかどうかであり、第二に(戦前の日本が民主主義的な国家だったとして)有事に突入して以降、自由民主主義的な色彩を残していたかどうかではないか。
<vvgbHYcf>(同上)
>横からのレスで悪いが、支那事変以降の有事下にあった日本と、第二次世界大戦後の平時下のアメリカを比べて、自由度で後者が勝るのは当たり前の話だろう。
まったく、その通りですよ。
昭和という時代は、戦争が激化するにつれて自由は制約される傾向にあった。
しかし、”34”は、「戦前の(一般的には)不自由な国と、戦後の自由な国を比較し、前者と後者の自由の度合いが一緒ということ。」という主張してるのです。
この「」の中で、不自由な国とは日本であり自由な国とはアメリカを指します。
政治学辞典による自由主義とは、自由を指導原理とする態度及び思想を言うが、それが一つの教説にある為には、
(1)なぜ自由が重要であるかを説明し、
(2)その自由が適用されるべき範囲を確定し、
(3)さらにその自由を実現する為の社会的・実践的条件を掲げないといけない。
その思想内容は(1)~(3)の応答内容によって様々に異なる。
しかも自由主義は、自由の如何なる意味にも還元できない。
よって昭和時代以降が、自由主義的”社会”だとするには、上記における思想的な枠組みが存在し、かつ社会に根付くほどに広く認められた上で、その営みとして実践されてる状況が必要だと思うのです。
”同時代”における相対的な比較による認識については、議論の途中から一般的な認識の仕方としてあり得るという補足の主張はしましたが、やはり、政治学的な眼差しで言えば、自由主義的”社会”だとするには、言説の存在のみならず、その言説に概ね従った、社会的な実践が見て取れないと、自由主義的社会としては理解し難い物だと思うのです。
<kDE6mSc/>(同上)
戦前の日本は自由主義であり、自由貿易主義体制、完全に供給過多であり、それを世界中に輸出し外貨を得ていた。
アメリカがその中心だったが、貿易相手国は増加し続けていた。
自由貿易主義の最大のパートナーはアメリカ、アメリカも自由貿易主義国であり、ブロック経済を行なっていた欧州主要国に対し、日本と共に抵抗していた。
アメリカや世界諸国と日本の関係は悪くなかった。
国際連盟から脱退してもそれは変わらず、それが国際的に孤立するきっかけというのは間違い。
<vvgbHYcf>(同上)
また上記の説明の中で、相対的な比較から自由主義の有無が述べられていないように、政治学的には、あくまでも掲げることになった言説に忠実であるかに拠る。
よって、その自由主義が意味するものは、言説の範疇において認められるものであって、様々な社会的な領域において、無条件に通底する地位を得るようなものでもない事に注意が必要だと思います。
それにしても”<n8iG5U0nクン>”は”異なる時代”を跨いだ上での相対的な社会比較をする作法を是としてるようですが、その理屈については、私にも良くわからない。
<kDE6mSc/>
自由主義国にとって、共通の敵は共産主義国であるソ連であった。
日本もソ連包囲網に参加して、牽制していた。
そこに国家社会主義国であるナチスドイツが誕生した。
ナチスドイツは急速に発展し、周辺を制圧、国家社会主義体制の輸出を始めた。
フランス革命を評価し、プロテスタント的な道徳心を信じ、理想的な国家建設を目指していた米国に取り、国家社会主義は脅威以外のなにものでもない。
そのドイツと日本は軍事同盟を結んだ。
そこから日本とアメリカの関係は悪化する。日本はアメリカの敵となった。
日本にとってアメリカと戦争する理由は殆ど無い、アジアの植民地開放にしてもアメリカはフィリピン程度しかもっていない。
日本の邪魔をしていたのはアメリカではなく欧州諸国だった。
アメリカから見れば、日本は裏切った国に見えたのも事実。
ヒトラーは独裁者だから倒されたわけではない、独裁者なんてその後もたくさん出ている。
アメリカは共産主義以上に欧州が国家社会主義の国になるのを恐れた。
自国の存在意義に関わるから。
<4vW7WSpT>(同上)
<vvgbHYcfクン、>1930年代の日本を“戦前”という言葉で括るから<n8iG5U0nクン>と話が噛み合って無いんじゃないか?
