太田述正コラム#5457(2012.5.3)
<皆さんとディスカッション(続x1539)>
<太田>(ツイッターより)
 陳光誠、北京の米大使館を出て病院へ。
 また、妻子と再会へ。
 中共当局の全面敗北くさいな。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-china-17920910
 一応キャンキャン吠える中共当局。
http://j.people.com.cn/94474/7805759.html
 おめでとう!
陳光誠の件、日本の主要紙の見出しはマチマチだが、昨夜のボクのツイートのラインでよさそうだな
http://www.washingtonpost.com/world/chinese-dissident-in-us-custody-headed-to-hospital/2012/05/02/gIQAh9WrvT_print.html
<たろう>
 –結婚率–
 実現可能性は置いとくとして、非婚化(ひいては少子化)を解消する特効薬は女性の経済的自立権を剥奪することでしょう。
 一昔前の「総合職につけない」程度で足りなければ、「相続権なし」、「権利能力の制限」など適宜加重します。
 別に女性が憎くてするわけじゃないですから、母性保護促進、レディーファースト文化の醸成など補償措置も適宜とります。
 現状カギを握っているのは明白に女性側ですから。
 女性側が「行き遅れたら野垂れ死にだ」「持参金を積んでも結婚はする」と思うようになれば非婚問題は即座に解決です。
 まずくっつければ自然と子供も生まれるでしょう。
 「雇用機会均等法」などの施策で、ミクロで見た女性の環境は改善されました。
 しかしマクロでみれば、女性がノシた分男が稼げなくなりそれが「まともな結婚相手がいない。結婚できない!」という環境悪化をもたらしました。
 少子化とそれに伴う諸問題で「年金が心配。いくら貯蓄しても老後が心配!」となったのも同様です。
 結局、施策の結果女性個人がハッピーになったんだかアンハッピーになったんだか分かりゃしません。まして男性も含めた社会全体は・・・。
 しかし、米国(=日本官僚)の示す方向は女性の社会進出促進まっしぐらなんですよね。
 女性が働けば保険収入が増えるらしいですが、実際はその分男性が失業するだけかもしれませんよね。
<太田>
 主張にも典拠を付けるように努力しましょう。
 少子化対策に話を限定しますが、よく言及されるフランスの例を見るだけでも、あなたの主張がいかに怪しげなものであるか分かろうというものです。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/motto/20060812/
 なお、これ↓にはスウェーデンやドイツの例も出てきます。
http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/research/r060701taidan.pdf 
 とにかく、日本の少子化対策の現状は余りにもお粗末です。
<PK>
 –最近の「情熱大陸」–
 毎朝、貴ブログをロンドンで読ませていただいております。
 動画サイトで偶然観た「情熱大陸 フリーランス安藤美冬」に惹かれたので、日本女性の新しい働き方/生き方という点で、太田様がご興味を持たれるかと思いご紹介します。(もうご存知かもしれませんが)
http://youtubewara.blog10.fc2.com/blog-entry-3971.html
 画面をクリックすると始まります。
 後半「ポスト団塊プロジェクト」のほぼ男性ばかりの面子の中テレビを5年観ていない安藤さんが「メディア見せ物」論的なことを言われたのが痛快でした。
 これからも最新の話題、歴史の人物評共楽しみにしております。
<太田>
 ロンドンにお住まいとはなつかしい。
 さて、拝見させていただいたけれど、IT化の進展で、広義の在宅勤務者が増えつつあるってだけのことじゃないのかなあ。
<ねこ魔人>
 –官僚の労働環境–
 ちょっと気になったので質問したいことがあります。官僚の労働環境です。
 これは、とても厳しいとよく聞きます。
 例えば、寝間着をもって一週間の間も家に帰らず職場で生活するそうです。
 けれど、いつも思うのですが、このような官僚の労働環境は、官僚の仕事の重要性を鑑みると、やむを得ないのでしょうか?
 それとも、単に改善を放置しているだけでしょうか?
 諸外国での官僚の労働環境と比較しつつお答えいただければうれしいです。
<太田>
 法令策定や国会答弁書きが中央官庁の官僚の主な仕事である以上は、止むをえないですね。
 昼間は陳情等の来客が多く、まとまった時間がとれるのは夜になってしまう場合が多いし、また、国会質問の内容が入って来てから他省庁との答弁摺合せをやっているとどうしても深夜に及んじゃいますからねえ。
 (日本以外の先進国の状況は詳らかにしませんが・・。)
<εεεΕε>(「たった一人の反乱」より)
 トップ25コミックブックヒーローと悪役。
 大体知ってますが、中には・・
http://www.templates.com/blog/comic-book-heroes-villains-top-25/
 BBC制作の関が原の戦い。
 NHKも国内時代劇だけじゃなくて、欧米のシリーズやってくれ。
http://www.youtube.com/watch?v=UJgkmov4GqI&feature=related
<太田>
 BBCのよくできてるじゃない?
