太田述正コラム#5236(2012.1.14)
<一米国人有識者の欧米思想史観>(2012.5.1公開)
1 始めに
 ロンドン在住の米国人のスティーヴン・トロムブレー(Stephen Trombley)が ‘A Short History of Western Thought’ を上梓したので、この本についての2つの書評をもとに、この本を俎上に載せたいと思います。
A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/08/history-western-thought-trombley-review (ガーディアンがどうしてこの本を書評で取り上げたのかは興味深い。)
(1月9日アクセス)
B:http://www.foyles.co.uk/item/Philosophy-Psychology-Social-Sciences/A-Very-Short-History-of-Western-Thought,Stephen-Trombley-9780857896285
(1月11日アクセス)
 なお、トロムブレーは1954年生まれの著述家で映画制作者であり、現在、ロンドンの映画・TVプロダクション会社の社長をしています。
 彼は、ニューヨーク州立大学プラッツバーグ(Plattsburgh)校修士課程(英語)を1975年に卒業しています。学部3年の時にイギリスのノッティンガム(Nottingham)大学に留学したことがあるのですが、修士課程卒業後ただちにこのイギリスの大学に戻り、そこで博士号を取得し、そのままロンドンに住みつきます。
 そして、1989年に上記プロダクション会社を設立し、現在に至ります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Trombley
 この経歴からすると、こう言ったら語弊があるかもしれませんが、イギリス在住とはいえども、トロムブレーは、まさに平均的有識者たる米国人である、と私は思います。
2 一米国有識者の欧米思想史観
 「・・・トロムブレーはキリスト教思想の発展について議論を行う。
 そのおかげで、我々は、(単一の啓蒙主義へと単純に煎じ詰めることのないところの、)フランス、ドイツ、及びスコットランドのそれぞれの啓蒙主義が、キリスト教神学にその起源をもつ、個人の重要性の徐々なる成長の中から出現したことを見てとることができる。
→もともと自然宗教志向で、もとから個人主義でそもそも「啓蒙」されていたところの、イギリスはキリスト教思想の影響を余り受けておらず、従ってまた、かかるイギリスには「個人」の「出現」も「啓蒙主義」もなかった(コラム#省略)ことが示唆されており、語るに落ちた感があります。(太田)
 「個人の解放(liberation)」というテーマが、この本の中心的話題である、とほぼ言ってよかろう。
→ということは、この本は、西洋思想史ないし欧米思想史ではなく、(イギリスは入らず、米国は入るところの)欧州思想史の本なのだな、と茶々を入れたくなりますね。(太田)
 トロムブレーは、アウグスティヌス<(コラム#1020、1023、1169、1761、3618、3676、3678、3718、3908、5061、5100)(注1)>の『告白』<(注2)>を「一人称単数の「私」が精神的かつ知的議論に登場する最初の文章」であるとする。
 (注1)Aurelius Augustinus。354~430年。「古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・非カルケドン派で聖人。・・・現在<の>アルジェリア・・・に生まれた。・・・新プラトン主義とキリスト教思想<を>統合<するとともに、>ストア派ことにその禁欲主義への共感を促進<した。また、>・・・人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9
 (注2)「397年から翌年に至るまでに書かれた・・・自伝。・・・青年時代の罪深い生活からキリスト教へのめざめをたどっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%8A%E7%99%BD_(%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9)
→アウグスティヌスは、プロト欧州文明、従ってまた、欧州文明の闇の部分を基礎づけた思想家である、というのが私の考えであり、私はアウグスティヌスを全く評価していません。彼に関する私の過去コラムを振り返ってみてください。(太田)
 その1,000年後、<彼が蒔いた>この種(たね)が、宗教改革における個人の神との直接的な関係の強調という花を咲かせるのだ。
→トロンブレーのアウグスティヌス解釈はおかしいのではないでしょうか。
 アウグスティヌスの同時代人にブリテン諸島出身のキリスト教修道僧ペラギウス(Pelagius。354?~420/440?) がいます
http://en.wikipedia.org/wiki/Pelagius
が、
 「ペラギウス主義は・・・人間の意志は神の救いを必要としないという<ものであったのに対し>、・・・アウグスティヌスは・・・人間<に>は選択の自由はあるが・・・自由の中にも実は神意の采配が宿っているとしており、人間単身の選択では救いの道は開けず、神の恩寵と結びついた選択により道が開けるとし・・・た。・・・<結局、>431年のエフェソス公会議で異端である事が<確定された>。・・・べラギウス主義<は、>・・・人間の自由意志を強調する点でヒューマニズムの思想の原点ともいえる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ということからして、個人を強調し、その「個人の神との直接的な関係」を説いたのは、アウグスティヌスと言うより、むしろペラギウス主義であったからです。
 何度も記した(コラム#461、497、1519、4408、4452)ように、イギリス人は、この自然宗教的なペラギウス主義の影響を強く受けて現在に至っているのです。(太田)
 トロムブレーは、知的諸変化を背後から推進したところの、社会的かつ技術的諸発展にもスペースを割く。
 例えば、広く知られていることではあるものの、思想史(histories of ideas)の中では触れられないことがしばしばあるところの、印刷術と自国語による本の入手可能性の重要性を彼は取り上げている。・・・」(A)
 
 「・・・ギリシャ・ローマ時代(Classical Antiquity)から今日の思想家達に至るまで、トロムブレーが関心を払わない欧米思想の重要な流れにおける主要な代表的人物はない。
 中世のキリスト教のスコラ神学者達、啓蒙主義の大哲学者達、カントからヘーゲルに至るドイツ観念論者達、超絶主義者達<(コラム#4334、4412)>のエマソンとソロー、キルケゴール(Kierkegaard)と実存主義者達、分析哲学者達のラッセル(Russell)、ムアー(Moore)、ホワイトヘッド(Whitehead)、ヴィトゲンシュタイン(Wittgenstein)、そして、最後に述べるが決して軽んずべきではないところの、我々の現代世界の4人の主任形成者達である、哲学者・歴史家・政治理論家のカール・マルクス、自然学者で進化理論を提案したチャールス・ダーウィン、精神分析の父のシグムント・フロイト、そして理論物理学者でポスト・ニュートン物理学の創建者であるアルベルト・アインシュタイン。」(B)
→ギリシャ・ローマの諸賢哲から始めることといい、その後の登場人物群といい、戦後日本における標準的な世界思想史の概説本の中身とほぼ同じ感じです。(典拠省略)
 占領下の日本において、GHQがそのように教え込んだのかい、と言いたくなります。(太田)
3 終わりに
 一米国人有識者の欧米思想史観を通じて、米国人有識者一般の世界観が見えてくる、といったところでしょうか。