太田述正コラム#0084(2002.12.12)
<イギリス文明論をめぐって(アングロサクソン論5)>
1 イギリス文明論の不在
以前にウィンストン・チャーチルの「我々は欧州と共にあるが、欧州に属してはいない。」という言葉をご紹介しましたことがあります(コラム#4)が、「イギリス(注)では、「ヨーロッパ」(‘Europe’、’European’)というと、自分達は除外して、英仏海峡の向こうの大陸とそこの人々のことを指し、自分達は違う(‘We are British’)という意識を持ち続けて」きました(川西進『イギリスの言語文化??――イギリスの全体像を求めて』(財)放送大学教育振興会、1990年、239頁)。
このように、アングロサクソンの祖国であるイギリスは、イギリス人の常識からすれば、ヨーロッパ(というより西欧)とは全く異なった存在なのですが、このような観点に立ってイギリスについて論じた本格的なイギリス文明論にはいまだ出会っていません。
(注)イギリスとは、英連合王国(英国)を構成するイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドのうちのイングランドを指す。イングランド以外の三つは、文明的には西欧に属すと考えてよい(太田)。
2 イギリス文明論をたずねて
(1) イギリスについて語らないイギリス人
イギリス人自身の手になるイギリス文明論が出現していないのは、なぜなのでしょうか。
E.M.フォースター(デビット・リーン監督による名画「インドへの道」の原作者)達は、イギリスのパブリックスクール(全寮制のエリートを養成する中高一貫教育校)においては、身体を鍛えること、感情に流されないこと、更には、感情の起伏を表に出さないこと、しゃべるときに口をあまり大きく開けないようにすること(!?))という教育が行われていると指摘します(川西前掲228頁より孫引き)。
また、「カタロニア賛歌」や「1984年」の作家として有名なジョージ・オーウエルは、イギリスのインテリは料理法はパリから、意見はモスクワから学ぶとし、イギリスは、世界の偉大な国の中で、唯一つ、インテリが自国の国民性を恥ずかしく思っている国であると指摘しています(川西前掲224頁より孫引き)。
以上からは、イギリス人は寡黙、謙虚を旨とするがゆえに、お国自慢と見られがちなイギリス文明論などは語ろうとしないということになりそうです。
私自身は、イギリス人は賢明なので、アングロサクソン以外の人々が潜在的に持っているアングロサクソンへの嫉妬心をかきたてることが必至であるところのイギリス文明論を、あえて語るのは避けているのだと思っています。
いずれにせよ、今後ともイギリス人によるイギリス文明論の出現を期待するのは無理なようです。
(2) イギリスを直視できない西欧人
それでは、西欧人の手になるイギリス文明論がないのはなぜでしょうか。
西欧の人々には、イギリスは地理的に近くて歴史のかなり多くの部分も共有しているのだから、西欧とイギリスは同じ文明に属すという思いこみがあり、その思いこみが容易に払拭できないからだと思います。
イギリスと西欧が全く違うと言い切っている西欧人は、私の知る限りフランスの英文学者のカザミヤンくらいなものです。彼に言わせれば、「イギリス人とフランス人・・の両国民<は、>その体つき、物腰、態度、言語、思想、感情、風習が全く違う」(ルイ・カザミヤン『イギリス魂――その歴史的風貌』手塚リリ子・石川京子訳、教養文庫1971年(原著は1927年)、7頁の訳注より)のです。
しかし、残念ながら、カザミヤン自身が、「われわれフランスの隣国<の諸国民>の中で、イギリス<人>こそは、われわれがその性格を最も捉えがたい国民なのである」(同8頁)と率直に告白していることからも想像されるように、彼の『イギリス魂』は決して成功作とは言えません。
カザミヤンの限界は彼がやはり、イギリスとフランスが共通の文明に属さないという認識にまでは到達していなかったことでしょう。
喩えはあまりよくありませんが、EU内での英国の座り心地の悪さには、仮にトルコが将来EUに入ったときに感じるであろう座り心地の悪さ以上のものがあります。英国がEUの政治統合はもとより、共同防衛構想に反対し(http://www.guardian.co.uk/eu/story/0,7369,863986,00.html。12月21日アクセス)、ユーロ圏加入に躊躇する(コラム#4参照)のは、イギリスと西欧が全く異なった文明に属するからなのです。(拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社、2001年、191-194頁 参照)
西欧人がこの事実を直視する勇気を持つことさえできれば、西欧は歴史の多くの部分をイギリスと共有してきただけに、本格的なイギリス文明論の登場を期待できるはずですが、今のところその可能性はなさそうです。
(3)イギリスが分からないその他大勢
米国を始めとするアングロサクソン諸国の人々にとっては、イギリスはコンプレックスを抱きつつ仰ぎ見る母国であって、これを客観視することは困難であり、彼らによるイギリス文明論の出現に期待することはできません。
イギリスの植民地であった国々の人々にあっては、(そもそも彼らがかつて全く異質の文明に属していたということはさておくとしても、)イギリス以外のアングロサクソン諸国の人々とほぼ同じ理由で旧宗主国たるイギリスの文明を客観的に論じることは困難です。