<n8iG5U0nクン>が1937年(支那事変)以前の平時期にあたる日本と、戦後の平時期にあたるアメリカとを比較して、自由度においてどの程度の遜色があるのか、という問いを行っているのだとするなら、例え、1937年以降の有事下の日本において自由が制限されていたからといって、一蹴できる内容ではないぞ。
なぜなら、有事下においては、例え自由民主主義国家であっても自由が制限されるものだからだ。
従って、問題は1937年以降の日本における自由の制限が、我々の非自由民主主義性に由来するものなのか、又は有事体制下特有の現象に由来するか、と言うことだ。
論駁するなら、1937年以前の日本が非自由民主主義的な国であった事を指摘するか、あるいは1937年以降の日本に自由民主主義的色彩がまったく無い事を主張すべきように思うよ。
また、<vvgbHYcf>の<あげた>ような<自由主義の>定義の中に1930年代の日本が当てはまるかどうかは、当時の言論に関わる議論等を調べれば、判然とする事じゃないかな。
両者共に、こういった事を議論する時はケーススタディ的な事例をあげてやるべきように思うぞ。
<vvgbHYcf>(同上)
><n8iG5U0nクン>が1937年(支那事変)以前の平時期にあたる日本と、戦後の平時期にあたるアメリカとを比較して、自由度においてどの程度の遜色があるのか、という問いを行っているのだとするなら、
俺の主張は、戦前社会を傍観するときに昭和時代~敗戦に至る状況における社会的推移は、戦争が激化するにつれ、自由主義的社会だとは言えないということです。
以前にも書いてあります。
また帝国憲法で留保されていた自由が、治安維持法によって制約が課せられるような社会状況になったのは、始まりとしては良い例でしょう。
よって、明治から支那事変以前までの社会的推移や、ある時期におけるスポット的な社会状況における認識が議論の対象になっている訳ではないです。
<4vW7WSpTクン、「”異なる時代”を跨いだ上での相対的な社会比較をする作法を是としてるようですが、その理屈については、私にも良くわからない。」と>軽く振ったつもりだったのですが、考えを示してもらえないようなので教えてください。
あなたも、同時代とは異なる戦後アメリカの平時における戦前の日本を比較することによって、戦前の日本は自由主義的社会だと論じるような作法を支持してるようですが、そうした認識に至る手法が一般的な物と呼べるものなのでしょうか?
ちなみに、私は”同時代”における相対的な比較を通じての認識は、一般的にはあり得るとしましたが、その理由として、例えば冷戦時代において、アメリカとソ連はお互いの社会体制の違いを示しながら、自分達の社会がどのようなものであるが相対的な比較の上で優れた社会体制であることが喧伝された経験を得たことによって、社会体制を論じるときに、その作法は一般的な理解の範疇の中にある手法だと思います。
一方で、あなたなぜ? ”異なる時代”間における社会比較を通じて、その社会における思想的特長が位置付けることが、正しい比較だと思ったのか、説明をお願いします。
・・・
<4vW7WSpT>(同上)
第一に1930年代の日本と赤狩りが行われていた1950年前後のアメリカとを比較する事は、時代が近い事から可能だろう。
第二に、赤狩りというのは、日本の敗戦以後、共産主義の脅威に直面したアメリカの行動であり、それを、1920年代以降、同様に共産主義の脅威に曝されていた日本の行動とを比較をするのも筋が通っている。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%8B%A9%E3%82%8A
さて、あなたの「戦前社会を傍観」する際のスタンスだが、重大な欠陥があるように思える。
おそらく、あなたは国内政治と密接に関わっているところの国際情勢の変化を考えに入れてない。
その結果として、平時と有事とを峻別しない歴史観を持ってるんじゃないか。
例えば、あなたお示しの治安維持法だって、当時の国際情勢を考えなきゃ理解できないでしょ↓。
(シベリア出兵において)「浦潮派遣軍参謀でのちに大将、陸相、文相となる荒木貞夫に みられる如く、この戦争に関わった日本の軍人はロシア革命と民族解放運動に敵意を深めた。そればかりか日本の国民大衆も尼港事件などに関連した反ソ・反革 命キャンペーンの虜となった。
1925年の日ソ国交開始に先立って上程された治安維持法がさしたる反対運動もなく成立した要因のなかに、このキャンペーン で植えつけられた対ソ悪感情が横たわっていたことを看過すべきでない、とする指摘は正当である。」
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%87%BA%E5%85%B5
なお、如何なる国であれ「戦争が激化するにつれ、自由主義的社会だとは言えな」くなるのは当たり前だ。
・・・
<vvgbHYcf>(同上)
>第一に1930年代の日本と赤狩りが行われていた1950年前後のアメリカとを比較する事は、時代が近い事から可能だろう。
時代とはある社会的な領域において、ある特定のパラダイムが認められる時間空間の事を意味するのだと思います。
パラダイムが変われば時代も変わるし、社会を支配する細々とした知識体系も変わる。
フランス革命前後の社会状況は良い例だし、そこで起きたことも、時代を跨げば評価も変わる。
自由主義的社会という意味も、その時代における価値に従属した物でないと、土台としての時代を挿げ替えることで、なんとでも言えてしまうことで、比較の意味がなくなると思います。
>第二に、赤狩りというのは、日本の敗戦以後、共産主義の脅威に直面したアメリカの行動であり、それを、1920年代以降、同様に共産主義の脅威に曝されていた日本の行動とを比較をするのも筋が通っている。
それに、戦後アメリカにおける赤狩りは自由主義的な社会のあり方だと思いませんし、時代を跨いだ比較をするにしても、赤狩りを行ってるアメリカは自由主義社会=戦前日本の昭和以降の時代も同じ、だから戦前の日本は自由主義社会などという論理にも同意していません。
>なお、如何なる国であれ「戦争が激化するにつれ、自由主義的社会だとは言えな」くなるのは当たり前だ。
だから言ってるでしょ。まったくその通りですよ。
戦争が激化すれば、社会は自由主義的ではなくなる、だから昭和時代以降、思想的なベクトルを包意する自由主義的な考えは社会の中で減退どころか後退する。
そういった当たり前の時期を含む社会観に対する議論なんですよ。
<4vW7WSpT>(同上)
あなた、そもそも横からスレするのは良いだけど、一体どのような命題が議論の溯上として上がってるのか理解していますか?
