太田述正コラム#5240(2012.1.16)
<煮え切らない無神論について(その2)>(2012.5.3公開)
マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)<(注6)>は、神がいないこと(godlessness)がヴィクトリア時代の勤労階級の間に広まることを恐れた。
(注6)1822~88年。イギリスの詩人、批評家。「聖職者・・・の長男として誕生。イギリスの耽美派詩人の代表であり、文明批評家でもある。ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱の「ドーヴァー・ビーチ」<で>有名・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%89
それに対しては、彼自身が信じることを止めて久しかったところの、詩化されたキリスト教の形態でもって対抗できるのではないか、と彼は考えた。
19世紀のフランスの哲学者のオーギュスト・コント(Auguste Comte)<(コラム#3216、3676)>は、徹底的な唯物主義者だったが、神、聖職者、聖餐式、祈祷、そして祝祭日を備えたところの、神の世俗バージョンが完全に備わった、理想社会を思い描いた。・・・
ド・ボトンは、人々が文字通り<の神を>信じることこそ欲しないけれど、彼の極端な(high)ヴィクトリア時代的口調がはっきり示しているように、彼は、後世のマシュー・アーノルドであり続けているのだ。
宗教は、「我々に慇懃であること、互いを尊重すること、忠実で冷静(sober)であること」を教え、かつ、我々に「コミュニティの様々な魅力」を教示してくれる、と。
この全てが、冗長にこぎれいで上品(tediously neat and civilized)に聞こえる。
これは、正義のためにこと挙げして拷問された上処刑され、同僚達に自分の範例に倣うならば同じ運命に見舞われるだろうと警告したところの、福音の説教者<たるイエス>とは全然異なる。
ド・ボトンのマニキュアが念入りに施された両手によって、この<もともとは>血腥かった営みは、「道徳性を促進しコミュニティ精神を醸成する」ことができるところの、精神的療法の心和ませる(soothing)形態、とあいなるわけだ。・・・」(A)
「・・・この本の前提は、傾倒的無神論者であり続けつつも、諸宗教が、時たま有用で興味深く、かつ慰めてくれると認めること、そして、諸宗教の特定の諸観念と諸慣行を世俗的領域に輸入するという可能性について好奇心を持つこと、が可能であるに違いない、というものだ。
人は、キリスト教の三位一体や仏教の五つの道(Fivefold Path)<(注7)>については冷笑的であっても、同時に、諸宗教の、説教を行い、道徳性を促進し、コミュニティの精神を醸成し、美術と建築を活用し、旅へと誘い、頭を鍛え、春の美しさへの感謝の念を奨励する、という方法論に関心を持つことはできる。
(注7)仏教で五つと言えば、通常思い出すのは、五戒、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
すなわち、「仏教において在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒・・・不殺生戒・・・不偸盗戒・・・不邪淫戒・・・不妄語戒・・・不飲酒戒・・・のこと」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%88%92
だが、これ以外にも、五にちなむものは、以下のように色々ある。
五欲(食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲)、
http://bukkyouwakaru.com/yoku/yoku1.html
と五色(如来の精神や智慧を5つの色で表したもの)、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%89%B2_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
と五行(菩薩がする5つの修行。起信論では布施・持戒・忍辱・精進・止観)だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
文脈からして、ポッドは、五行のことを言っているのかもしれない。
信教と世俗の、様々な原理主義者達に悩まされる現代にあって、宗教的信条の拒絶、と宗教的儀典や概念に対する選択的敬意、<の二つ>を均衡させることが可能であるに違いないのだ。・・・
・・・我々は、諸宗教を二つの中心的な必要性に応えるために発明したのだ。・・・
一つは、我々に深く根差す利己的で暴力的な諸衝動にもかかわらず、諸コミュニティの中で調和のうちに一緒に生活する必要性だ。
もう一つは、仕事の上の失敗、うまくいかなくなった人間関係、更には、愛する者の死、そして我々の老いと死、に係る脆弱性に由来する痛みの甚だしさに対処する必要性だ。・・・
私は、宗教的信条をサンタクロースに対する愛着とほとんど同次元でとらえる二人の世俗的なユダヤ人の息子として、明確に(commitedly)無神論的な家庭で育くまれた人間なのだ。・・・」(B)
3 終わりに
要するに、ド・ボトンは、宗教原理主義とその変形物であるところの、(原理主義的)無神論・・往々にして特定の政治的宗教(イデオロギー)と結びついている・・が猖獗する欧州からイギリスに渡来したことで、イギリス人の大部分が共に抱いているところの、自然宗教的な神不可知論の洗礼を受けた結果、両者を折衷したような宗教観に到達し、その宗教観に近い側面のある、欧州とイギリスの有識者を無理やりかき集めることで自分の所説の裏付けとした、ということです。
私としては、こんなド・ボトンの所説は、人間の本性や自然宗教の人間主義性(道徳性や自然親和性)を看過した、浅薄、かつ有害無益な所説である、と切り捨てざるをえません。
この際、随分昔のものですが、(アングロサクソン論としても重要であるところの、)「無神論と神不可知論」シリーズ(コラム#496、497、498)を再読されることをお勧めします。
(完)
煮え切らない無神論について(その2)
- 公開日: