太田述正コラム#5323(2012.2.26)
<皆さんとディスカッション(続x1475)>
<太田>(ツイッターより)
ピアノ演奏会に行ってきた。
 ピアノ演奏もさることながら、友人の奥さん二人と旧交を温めることができた。
 肝心の友人2人は姿を見せず(???)
 場所がかつて知ったる原宿/表参道だったけど、これまた久しぶりで外国に行ったような気分だったよ。
 アカデミー賞で過去に候補作以上になった作品についてのトリビア集だ。
http://www.latimesmagazine.com/2012/02/oscars-by-the-numbers.html
 映画通にはこたえられんかもね。
<ΓΓΑΑΓ>(「たった一人の反乱」より)
≫石原よお前もか。もっとも、誰も驚かないけどね。数の問題じゃないんだよ、石原クン。≪(コラム#5321。太田)
 「南京大虐殺」<がなかったとか、そんなに殺してない>なんて持ち出しても進展を見込めないのになあ。
 北清事変とか南京事件 (1927年) とか第二次上海事変とかを論争の戦場にしないと。
<ΑΑΑΓΓ>(同上)
 数って、重要じゃないの?
 30万、40万と5万、3万人ではイメージがぜんぜん違う気がするのですが・・・
 30万人の犠牲者数はナチの蛮行と変わらない印象を与える気がするのですが?
<ΓΓΑΑΓ>(同上)
 自分もよくわからんが、数の問題よりも歴史的脈絡の方を把握することが大事ってことではないですかね。
 わたしが「北清事変とか南京事件 (1927年) とか第二次上海事変とかを論争の戦場にしないと」と書いたのも、その意味で、支那が外国への暴虐行為を繰返しおこなったことに注意することが大事だってこと。
<ΑΑΓΑΓ>(同上)
 しかし2chの住人達はその”数”が安定しない事を引き合いに南京大虐殺は中共の捏造情報だって論調だ。
 中共が金欲しさに情報を大げさに騒ぎ立てて出来るだけ日本から金を毟り取ろうって腹だと本気で思ってる。
<ΑΑΓΓΑ>(同上)
 #3251(2009.5.3)<皆さんとディスカッション(続x475)>には以下の記述がある。
 「南京事件の際に、日本軍が敗残兵の掃討を超えた非戦闘員の殺害等を行ったとして、それが果たして不法(当時の国際法違反)なのか、とか、人間がいかに残虐な行為を犯しやすい性向を有しているものなのか、といった話には、長くなるので今回は触れませんでしたが、私が虐殺生起説をとっていることは容易にご推察いただけると思います。
 残された問題は、基本的に、虐殺数だけだ、というのが私の認識です。
 なお、秦は虐殺数について、数千人説から2万人説に転換した、と承知しています。」
 詳しくは全文読んでほしいけど、ここで南京事件に対しての太田さんの考えをおさらいしてみるのもいいかも。
<太田>
 だから、南京事件があったという点については決着済みであるというのがボクの認識であり、そうではないかのような話を政治家等がやるのはトンデモないっちゅうこと。
 なお、ボクが「数が問題じゃない」と言ったのにはもう一つ理由がある。
 支那側が日本人に対して行った虐殺・・ただし虐殺数は少ない・・と「相討ち」にしたいからだ。
 かといって、誰かサンみたいに北清事変や第一次南京事件を持ち出すのはどんなもんかね。
 1900年の北清事変(義和団の乱)は余りにも古い話だし、下手人は叛乱側だし、日本人の非軍人が殺されたかどうかもはっきりしない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1#.E7.BE.A9.E5.92.8C.E5.9B.A3.E3.81.AE.E4.B9.B1.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.AD.BB.E5.82.B7.E8.80.85.E6.95.B0
 また、南京事件については、袁世凱の隷下部隊による1913年の南京事件・・非軍人たる日本人が3人殺された
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
・・ならともかく(いや「ならともかく」じゃないな。古過ぎらあ)、国民党軍が関与した1927年の第一次南京事件じゃ、日本人に対しては、掠奪、暴行、それに凌辱1名だけ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1927%E5%B9%B4)
だし、(第二次南京事件直前の)1937年の第二次上海事件の際の大山事件は、殺したのが蒋介石政権の保安隊で殺されたのが日本の海軍陸戦隊の大尉1名と水兵1名だとはいえ、停戦中の偶発事件ではなく、同政権の上海地区警備司令官・・赤露のエージェント説あり・・による謀略であった可能性が高い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
が、かなり迫力に欠ける。
 だから、やっぱし、持ち出すとすれば、(前にコラム#5265でも言及したけど、)第二次南京事件前に同じ年の1937年に起こった通州事件(注1)なんだな。
 
