太田述正コラム#5202(2011.12.28)
<リベラルなイスラムは可能か(その4)>(2012.4.14公開)
「シャリアの中の最も専制的な要素は、イスラムにおける<神の言葉である>コーラン後の(すなわち、「人がつくった」)部分に由来する。
・・・この「人がつくった」伝統中のリベラルな諸系統は、我々が近代世界において直面しているところの、より生硬な陣営、就中その最も純粋な形態たるワハブ主義<(注14)(コラム#50、55、60、87、320、327、386、387、1649、2458、2646)>、によって抑圧された。・・・
(注14)Wahhabism=Wahhabi。サウディアラビアのネジド(Najd)出身の18世紀のイスラム神学者のムハマド・イブン・アブダルワハブ(1703~92年)によって創始されたイスラムの一派。ワハブ主義はサウディアラビアの王家たるサウド家と一体化している。ワハブ主義は、イスラムの純化と革新を目指す。ワハブ主義とサラフィ(Salafi=al-hadith=ハディスを遵守する人々)主義とを同じものと考える人と、前者を後者の独特の形態と考える人がいる。そのような人々は、ワハブ主義を超保守主義的にして異端的であると見る。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wahhabi
・・・私<(アキョール。以下同じ。(太田))>が表明する諸観念は、既に様々な神学者、例えば近代主義者たるトルコの「アンカラ派(Ankara school)」<(注15)>によって提起されているものだ。
(注15)1949年にトルコ政府が設立したアンカラ大学神学部(faculty of divinity at Ankara University)に淵源を持つイスラム復興運動を指していると思われる。
1980年代に、欧米哲学、マルクス社会学、急進的イスラム政治理論等を混淆することによって、イスラムを復興し、西欧におけるような、脱宗教化、資本主義ないし社会主義の下での物質主義を排し、トルコにおいて、社会悪に対して批判的でありつつ、倫理的諸価値や宗教の精神的次元に忠実であろうとする運動が起こった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Islam_in_Turkey
私のやったことは、無味乾燥な学術諸論文から、それらの諸観念を抽出し、それらをより分かりやすく(accessible)、かつ、望むらくは、より広範な観衆にとって説得力あるものにすることだった。・・・
例えば、中世における、世界の「戦争の地域(House of War)」と「イスラムの地域(House of Islam)」への二分<(注16)>は、今日では完全に意義を失っている。
(注16)イスラムの地域=Dar al-Garb(イスラム教徒が自由に信仰できる地) に対するに、戦争の地域=Dar as-Salam/Dar al-Tawhid(それができない地)。コーランにもハディスにも記述はなく、アブ・ハニーファ(前出)によって初めて示唆された考え方。
http://en.wikipedia.org/wiki/Divisions_of_the_world_in_Islam
というのは、多くのイスラム教徒は、非イスラム教徒が統治している地における方が、より安全であると感じているからだ。」(E)
「コーランは・・・もし神の言葉(verses)が嘲られたら、単に、そのような人々とは席を同じくするな、と言っている。
だから、それがいわんとしているのは、イスラム教徒は、彼らが傷つけられたと感じる攻撃的修辞に対しては、単にボイコットすることができるだけであって、彼らは、これらの人々を暴力でもって沈黙させる必要はない、ということなのだ。・・・
<また、>コーランの第24章には、女性に対して、彼女が姦淫したと非難するにあたっては、4人の証人を必要とする、と書いてある。
これは、それができない者には、誰も耳を貸してはならない、ということなのだ。
つまり、基本的には、嫉妬心が強すぎる夫たちから妻達を守ろうとしているわけだ。」(F)
「・・・近代イスラム世界には、異なった二つの極端なものが存在する。
世俗的専制主義に対するにイスラム専制主義の二つだ。
この本の章の中の一つで、私は、中東における世俗的専制主義が、いかにそのイスラムにおける対抗的存在を創造したかを示している。
イランにおけるレザ・シャー(Reza Shah)<(注17)(コラム#30、203、660、771、775、869、1380、1538、1578、1579、1649、1876、3351、3361、3425、4507、4509、4735)>によるイスラム的慣行(practices)の抑圧と、それに対するイスラム的反応が最終的にイラン革命をもたらしたことが一つの際立った例だ。
(注17)パーレヴィ=パーレビ=Mohammad Reza Shah Pahlavi。1919~80年。イラン皇帝(Shah):1941~79年。パーレヴィ王朝の2代目にして最後の皇帝。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mohammad_Reza_Pahlavi
しかし、私は第三の道があると信じており、私はそれをイスラム・リベラリズムと呼んでいる。・・・
私は世俗的国家を選ぶが、トルコ的世俗的国家は好まない。
なぜなら、後者は、特定の形態のイスラム教を押し付け、かつ、イスラム教の慣行を抑圧するからだ。
宗教は、リベラルな世俗国家の下において、かつ、市民社会の中において、最も幸せで繁栄するのだ。・・・
<今次アラブの春において見られるように、>テュニスとエジプトのイスラム諸政党は、<トルコの>正義開発党(AK党)を自分達の先例として用いた。・・・」(G)
(続く)
リベラルなイスラムは可能か(その4)
- 公開日: