太田述正コラム#5146(2011.11.30)
<映画評論31:ニュルンベルグ軍事裁判(その1)>(2012.3.17公開)
1 始めに
TVの2回シリーズ『ニュルンベルグ軍事裁判(Nuremberg)』(2000年)の評論をお送りします。
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4
(11月27日アクセス。以下同じ)
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Nuremberg_(2000_film)
C:http://revisionist.jp/raven_01.htm
D:http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/cinema/2010/02/post-b0ea.html
E:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E8%A3%81%E5%88%A4
F:http://en.wikipedia.org/wiki/Nuremberg_Trials
今回は、ちょっとやり方を変えて、わき道から始めることにしましょう。
2 プロローグ・・ニュルンベルグ裁判前史
(1)英国のナチス戦犯処罰案
私がattainderという英単語に初めて遭遇したのは、12日前(11月18日)のことでした。
「ブロンシュ・ヴァヴァスール(Blanche Vavasour。1497~1558年)は、キャサリン王妃の財務官でサー・リチャード・ヴァヴァスールの次女でデヴォン伯爵夫人で英国王ヘンリー8世の叔母だった。・・・
ブランシュの夫のエドワード・マーチュモント(Edward Marchmont)は大法官(the Lord Chancellor)のサー・トマス・モア(コラム#4810、4812、4814、4816)の子分であり、おかげで、彼は国王に気に入られていたが、モアが失脚した時、そのことに国王が果たした役割を批判したため不興を買った。
その結果1533年にサー・トーマスが処刑されたのち、彼は大逆罪で逮捕された。
彼の妻であるブロンシュが、・・・ご慈悲をと請願を提出したところ、ヘンリーはマーチュモントは国王至上法(Act of Supremacy)<(注1)>に対する<賛意の>宣誓をすれば自由を与えることとした。
(注1)「ヘンリー8世<によって、>・・・1534年11月、・・・<イギリス>国王を「<イギリス>国教会の地上における唯一最高の首長」と宣言する国王至上法が定められた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E8%87%B3%E4%B8%8A%E6%B3%95
<ところが、マーチュモントは宣誓を拒否する回答をしたためた。これを読んだブロンシュは、宣誓する旨の回答に書き換え、国王のところに届けた結果、マーチュモントは解放された。しかし、そのことを知ったマーチュモントは悪態をつく。>
これを耳にした国王は、マーチュモントの再逮捕を命じ、処刑命令が発せられ、ただちにこの命令は実行された。・・・
このアテインダー(attainder)<が撤回されることをブロンシュは求め続けたが、>彼女が亡くなった後、エリザベス女王が、ブロンシュの息子のトマス(Thomas)が駐仏大使を成功裏に務めたことを賞した1561年にようやく撤回され<、国が没収していたマーチュモントの財産がトマスに返還された。>」
http://www.guardian.co.uk/books/2011/nov/18/julian-fellowes-national-portrait-gallery-story
(11月18日アクセス)
親分であるトマス・モアに勝るとも劣らぬ気骨ある人物を夫に持った、献身的な妻のブロンシュは、大変な苦労をさせられたわけです。
さて、ここに出てきたアテインダーとは、市民権の取り消し(cancellation of civil rights)という意味であり、
http://ejje.weblio.jp/content/attainder
(11月27日アクセス)
特定の人物または集団が特定の犯罪について有罪であると議会制定法によって宣言し、司法裁判を受ける権利なくして処罰することです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Act_of_Attainder
(同上)
このアテインダーが、表記の映画を鑑賞してからニュルンベルグ裁判についての英語ウィキペディアを読んでいたら、その中に登場したので驚きました。
「1944年12月に<英国の>閣議でナチスの指導者達を捕まえた時にどう処罰するかの政策が議論された。
英国の首相のウィンストン・チャーチルは、諸々の法的障害を回避するために、アテインダー法を用いて、一定の状況下において即時処刑する、という政策を擁護した。
この案は、その後、米国の指導者達と議論をした結果、ようやく撤回された。」(F)
イギリスの歴史の豊饒さ、ないしは奥の深さを改めて痛感させられるとともに、双極性障害者チャーチルの異常さをここでも実感させられます。
しかし、イギリスと法の歴史も共有するところの米国は、いかなる理由でこのチャーチルの提案を拒否したのでしょうか。
(続く)
映画評論31:ニュルンベルグ軍事裁判(その1)
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