太田述正コラム#5371(2012.3.21)
<皆さんとディスカッション(続x1498)>
<太田>(ツイッターより)
「6-7人の副総参謀長がいる<が、>…総参謀部副総参謀長が、故・金総書記の喪中にセクハラ事件を起こした疑いで逮捕され、銃殺された…人民武力部(省に相当)副部長も、金総書記の喪中に酒を飲んだという理由で今年初めに公開銃殺された」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/03/21/2012032100525.html
コワイよー。
街娼からネット売春へという記事
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-17373572
を読んで、その中に出てきた「著名」サイトの一つ(米NY)のエスコートの頁を覗いて見た。
http://newyork.backpage.com/FemaleEscorts/
非白人ばっかだけど、顔まで晒してるのにもびっくり。
昔上海、今NY…。
<松井千尋>
なんか良い感じのページですね。好きです。
<太田>
姑ちゃん達が素朴で良いカンジってことかなあ??
<ねこ魔人>
返信ありがとうございます。
わざわざ私のつたない論を<コラム#5361に>転載していただき感謝です。以下に反論を加えさせていただきました。
(1)について
京都のような計画的に作られた町は、むしろ例外といえるのではないでしょうか。たしかに平城京や平安京の街、それをまねた小京都は、町づくりに成功したといえると思います。
以前私は、日本人は本来的に都市計画が苦手であるとしました。その理由を、日本人は住まいの内部と外部を厳格に区別し、そのうち内部にしか関心を持たなくなった結果、公共空間という概念をもたなくなったためと述べました。
これを裏付けるものとしては、日本の住まいにある塀が挙げられます。
塀が設けられると、住まいという空間は完全に内部空間に限定されてしまいます。
このように、日本の住まいという空間は内部空間に限定されているので、日本人は本来的に都市計画が苦手なのです。
ただし、日本でも、美しい都市景観が形成されている都市もあります。なぜかというと、内部空間と外部空間が連続した結果、住まいというものが、単に私的な空間であるだけではなく、公共的な空間の性質を帯びることになったからです。
その例として、日本で美しいとされる街並みには、先ほど挙げた都市とは対照的に、塀がないことが挙げられます。
芦原の「街並みの美学」では、我が国に街路に面した家で形成された街がある。その代表的なものは、京都の町家による街並みであり、妻篭のような街道沿いの宿場町の街並みであり、飛騨高山などに代表される庄屋の街並みである、としています。
このように、日本の都市でも、そこにある住まいの中と外が混然一体となった所では、美しい街並みが形成されます。
ということは、日本の都市には、建物の内部空間が閉じられた都市と、逆に内部と外部空間が一体となった都市の2種類があるということになります。
日本では、前者のほうが後者よりも数の上で圧倒的に多いです。
太田さんの挙げられた例は、京都とそれに類似する小京都はまさしく後者に該当します。ですので、太田さんの挙げられた例とは、日本の都市の中では例外的に都市設計が成功した所だと思います。
ただ、これでは江戸の例を説明できません。
江戸という街では、建物は内部空間に閉じられています。
実際、イタリアの都市の地図を白黒反転させると広場や街路が浮かび上がってきますが、江戸の古地図を白黒反転させても敷地と道路が浮かび上がってきますが、街路は浮かび上がってきません。
このことは、イタリアの都市では、イタリアの建物が街路に直接面して内外空間が一体となった結果、外部空間、いいかえると公共空間が大切にされていたことを示す一方で、江戸では、江戸の建物は外部と塀で隔てられていたものも多かったので、そこに住む人々は、公共空間に関心をもたなかったということを示します。
にもかかわらず、江戸の街は美しいです。
つまり、公共空間に関心が持たれないような構造の都市が美しいという、逆説的な現象が発生しているのです。
しかし、この現象は、徳川家康に着目すると説明がつくように思います。
なぜなら、家康は、江戸の街並みの整備を積極的にしたからです。
太田さんが挙げた例のように、建物の高さ制限や、富士山などの山の都市景観への取り込みなどです。
このように、家康が指導力を発揮したため、江戸の町並みは美しいものになったといえます。
一方で、繰り返しますが、江戸に住む人々は、街並みに関心を持たなかったのではないでしょうか。
江戸の町並みにある建物は、内部と外部を峻別するようなものも多かったです。
塀が設けられている建物も多かったです。
以上を踏まえると、江戸という都市では、内部と外部を峻別する構造の住まいが多く、このままだと、人々が外部空間に関心を持たなくなる結果、街並みが美しくないものになるはずです。
しかし、徳川家康が指導力を発揮して、江戸の街並みに手を加えた結果、本来ならばそれほど美しいものとはならなかったはずの江戸が、世界に誇る美しい都市になった、といえるのではないでしょうか。
(3)について
日本型政治経済体制という仕組みの下で都市開発が行われた結果、都市景観が劣化したということですか。日本型政治経済体制について調べようと思います。
<太田>
典拠を付けた箇所については、極力、単一の典拠にだけ拠らないようにする。(特に、日本人の典拠には眉に唾を何度もつけること。)