それ以外の国々の人々にあっては、イギリスと全く異質の文明に属しているだけでなく、イギリスと歴史も殆ど共有しておらず、イギリス文明論を書くために不可欠な共通の基盤がありません。
(4)イギリスの本来的理解者たる日本人
最後に日本人です。
夏目漱石は、イギリス文学に関心があったにもかかわらず、英語教授法の研究を日本政府から命ぜられてイギリスに留学しました(川西 前掲)。漱石に期待されたのは、英語教授法を身につけて帰国し、日本の学生に英語を教えることでした。そうすれば、英語を習得した学生が国内で、或いはイギリス等に留学してイギリス等の進んだ制度や科学技術を学び、これらを速やかに日本に移植することができるというわけです。
ですから、イギリスを相対化した上で、客観的にその全体像を把握しようとする心の余裕は、当時の日本人にはありませんでした。それでもさすがに漱石と言うべきか、(求められてもいないのに)イギリス文学論を書き上げます。しかし、それはイギリス文明論の名に値するようなものではありませんでした。
現在でも日本にはおびただしい数のイギリス研究者がおり、全国紙の書評欄のどれかにイギリスに関する本の紹介記事が載らない週は少ないといってもいいでしょう。にもかかわらず、未だに日本人の手になる本格的なイギリス文明論が生まれていないのは残念なことです。
というのも、本来、日本人ほどイギリス文明論を書くのにふさわしい存在はないからです。
130年前、(当時の日本政府全体が外遊した観があった)岩倉大使節団がロンドンに到着する前日、ロンドンのタイムス紙(1872年8月20付)はこの使節団について長文の記事を掲載し、日本を東の英国であると評しました。そして、その日本と英国との類似点の一つとして、「社会・政治の基本構造(edifice)の安定を揺り動かすことなく、最も抜本的な革命を発動(affect)することを知っている」点をあげています(在日英国商業会議所発行の雑誌、BCCJ Insight, Volume 9 Number 6, November/December 2002, pp5 より孫引き)。
私はかねてから、イギリス文明と日本文明は、アングロサクソン以外の(西欧文明等の)どの文明に比べても互いに共通点が多く、従って日本人は、イギリスを最もよく理解できる立場にあると指摘してきました(注)。
(注)前掲「防衛庁再生宣言」においては、両者の共通点として「多元主義と寛容の精神」をあげた(192頁)
3 イギリス文明論の意義
(1)近代文明はイギリス文明
イギリス文明を理解しなければならない理由の第一は、我々が、イギリス文明そのものと言ってもよい近代文明を享受しているということです。
考えてみると、近代の全てがイギリスで始まっていると言っても過言ではありません。
近代資本主義のルールや制度、化石燃料を動力源とする近代産業、法の支配・人権の保障といった立憲主義やそれを担保する近代議会制度、ベーコン、ニュートンらに代表される近代経験科学(コラム#46参照)は言うに及ばず、テニス、サッカー、ラグビー、クリケット(野球の原型)、ゴルフ(正確には、イギリスではなく、スコットランドですが・・)、のような近代スポーツ、更には海水浴、登山、パック旅行といったレジャーに至るまで、あげ始めるときりがありません。
科学的精神、文学、古典芸術、純粋スポーツ及び民主主義等からなる、いわゆる古典古代を生みだしたのが、古代地中海世界一般とは全く異質なギリシャであったことになぞらえて言えば、近代はヨーロッパ大陸に始まったのではなく、これと明確に区別されるところのイギリスに由来すると言えるでしょう。
およそ日本人であると否とを問わず、現代を理解するためには近代の何たるかを理解しなければならず、近代の何たるかを理解するためには、イギリス文明を理解しなければならないのです。
(2)米国はできの悪いイギリス
理由のその二は、イギリス文明を理解することが、現在の世界の覇権国であると同時に日本の同盟国であり、日本にとって決定的に重要な国である米国を理解しようとする際、最良の手がかりを与えてくれるからです。イギリス人がつくった国である米国は、(言葉が汚くて恐縮ですが、)いわばできの悪い(=bastard)アングロサクソンであり、イギリス文明が分かれば、米国については、概ね理解できたと言ってもさしつかえないのです。
(3)第三世界もほとんどイギリスがつくった
インドを始めとするアジア・アフリカ諸国のほとんどは旧イギリス植民地であり、これら諸国においては、公用語として英語が使われているだけでなく、あらゆるものがイギリスゆずりだと考えていいでしょう。
これらの第三世界の国々を理解するためにも、イギリス文明の理解は欠かせないのです。
4 結論に換えて
このように、イギリス文明を理解しないと、我々は現在の世界を全く理解することができないというのに、本格的なイギリス文明論はまだどこにもありません。
本格的なイギリス文明論を展開することは、私の能力をはるかに超えますが、私自身、国際情勢等を分析するためにもイギリスを理解する必要性を感じ、かねてからイギリス文明と格闘してきました。その格闘のささやかな成果(アングロサクソン論)を今後とも折に触れてご披露していく所存です。
(本コラムは、自衛隊の部内紙『朝雲』に1991.8.15、9.5、9.19 の三回にわたって連載したエッセーを再構成し、部分的に加筆したものです。なお、文中引用したコラムを読みたい方は、私のホームページのコラム欄(http://www.ohtan.net/column/index.html)にアクセスしてください。)