太田述正コラム#5110(2011.11.12)
<映画評論29:王妃の紋章(その1)>(2012.2.28公開)
1 始めに
ワイヤーアクションを多用したど派手な戦闘場面と京劇的演出の中共映画、という点では、呉宇森(ジョン・ウー=John Woo。1946年~)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%BC
監督の『レッドクリフ』2作(2008、2009年)(コラム#4190、4192、4194)と似たようなものですが、筋が、『三国志演義』の翻案でバカバカしい限りの『レッドクリフ』よりも、はるかにまともだな、というのが張芸謀(チャン・イーモウ=Zhang Yimou。1951年~)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%8A%B8%E8%AC%80
脚本・監督の『王妃の紋章(原題:滿城帯黄金甲。英語:Curse of the Golden Flower)』(2006年)を観終わった時の私の感想でした。
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%A6%83%E3%81%AE%E7%B4%8B%E7%AB%A0
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Curse_of_the_Golden_Flower
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Thunderstorm_(play)
D:http://www.asahi-net.or.jp/~ir8h-st/ryuunokai_052.htm
E:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E7%A6%BA
F:http://en.wikipedia.org/wiki/Cao_Yu
調べてみたら、それもそのはずです。
この映画の原作は、曹禺(そうぐう=Cao Yu。1910~96年)(A、D、F)の戯曲『雷雨(Thunderstorm)』(上梓、初演:1934年)(C、D)という、「以後、文化大革命期の<支那>大陸と戒厳令期の台湾を除き、<漢>語文化圏のあらゆる時期、地域で演じられ続ける。<漢>語で書かれた戯曲の中で、最も上演回数の多い作品と言ってよい」(D)という、大変な作品だったのです。
なお、原作の筋はDに載っていますし、映画の筋は英語ですがBに載っていますので、関心ある方は、それぞれ目を通してください。
2 映画の原題
まず、映画の原題についてです。
黄巣(注1)に、『不第後賦菊(科挙に落第した後、菊について)』という、下掲の漢詩があります。
(注1)黄巣(Huang Chao。~884年。斉初代皇帝:878~884年)は、「若い頃は官吏を目指していたが科挙に何度も落第し、諦めた後は私塩の密売に関っていた。874年、同じ塩の密売人であった王仙芝が挙兵するとこれに参加し、反乱軍の重鎮となった。・・・
途中で黄巣と王仙芝(後に王仙芝は殺害される)は分裂し、黄巣軍は各地を転戦し、・・・880年には洛陽・長安を相次いで陥落させ、<唐の>僖宗は蜀へと逃げた。長安に入った黄巣は国号を斉として、皇帝と称号した。だが、・・・<黄巣軍は>無闇に略奪を繰り返し、また黄巣自身も唐の高官を大量に殺害するなど悪政が目立ち、民心は次第に離れて行った。・・・
<やがて、>黄巣軍は長安を追われた。・・・884年・・・、黄巣は・・・自害した(。・・・この乱は初めは王仙芝が起こした・・・が、黄巣の名を取って黄巣の乱と呼ばれる。
この乱により全国王朝としての唐は実質上滅び、春秋時代の周のように一地方政権へと下落した。この後、黄巣軍から出てきた朱温[(852~912年。後梁皇帝:907~912年。黄巣の乱の際の功で唐より全忠の名を貰って朱全忠となる。後梁の初代皇帝)]が907年には唐を滅ぼすことになる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B7%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%B8%A9 ([]内)
待到秋来九月八(待ち到る秋来九月八<(の祭り)>)
我花開後百花殺(我が花<(=菊)>開く後は百花<(=その他の全ての花は)>殺されん)
衝天香陣透長安(天を衝く<(菊の)>香陣、長安に透る)
滿城尽帯黄金甲(満城<(=長安全市は)>尽<(=ことごと)>く帯ぶ黄金の甲<(=鎧)> )
(以上、A、Bによる。)
この最後の一行をそのままとっているわけです。
原作は、上述したように、中共では良く知られているところ、チャン・イーモウはこの映画の脚本を書くにあたって、舞台となっている時代を遡らせることを思いつき、この漢詩から菊の花に覆われた重陽(注2)の場面をイメージし、時代を、この菊に係る漢詩の作者の黄巣がもたらした五代十国時代に設定することにしたのではないでしょうか。
(注2)「重陽(ちょうよう)は、<支那における>五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。・・・邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%99%BD
なお、「2006年春、この映画が製作されている時に砂嵐が北京を襲い、メディアが砂嵐を『黄金甲』と比喩して報道したことから、『黄金甲』が砂嵐を表す新しい形容詞として広まった」(A)のだそうです。
3 原作と映画の違い
登場人物の相関図は下掲のとおりですが、原作と映画の違いは、相関図中の1人の人物(男子2)の母親が違っていた点と、1人の人物(男子1)が実母に引き取って育てられた点の2点だけです。
他方、時代設定は、映画では原作を約1,000年遡らせています。
これに伴い、原作では主は資本家ですが、映画では、後唐(注3)の皇帝という設定になっています。
(注3)後唐(こうとう。923~936年)は、黄巣の乱での功績により唐朝廷から国姓の「李」を授けられた者の一人である李克用(856~908年)の息子の李存勗(りそんきょく。885~926年)がつくった王朝で、五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)の一つ。唐の後継者を自認した。首都は洛陽。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%94%90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%8D%81%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%8B%E7%94%A8
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AD%98%E5%8B%97
[原作] [映画]
1922年 天津 928年 後唐の首都
夫===女A===主===女B 夫===女A===主===女B
男子1 男子1
男子2 男子2
女子 男子3 女子 男子3
・女Aは主の元内縁の妻で、2人の間に、原作では男子2人(男子1と男子2)、映画では男子1人(男子1)がある。女Aはその後夫と結婚し、2人の間に女子1人あり。女Bは主の現在の妻で、2人の間に、原作では男子1人(男子3)、映画では男子2人(男子2と男子3)がある。
・原作では、男子1は女Aが引き取って育て、男子2は主が引き取って育てた。映画では、男子1は主が引き取って育てた。
・原作では、男子2は主の跡継ぎ、女Bと男子2は義理の母子でインセスト関係にあり、男子2と女子とは母親(女A)が同じことを知らずにやはりインセスト関係にある。映画では、男子1は主の跡継ぎ、女Bと男子1は義理の母子でインセスト関係にあり、男子1と女子とは母親(女A)が同じことを知らずにやはりインセスト関係にある。
(相関図は、B、Dから作成した。)
(続く)
映画評論29:王妃の紋章(その1)
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