典拠を付けなかった箇所については、とにかく、何らかの典拠を付ける努力をする。
そうでない以上は、意見投稿は、単なる思い付き投稿にしか過ぎませんよ。
以上、くれぐれもよろしくお願いしますね、皆さん。
塀の議論は、面白い問題提起です。
私の仮説は、イギリスないしその近傍の欧州諸国、及びアングロサクソン諸国では、例外的に住宅・・郊外の住宅が念頭にある・・に塀がないが、欧州諸国の大部分を含むそれ以外の国々では塀がある、というもの。(暫定的典拠は—以下。)
それが間違いなら・・間違っている可能性は大いにある・・どなたでもよろしいので、典拠を示してください。
また、前にも促したように、建築や都市計画の分野に詳しい方々の議論への参加をお待ちしています。
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「諸外国に柵やフェンスや網が無いのは、「確かに誰がどこまで土地を持っているかを分かりやすくするのは大切だけれども、それよりも大切なのは、この土地が美しく見えるかどうかである。
ここに柵やフェンスや網など立ててしまえば、美しさは半減する。故に立てさせません」っていうのが建築基準法上決まってるか、民意の中に流布してるか、どちらかですね。そのどちらかは知らないけれども。」
http://d.hatena.ne.jp/cheelee/20080707/1215438550
「ヨーロッパ<(=スウェーデン、ノルウェー)(注)>を旅をしていて気がついたのですが、家の廻りを塀で囲んでいる家をあまりみかけません。日本はどんなにちいさな敷地でも囲みたがります。」
http://www13.plala.or.jp/neudesign/framepage13.html
(注)この筆者、北2011年にはウィーン、ザルツブルグを訪れている
http://www13.plala.or.jp/neudesign/framepage13.html
が、塀についての記述がないのは残念。
「注目したいのは、・・・英国<人>・・・のガーデニングの発想だ。塀で囲んだ「わが家」の庭を美しくしたいという日本人と基本的に違うのは、「わが家」のガーデニングが地域の美観景観の一部を担うべきだという発想だ。個人の庭であり、菜園でありながら、常に社会との調和を目指すこの意識は、成熟した個人主義の表れなのかもしれない。」
http://www.ks-antique.com/antique_appeal/antique_appeal_10.html
「オランダ<で>は・・・長屋のような住宅が多く一軒家が少なく塀も見なかった。
ベルギーの北部は丘陵地帯に多くの城塞が点在し、強固な城壁が見られる。町にも多くはないが塀が見られました。」
http://shohotphoto.a.la9.jp/0705hei-eu.html
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以下、参考です。
–前回の私の指摘の(2)に係るもの–
「柱・梁を基本構造とする日本建築と、煉瓦や石で壁を築いてゆく西洋建築は対照的な存在であり、20世紀のモダニズムの時代になると、近代建築の理念を先取りした点があるとして注目されるようになった。・・・日本において建築とは、まず近代化のために西洋から学ぶべき技術として捉えられ、芸術・美術と捉える意識は薄くなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%8F%B2
–前回の私の指摘の(3)に係るもの–
「都市の美観という発想は、大正・昭和初期の建築家の一部に見られたものの、戦時体制・戦後復興の中でほとんど影をひそめてしまった。伝統的な街並みや過去の優れた建造物の多くが戦災や経済発展の中で失われ、経済性・合理性優先の安上がりな建築が多くなり、スクラップアンドビルドが繰り返された。その結果生まれた日本の雑然とした町並みを肯定的に評価する意見もあるが、かつての日本にあった風土的な個性の多くが失われたことには反省の声も多く、重要伝統的建造物群保存地区の選定や景観法の制定など、美しい都市・国土への関心も高まりつつある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%8F%B2 同上
それでは、その他の記事の紹介です。
どうして、赤が共産党の色になったのかの経緯だ。↓
<ジャコバン党に始まり、1848年の革命で普及。↓>
・・・Starting during the rise of the radical Jacobins during the French Revolution, red flags symbolized uprisings against entrenched authority. The revolutions of 1848 furthered the trend, as they began with red flags foisted in France and continued with others in Germany, Denmark, Italy, Austria, and Poland. The Communist Manifesto was published the same year, and its followers fought under the same red flags as the democrats and anarchists.