(注1)「冀東防共自治政府」保安隊<が>・・・華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。・・・女性は強姦されて陰部にほうきを刺されて殺害されている者、喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に綺麗にならべられていた、斬首した女性に対する死姦、腹から腸を出されて殺害されている者、針金で鼻輪を通された子供など、日本人の平均的倫理観から見て殺され方が極めて異常かつ残虐であった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 なお、虐殺に係る手口が残忍極まるって点も大事なポイントだ。
 そういうことから言えば、ちーと古いが、(やはりコラム#5265で言及したけど)1928年の済南事件(注2)だって持ち出せるんじゃないだろうか。
(注2)「<蒋介石率いる国民党軍により、>・・・日本人居留民の被害、死者12(男10、女2)、負傷後死亡した男性2、暴行侮辱を受けたもの30余、陵辱2、掠奪被害戸数136戸、被害人員約400、生活の根柢を覆されたもの約280・・・日本人惨殺状況に関する外務省公電には、「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切り落としたるもの二」<とある。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 なお、(これもコラム#5265で言及したところの、)1932年の第一次上海事件については、「中国人と見られる者によって日本人の日蓮宗僧侶<2人>と信者3人が・・・襲撃され、<僧侶1人>は死亡し、2名が重傷を負った。・・・<その後の日本軍と国民党軍との>戦闘の拡大<もあり、>・・・中国側住民の死者は6080人、負傷2000人、行方不明1万400人と発表された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
ということから、前段について、(田中隆吉陰謀説があるのはさておき、)下手人がはっきりせず、また、支那人住民の被害も甚大であり、持ち出さない方がよさそうだ。
 蛇足ながら、戦前の日本人に拭うことのできない対赤露憎悪・恐怖心を与えた(シベリア出兵中の)1920年の尼港事件については、果たして(軍人、非軍人を問わず)日本人虐殺が行われたと言えるかどうか必ずしも明らかじゃない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E6%B8%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
一方、1919年には(同じくシベリア出兵中の)日本軍は「女性や子どもら、1歳半の乳飲み子から96歳の老人まで含む、257人を銃などで殺害、36人を小屋に閉じ込め焼き殺した」イワホフスカ事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
を起こしていることを頭に入れておこう。
<ΑΓΑΓΑ>(「たった一人の反乱」より)
≫人間主義は集団主義的ではあるものの、決して利他主義ではない・・・人間主義社会の個々人は、他人の気持ちを忖度してその他人のために言動を行うことが回りまわっていつか自分自身を裨益することが大いにありうる、ということを意識的・無意識的に自覚している、といことです。≪(コラム#5315。太田)
 とすれば下のリンクのように赤の他人のために自分の命を投げ出すことを善しとするような、 自分への見返りが期待出来ない自己犠牲の精神は人間主義とはあまり関係のない主義なのでしょうか?
 新大久保駅乗客転落事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E9%A7%85%E4%B9%97%E5%AE%A2%E8%BB%A2%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
 銀河鉄道の夜「蠍の火」
http://www.youtube.com/watch?v=ZXAsh4z2RuU#t=42s
<太田>
 新大久保駅の話(コラム#5317)は、転落した人を助けようとした韓国人も日本人も、どちらも、自分達自身も助かると思って飛び降りたけど、結果的に命を落としてしまったということであり、「自分の命を投げ出」したわけではないよ。
 つまり、彼らのは人間主義の発露だ。
 他方、「蠍の火」は、熱心な法華宗信徒であった宮沢賢治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB
が釈迦の本生譚における捨身飼虎の説話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%AB#.E9.87.88.E8.BF.A6.E3.81.AE.E6.9C.AC.E7.94.9F.E8.AD.9A
の釈迦の前世をサソリに、虎をいたちに置き換えたものであるとボクは解しているところ、文字通り「自分の命を投げ出」した利他主義の物語なんだな。
<ΑΓΓΑΑ>(「たった一人の反乱」より)
 話が逸れて申し訳ないんだが コラム#325<3> に
≫「moon」
http://www.youtube.com/watch?v=PU35fJNtxp8&feature=related
があって吹いた
 ∀ガンダムのEDじゃん。
月の繭
http://www.youtube.com/watch?v=iPHXLTfbHZ8&feature=related
 知らなかったんだけどこの歌の作曲・編曲って菅野よう子だったんだ。
 Tank!
