太田述正コラム#5204(2011.12.29)
<阿部泰隆論文を読む(その3)>(2012.4.15公開)
自民党政権が最後に決めたところの、防衛省中央組織の背広組と制服組の混成化という、私が2001年に拙著『防衛庁再生宣言』の中で提唱した組織改革案(注1)が、自民党政権が倒れ、民主党政権が成立した時、以下のように覆されてしまったことは記憶に新しいところです。
(注1)「内部部局における文官・自衛官の混成勤務体制を高級幹部クラスを含めて実現する。」(65頁)。「高級幹部クラスを含めて」としたのは、内部部局の人員不足を補うため、かつ内部部局の軍事専門知識の欠如を補うため、既に各自衛隊の自衛官が文官の手足として内部部局で勤務しているからだ。
「北沢俊美防衛相<は、2009年10月>6日の記者会見で、内局官僚(背広組)と自衛官(制服組)の混成化を軸とする防衛省組織改革の見送りを突然発表した。省内では「制服組の権限強化に歯止めがかかる」(内局幹部)と評価する意見と「首相官邸と擦り合わせたのか。積み上げを防衛相のひと言で覆すのであれば、政策遂行が不安定になりかねない」(自衛隊幹部)と戸惑いの声が交錯した。
鳩山由紀夫首相は内閣発足直後、専守防衛に基づきシビリアンコントロール(文民統制)を確保するよう北沢氏に指示。北沢氏の発言はこれを踏まえたとみられる。
防衛省改革は元防衛事務次官の汚職事件や海上自衛隊のイージス艦衝突事故など不祥事の続発を受けた動き。内局と統合・陸海空の各幕僚監部に分かれている防衛省中央組織の現体制を温存し、それぞれを背広組と制服組の混成組織とするのが柱になっている。」
http://www1.r3.rosenet.jp/nb2hoshu/BoueisyouSosikiKaikaku.html
鳩山(と北沢)は、これだけ背広組にトンデモ・サービスを行いながら、普天間問題で彼らに協力してもらえたどころか、その不服従、抵抗により、「少なくとも県外移設」を実現できず、首相退任に追い込まれたのですから、そのアホさかげんはまさに「宇宙」クラスです。
すなわち、2002年の防衛庁リストのリークといい、2008年の海幕内部文書のリークといい、背広組の地盤沈下を回避するための背広組(内局)の策謀の一環であると考えるのが自然なのです。
こんなことは、私が防衛省(庁)に土地勘があるから言えるとか穿った見方であるとかいうレベルの話ではないのであって、リークして誰が(どの集団が)一番トクをするか、を考えれば、リークした犯人は自ずから明らかでしょう、ということです。
阿部は、この論文(2011年9月)を発表することで、意識するとしないにかかわらず、海幕を始めとする陸海空幕が悪者でありかつ無能であるという印象を世間に広めることによって、内局の地盤沈下を回避しようとする内局の策謀の片棒を担がされているのです。
そういう自覚の片鱗すら阿部から感じられない、というところからも、阿部が、事件や争訟を取り巻く社会事情について無知である、というより関心が欠如していることが窺えます。
2002年のリークの時もそうでしたが、2008年のリークに関しても、マスコミも結果的にこの策謀の片棒を担がされています。
阿部は、東京新聞は、「防衛庁リスト問題 海幕 内局方針に反発、文書 三佐に賠償責任ない 08年には存在否定 内閣府 開示命令」という見出しの2011年1月6日の記事中の同紙の編集委員の(私の旧知の)半田滋(注2)記者による「解説」を引用し、「「海上幕僚幹部が求償阻止のために作成した文書」の開示を求められると、一転して「存在しない」と不可解な態度に終始した。海上幕僚幹部は<件の>三佐をかばい、内局は海上幕僚幹部をかばったとすれば、防衛省・自衛隊は誰のための組織かと疑われても仕方ないとしている。まさにその通りであろう。」(15~17)と鬼の首を取ったかのような書きぶりをしていますが、これは半田さんとも思えないヨミの浅さです。
(注2)「1955年栃木県宇都宮市生、東京新聞編集局社会部勤務。93年防衛庁防衛研究所特別課程修了。92年より防衛庁取材を担当。」
http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntzhanda.htm
「内局は海上幕僚幹部をかばった」どころではなく、件の海幕内部文書を2008年にリークしたのは内局であるとふんで猛反発する海幕の剣幕に押されて、内局は、一旦この文書の存在を否定したものの、恐らくは内閣府に、実はこの文書が存在することを密かにご注進したからこそ、2011年に内閣府は開示命令を発するに至った、と考えるべきなのです。
まさに、東京新聞も、結果的に内局の策謀の片棒を担がされた、と言わなければなりません。
そもそも、阿部は、件の三佐に求償するのは当然だとおっしゃるけれど、防衛庁リストに載せられた人は約140名もいる(9)のです。
このうち2名が訴えただけですが、この2名とも勝訴し、国から平均10万円強をせしめ、件の三佐は、計25万円弱を国から求償されています。
ですから、(現在でこそ、公訴時効が成立している可能性があるけれど、)2008年当時、この約140名が全員訴えてくれば、件の三佐が1,500万円近くを求償される可能性があった(注3)からこそ、海幕が、何が何でも、いや、少なくとも判決で件の三佐の故意が認められなかったケースについてぐらいは、件の三佐の求償を回避させる理屈を構築したい、と考えたのは当然でしょう。
(注3)東京訴訟の原告は作家でカネがある、あるいは作品の材料集めにもなる、ということで、弁護士を雇って持ち出しでこの訴訟を提起した可能性があるし、新潟訴訟の原告・・どうして新潟で訴訟提起ができたのか判然としない・・は弁護士だから原審、控訴審、上告審を通じて本人訴訟で弁護士費用はゼロだっただろう。もっとも、後者については、東京高裁が控訴審であり、最高裁まで行った(10)ので、控訴審以降は東京に出向かなければならない機会が多く、その交通費で恐らくは持ち出しに終わっただろう。しかし、例えばこの弁護士が、残りの140名全員またはその一部から委任状をとりつけて、一括して訴訟を提起する可能性などがあったと見るべきだろう。
本当に阿部は、件の三佐がそんな大金を払わされる可能性があるほどの非違行為をしでかしたと思っているのでしょうか。
まあ、そんなことを阿部に聞くだけ時間のムダかもしれませんが・・。
(続く)
阿部泰隆論文を読む(その3)
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