出来れば、”<n8iG5U0nクン>”と私のコメントの引用を含めながら説明してみてください。
追記:
戦争が激化すれば、自由主義的社会は後退する。ごごく当たり前のこと。
当たりまえだから、自由主義的社会を論じる際は参考の枠外にした上で、戦争期間中を含む社会状況の推移を、自由主義的社会だとするのは欺瞞そのものですよ。
俺は左から嫌われる考えを持つ立場だと思いますが、そのような俺であっても、そうした社会の掴み方は、無茶苦茶だと思います。
</CPDrnH+>(同上)
戦前の社会にも、昭和14年(1939年)ぐらいまでは、米国の自動車産業の大手2社が、 横浜や神戸に工場を持っていたわけだから、そのあたりまでは、自由主義的社会だったとも考えられるけど、昭和15年(1940年)あたりからの、日米関係の険悪化などから、戦時体制に突入していったあたりから、自由主義社会というのは、欺瞞的なんだろうね。
<太田>
→自由主義(自由民主主義)体制を転覆しようとする勢力を弾圧する法制があることは、当該国家が非自由主義国家であることを意味しない。
すなわち、戦前の日本には治安維持法があり、西独でも1968年まで共産党は非合法化されていた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E7%A4%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1
が、戦前の日本や戦後の西独が非自由主義国家である、ということにはならない。
同様、自由主義国家といえども、戦争中には平時に比べて人権により大きな制約が加えられるが、だからといって、その国家が非自由主義国家へと「後退」したということにはならない。
よって、こういったことから離れて、例えば、戦前の英国は自由主義(自由民主主義)国家であったかどうか、その答えがイエスであったとして、戦前の英国と日本はどちらがより自由主義(自由民主主義)的であったか、を検証すべきなんだよ。
ちなみに、こういった議論をする際の自由主義の定義だが、法の支配(法治主義プラス人権保障)と同値とすることを奨めるな。
それでは、その他の記事の紹介です。
タイのバンコックで、アジトで爆弾が爆発したことを契機に、そのアジトにいたイラン人3人組中2人が逮捕された。逮捕されるまでに爆弾2個を彼らは爆発させ、うち1人は自分の足を吹き飛ばしてしまった。
彼らが狙っていたのがイスラエル関係者であったのかどうかは不明。↓
<連中の手口が余りにも稚拙であるとして呆れられている。↓>
・・・the attacks in India, Georgia and now Thailand have all been highly amateurish, and lack the sophistication that would normally be expected from an operation executed by either Hezbollah or Iran’s own external operations wing, the Quds Force.”
http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/14/iran-behind-thailand-bombings-barak-claims
インドとパキスタンが(もともと一つだったんで当たり前って言えば当たり前だが、)実によく似てて、前者が褒められ。後者が貶されてきたのはおかしいってさ。↓
・・・<India is> a country whose fanatically ideological government in 1998 conducted nuclear tests, threatened its neighbour with all-out war and, four years later, presided over the massacre of 2,000 members of a religious minority. Long embattled against secessionist insurgencies on its western and eastern borders, the “flailing” state of this country now struggles to contain a militant movement in its heartland. It is also where thousands of women are killed every year for failing to bring sufficient dowry and nearly 200,000 farmers have committed suicide in the previous decade.・・・
”Pakistan is in fact a great deal more like India — or India like Pakistan — than either country would wish to admit・・・
http://www.guardian.co.uk/books/2011/may/01/pakistan-hard-country-anatol-lieven-review
ディケンズが初めて訪米した時に生まれた、彼と米国との愛憎劇が詳説されている。↓
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-17017791
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太田述正コラム#5302(2012.2.15)
<大英帝国再論(その2)>
→非公開