http://www.youtube.com/watch?v=n6jCJZEFIto&feature=related
とか好きだったなぁ。
<太田>
 それでは、その他の記事の紹介です。
 こいつあいいや。↓
 「主要国<の国会議員の>歳費、定数比較・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012022602000031.html
 コンピューターの歴史を書きかえる本が出たよ。↓
 ・・・ we have a creation myth — which starts with Alan Turing and his idea of “a single machine that can be used to compute any computable sequence” and then forks into two versions. One is British and goes via the “Colossus” computer built by Turing and his wartime colleagues at Bletchley Park to enable the cracking of German Enigma codes. The other version is American and starts with the construction of the ENIAC machine at the University of Pennsylvania in 1943 and continues through the industrialisation of that technology by companies such as Univac and IBM who made the huge mainframe computers・・・
<コンピューターの父はフォン・ノイマンなんだって。↓>
 <Wrong! A> small group of mathematicians and engineers working on the hydrogen bomb, led by John von Neumann at the Institute for Advanced Study (IAS) in Princeton, New Jersey・・・<created>the IAS machine <which> should be regarded as the fons et origo of the modern world rather than the ENIAC or Colossus machines that preceded it.・・・
http://www.guardian.co.uk/technology/2012/feb/26/first-computers-john-von-neumann
 無性愛者(asexual)を前に(コラム#5243で)やったけど、より詳しい記事が出てた。まことに摩訶不思議な人々であることよ。↓
 ・・・there is no gender split; men and women are equally likely to be asexual. However, asexual men are much more likely to masturbate than asexual women; as likely, it would seem, as men with “normal” sex drives, suggesting that they are responding to a physical imperative. When Brotto conducted an experiment to measure the vaginal reactions of female participants to visual sexual stimulus, the physical reactions among asexual women were the same as that of women who report an otherwise “normal” sex drive. Brotto also says there is nothing to suggest that asexual people are any more or less likely to have suffered childhood abuse than anyone else.・・・
 ・・・a “fraternal birth effect” seemed to be a factor: asexuals are more likely to have older brothers. His findings have also established that “asexuals, like gay people, are more likely to be left-handed”.・・・
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/26/among-the-asexuals
 映像作家の原久路(はらひさじ)の白黒写真シリーズ、「バルテュス<(Balthus)>絵画の考察」
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/culture/exib/20100415_361387.html
が極めて好意的に紹介されていた。↓
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2012/feb/26/hisaji-hara-photography-hoppen-review
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<訂正と報告>
 田中香織さんの演奏会、演奏曲目についての私の紹介が一部間違ってました。
 同じシューベルトの即興曲だけど、Op90の方じゃなくて、下掲の方でした。
シューベルト 即興曲 Op142
 第1番 Andras Schiff ユーチューブ中ではイチバンの演奏(以下4番まで同じ)。
http://www.youtube.com/watch?v=bg6OpSG9P80
 第2番 Alfred Brende まだこの演奏でも若干不満が残るが・・。
http://www.youtube.com/watch?v=hUdG4Cifhmk&feature=related
 第3番 同上 こっちは文句なし。1~4番中最も名曲だと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=sx15rF_R_mI&feature=related
 第4番 Andras Schiff
http://www.youtube.com/watch?v=vWoMySsU6cA
 自宅に戻ってからユーチューブを漁って色んなピアニストの演奏を聴いてたら、(演奏会中は全く知らない曲ばかりだと思っていたけれど、)どっかで聴いたことがあるな、という曲がありました。
 いずれにせよ、この一連の曲、自分で弾いたことはありません。
 
 さて、香織さんの演奏ですが、カワイの表参道の旗艦店のホール(「パウゼ」)でカワイが1999年に鳴り物入りで売り出した(当日配られたパンフレットの記載)Shigeru Kawai 銘入りの万全の調律をされたぴっかぴかのグランドピアノでの演奏だというのに、このホールが狭くて天井も低いこともあって、音の響きが極端に悪かったのはお気の毒でした。
 しかも、早めに着いたこともあって、最前列に座ったこともマズく、音が割れんばかりに大きくて弱りました。
 冒頭のシューベルトの一連の曲の演奏について、これらの曲をユーチューブで色々聴いた結果も踏まえて後付的に申し上げれば、これらの曲・・いずれ劣らぬシンプルな名曲です・・は、一見易しそうだけど極めて高度な解釈(独創性)が要求されることもあり、(ホール等のせいもあるけれど、)全般的に強い音を出し過ぎ、名曲であることを気付かせてくれなかった彼女の演奏には疑問符が付きます。
 休憩をはさんだ後のショパンの演奏についても、曲想が彼女とあわないのか、聴いていて最初のうちは没入できませんでした。
 それが、ショパンの曲目の最後の幻想即興曲から、一転、結構イケてきました。
 最後の、シマノフスキーの曲の演奏は、(あらかじめユーチューブで聴いていたのが、余り知られていない女性奏者によるものであったこともあってか、ピンと来ていなかったけれど、)とても素敵な曲であることを発見し、堪能しました。
 アンコールは、昨年の演奏会の時も彼女がアンコールで弾いた、モシュコフスキーの「花火」(コラム#4303)でした。
 これもとてもよかったですね。
 彼女には、これらの軽快で速い曲が弾き易いのかもしれませんね。
 もとい、冒頭のシューベルトの一連の即興曲についてですが、ゆっくりした曲だと、かえってそうするのがむつかしいのかもしれませんが、これらの曲についても、より軽快に演奏して欲しいと思います。
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太田述正コラム#5324(2012.2.26)
<大英帝国再論(その12)>
→非公開