太田述正コラム#5140(2011.11.27)
<映画評論30:時計じかけのオレンジ(その3)>(2012.3.14公開)
 他方、キューブリック自身が語るこの映画の眼目は以下のとおりです。
 「<この映画は、>全体主義政府がその市民達に対して巨大な統制力を及ぼし、彼らをロボットに毛の生えたような存在へと転ぜしめるところの、行動心理学と心理的条件付けの問題を取り扱った社会的風刺なのだ。・・・
 それは、条件反射施療法による十代の不良少年の、眉唾物の救済(redemption)物語なのだ。
 それは同時に、自由意思についての走りながらの講義でもある。・・・
 二つのせめぎあう政治的な力、すなわち政府と反体制派の双方が自分達の純粋に政治的な目的のために<主人公の>アレックス(Alex)を操作する<という映画でもある。>
 この物語は、「保守派」政党と「リベラル」政党を、そのどちらも、アレックスを自分達の政治的目的のための手段として使っている点では同じである、と批判的に描いたものだ。・・・
 アンソニー・シャープ(Anthony Sharp)演じる<内務>大臣は明確に右の人物であり、パトリック・マギー(Patrick Magee)演ずる作家は頭のイカレた左だ。…
 この二人はその教義(dogma)において異なるだけなのだ。
 この二人の手段と目的はほとんど区別がつかないと言ってよかろう。」(B)
 私に言わせれば、この映画は、英国を舞台とする原作をほぼ忠実になぞりつつ、実のところは、左右の全体主義を等しく批判することで韜晦しつつも、(全く全体主義的ではないところの)英国ならぬ米国が「非公然ファシスト的」な、つまりは暴力的な右の全体主義的な国であることを断罪しているのです。
 このことを補強的に裏付けているのは、これもまた原作に忠実なのかどうかは定かではありませんが、主人公アレックスの性的暴行癖がポルノの横行する社会の反映であることを、この映画が示唆していることです。
 例えば、アレックスは、一人の芸術家の女性宅に侵入し、彼女を殺してしまうのですが、その女性はポルノ的芸術愛好家であり、アレックスがこの殺人に使うのは、彼女の創った巨大な男性性器の彫刻なのです。
 また、より軽度のポルノ的な場面として、アレックスが住んでいる両親の家にポルノ的絵画が掲げられていますし、アレックスが昏睡状態から病院で目覚める時には、看護婦と医者がその傍らでセックスをしている、という具合です。(B)
 これは、米国が暴力の横行する社会であることを直接示唆することを避け、(当時そんな気配もなかった)英国ならぬ米国がポルノの横行する社会である(注1)ことを示唆しつつ、それがアレックスの性的暴行の背景としてあることを映画観賞者に気付かせることで、間接的に米国が暴力の横行する社会であることに思い至らせようとしているのです。
 (注1)この映画が撮影されていた頃、米国は性革命(sexual revolution)の真っただ中にあった。(コラム#1666、1709)
 そのキューブリックは、1962年に、映画『ロリータ(Lolita)』(1962年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF_(1962%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
を撮影するためにイギリスに移り住んでから、ついに生涯を閉じるまでイギリス在住を続けました。
 そもそもは、検閲が米国に比べてゆるやかな国で『ロリータ』を撮影するのが目的だったのですが、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangeloveor: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)』(1964年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%B8%B8%E3%81%AA%E6%84%9B%E6%83%85_%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E5%BF%83%E9%85%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E6%B0%B4%E7%88%86%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B
を撮影するにあたって、主演のピーター・セラーズ(Peter Sellers)が離婚裁判中であったことから、イギリスを離れられなかったのと、『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』(1968年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85
撮影当時、米国にはイギリスに存在したような大型の防音室がなかったという事情があったところ、キューブリックは、『2001年』を企画し始めた頃、イギリスに永住する決意を固めたといいます。
 (以上、特に断っていない限り、Fによる。)
 「<キューブリックの米>スタジオ・システムとの軋轢は証言が数々あり、イギリス移住の理由が一般に伝えられる「製作コストが安い」事だけとは考えられない、もっと複雑な事情がある事を伺わせている」(E)程度のことしか、記されていませんが、私には、1971年に公開された『時計じかけのオレンジ』で、キューブリックがその理由を明らかにした、と受け止めています。
 要するに、私は、ユダヤ人(後述)たるキューブリックは、(プロト・ナチスドイツ的であるところの)暴力的な右の全体主義的な国である米国が嫌いで米国から英国に脱出した、と考えているのです。
4 社会病質者
 以上記してきたように、この映画は反米映画である、と私は解しているわけですが、この映画の、反米云々とは無関係なサブ・テーマが、主人公のアレックスのような社会病質者(sociopath)から社会をどう守るか、という問題です。
 社会病質は、現在、学術的には反社会性人格障害(Antisocial Personality Disorder)
α:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%80%A7%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3
と呼ばれています。
 すなわち、アレックスは、「法規範や社会規範を無視して他者の権利を侵害する反社会性人格障害<者>」
β:http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/anti-social.html
である(C)わけですが、彼による「他者の権利を侵害する」行為が、性暴力を含む暴力をふるうことである以上、「知能の高さや理性の働きは『善良な道徳性・安全な遵法精神』を何ら保証」しない(β)ところ、アレックスの知能は高く、彼は論理的思考もできると言っても、彼のような粗暴犯から社会を守ることは、大数的にはそれほど困難ではないことが次第に明らかになってきています。
 この映画の中で、引き合いに出される条件反射施療法こそ実用には至りませんでしたが、米国でその後、ポルノの普及によって、強姦等の性犯罪が著しく減少した(コラム#1666)ことを我々は知っています。
 米国では、性犯罪だけでなく、粗暴(Violent Crime)犯全体が減少してきています
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Violent_Crime_Rates_in_the_United_States.svg
が、恐らくは、ネットでの暴力ゲームの普及もあずかっているのではないでしょうか。(注2)
 (注2)一般には、一、銃規制の緩和(隠し持つことを認めることを含む)、二、堕胎の合法化、三、重罪(felony)を3度犯したら終身刑に処するという法制(Three Strikes Law)の普及、があげられている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Crime_in_the_United_States
 これらに加えて、今後、性衝動や暴力衝動を低減させる薬物療法等が確立する日はそう遠くないと考えられ、その暁には、性暴力犯や暴力犯のような粗暴犯にはかかる施療が義務付けられるようになるのではないでしょうか。
 むしろ恐ろしいのは、知能が高い社会病質者が、暴力を用いることなく「他者の権利を侵害する」ことであり、このような人間から社会を守るという問題は、半永久的に残るような気がします。
(続く)