<ただし、フランスで、もともとは、体制側が緊急事態に掲げるのが赤い旗だった。↓>
The red flag didn’t always represent popular uprising. Earlier, it was a symbol of emergency, and was used to signal the need for martial law. When a crowd petitioned to depose King Louis XVI in 1791, the red flag was flown not by the revolutionaries but by the counterrevolutionaries. ・・・
<共産主義がらみで最初に赤旗が用いられたのは、1871年のパリ・コミューンの時。↓>
・・・the first Marxist regime to make red its official color was the Paris Commune, which ruled over Paris very briefly in 1871. (They flew the red flag rather than the French tricolor.) ・・・
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/explainer/2012/03/communist_bo_xilai_gets_ousted_why_do_communists_like_red_so_much_.html
米国のフロリダ州等では、正当防衛の要件が著しく緩和された結果、疑わしいと思われた人は誰でも自由に射殺できると言っても過言じゃないんだって。↓
・・・Florida is a Stand Your Ground state. Stand Your Ground laws do away with the longstanding legal concept that there’s a “duty to retreat” — that the sane and sensible thing to do when confronted with a “suspicious” situation is to get the heck out of there. In Florida and a number of other states, if running for safety is an option you don’t have to take it. You can meet perceived danger with deadly force; and if you end up making a dodgy situation worse, you can fire your gun and claim self-defense. Then it’s up to the prosecution to disprove that claim.・・・
<フロリダ州(?)では、「正当な」殺人が3倍に増えたって。↓>
The Tampa Bay Times reported in 2010 that “justifiable homicides tripled after the law went into effect” and that it “has been invoked in at least 93 cases with 65 deaths.”・・・
http://loyalopposition.blogs.nytimes.com/2012/03/20/shoot-first-claim-self-defense-later/?ref=opinion
前にも取り上げたことがあるけど、親と一緒に住む成人が米国でどんどん増えてきている。↓
・・・ 21.6% of Americans ages 25 to 34 now live in multigenerational households. The figure has risen steadily since 1980, when it measured at just 11%, and it spiked, unsurprisingly, starting in 2007.・・・
http://moneyland.time.com/2012/03/20/being-30-and-living-with-your-parents-isnt-lame-its-awesome/
<不況で若者に職がないことによる一時的現象だという説もある。↓>
・・・There are some who say that the current situation, in which high percentages of young Americans are underachievers living in their parent’s basements, will be the norm for some time to come. The New Yorker‘s James Surowiecki doesn’t agree with this take, however. He sees the rise in extended stays in the nest as a cyclical change in response to the economic downturn, not a permanent change・・・
<だけど、州を越えて引っ越しする人もどんどん減っている↓ことからすると、一時的現象とはボクには思えないね。>
・・・since the 1980s, the likelihood of an American in his or her 20s moving out of state has declined by more than 40%. ・・・
http://moneyland.time.com/2012/03/13/move-out-of-your-parents-house-and-save-the-economy/
腐敗しきった候補者と、共産党の秘密党員くさい候補者の二人の間で実質的に争われている、香港の次期行政長官選。
香港の人々に将来はない、と改めて感じる。↓
・・・ Martin Lee, the founding chairman of the Democratic Party, called Mr. Leung an underground “Communist Party cadre”, an allegation that recent statements by his opponent, former financial secretary Henry Tang, have helped fan.
Mr. Leung has repeatedly denied that he is a member of the Communist Party.・・・
<後者は、トウ小平こそノーベル平和賞にふさわしいと何度も公言。
天安門事件の犠牲者への黙とうの際に微笑を浮かべていたように見えたとも。↓>
Mr. Leung reiterated his suggestion that Deng Xiaoping, rather than jailed dissident Liu Xiaobo, should have been the first Chinese to win the Nobel Peace Prize, because his economic policies helped lift millions out of poverty in China.
In another debate organized by the pan-democrats earlier this month, when the three candidates were asked to observe half a minute’s silence for the victims of Tiananmen Square, Mr. Leung appeared to be smiling during those 30 seconds, spurring resentment among many Hong Kong residents.
<2003年に、香港の「破壊活動防止法」制定に反対するデモ隊に対して、催涙ガスを用いるよう促したとも。↓>
Mr. Tang alleged last Friday that Mr. Leung had brought up the idea of sending in riot police and using tear gas to deal with demonstrators in Hong Kong in 2003 if necessary, to ensure that a highly unpopular antisubversion law, Article 23, would be passed. (The legislation was eventually shelved).・・・
http://blogs.wsj.com/chinarealtime/2012/03/21/hong-kong-democratic-leader-fears-leung-victory/?mod=WSJBlog&mod=chinablog
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太田述正コラム#5372(2012.3.21)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(その11)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x1498)
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