 NHKもドキュメンタリーじゃ、欧米のこと、時々取り上げてまっせ。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 評判いいねえ。自ら足を運んだかいがあった?↓
 「【来場者数20万人突破】大人も涙する「ONE PIECE展」の完成度は異常・・・
 よくある“大人も子供も楽しめる”イベントというものは、大概において子供は楽しめても、大人は「うーむ……」なことが多い。・・・
 この展覧会は間違いなく大人も子供も楽しめるイベントであると筆者は断言しよう。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/6524395/
 ボクのように兄弟がいないとこういうえもいえぬ関係の経験ができずに生涯を終えるってことだな。↓
 <ヘルマン・ゲーリングは弟アルベルトのナチス体制下で虐げられたユダヤ人等の人々を助ける活動を止めようとはしなかった。やり過ぎるなよと言っただけだった。↓>
 ・・・ The overly ambitious Hermann knew about Albert’s activities, yet did nothing to stop him. Albert later testified that his brother had told him it was his “own business” if he wanted to protect Jews, so long as he didn’t get Hermann in “endless trouble.” Albert, meanwhile, had a nearly schizophrenic relationship with Hermann, trying to keep the private person and the politician separate. “As brothers, we were close,” he said.
 <弟は、チェコの自動車工場の幹部の一人として、チェコのレジスタンスにも手を貸した。しかし、ゲーリングの弟なのでお目こぼしに預かることが多かった。↓>
 But as time passed, Albert Goring abandoned the caution his brother had demanded of him. In late 1939, the younger Goring himself took an influential position, becoming export manager for the Skoda automobile factory in the Czech city of Brno. From this position, he also supported the Czech resistance, activists later testified. If their statements are accurate, Albert Goring revealed not only “the exact location of a submarine dockyard” but also the plan to break the non-aggression pact with the Soviet Union. This sensitive information, the Czech resistance fighters stated, was successfully passed on to Moscow and London.
 <強制収容所に収容されていた人々を逃がしてやったこともある。↓>
 But even that isn’t the whole story. Goring is also believed to have saved prisoners from the Theresienstadt concentration camp in 1944. “He said, I’m Albert Goring from Skoda. I need workers,” Jacques Benbassat, the son of an associate of Albert’s, later related. “He filled the truck with workers, and the concentration camp director agreed to it, because he was Albert Goring. Then he drove into the woods and released them.”・・・
 <兄ゲーリングは何度となく、捕まりそうになった弟を助けてやった。
 ここでは引用しなかったが、この兄弟は顔も目の色も体の格好も性格もすべて正反対と言ってもいいくらい違っていた。↓>
 Multiple times, Hermann Goring had to intervene on Albert’s behalf, all the while warning him that he wouldn’t do so forever — with every German plane shot down, the once untouchable head of the Luftwaffe found his star was on the wane. Shortly before the end of the war, Albert fled to Salzburg, Austria.
 <戦争が終わった瞬間、今度は、弟は何も悪いことをしていないのに、ゲーリングの弟だからというので、何度も逮捕される羽目になった。
 この兄弟は一度だけ同じ収容所に入れられたが、兄は弟に「お前はすぐに自由の身になれるよ。俺の妻子のことをよろしくな。さよなら。」と言い残し、自殺した。↓>
 These two very different men met just once more in an American detention center in Augsburg. “You will soon be free,” the war criminal Goring is said to have told the younger Goring who saved Jews, on May 13, 1945. “So take care of my wife and my child. Farewell.”
 While Hermann Goring, sentenced in Nuremberg, escaped execution by committing suicide in October 1946, the Americans remained suspicious of Albert Goring. His name had become a burden for him. Although the last of a series of caseworkers did recommend his release, Goring was turned over to the Czech Republic and tried in Prague for possible war crimes, because Skoda had also manufactured weapons.
 <弟は、チェコ政府に逮捕された時も結局無罪放免となったが、その後、ドイツで、ゲーリングの弟だったことがたたってまともな再就職ができず貧困のうちに生涯を終えた。↓>
 Only after many former Skoda employees testified on Goring’s behalf were the charges dropped, and Goring was acquitted in March 1947. He died in 1966 in a Munich suburb, an impoverished and bitter man. Despite being a highly qualified engineer, he had been unable to find work in postwar Germany. Being Hermann Goring’s brother, a fact that had saved his life in years past, ultimately became a curse.
http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,830893,00.html
 北極熊の遠泳能力はこの世のものとは思われないなあ。
 氷から氷へ10日間かけて354km泳いだ母子がいる?!↓
 ・・・Between 2004 and 2009, a period of extreme summer-ice retreat, about a third of those bears made swims exceeding 30 miles, according to the study. The 50 recorded swims averaged 96 miles, and one bear was able to swim nearly 220 miles (354 km), according to the study results. The duration of the long-distance swims lasted from most of a day to nearly 10 days, according to the study.・・・
http://www.guardian.co.uk/environment/2012/may/02/poles-scienceofclimatechange
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 一人題名のない音楽会です。
 連休特番と行きましょう。
 たまーには現代音楽でもいかが。
 このコラム↓の筆者のご推奨の曲を紹介しよう。
http://www.guardian.co.uk/music/2012/mar/25/children-difficult-music
 ちなみに、この筆者の子供の頃に耳に焼付いた歌が下の曲↓だって。
The Carpenters – Rainy Days And Mondays
http://www.youtube.com/watch?v=dPmbT5XC-q0
Lou Reed’s Metal Machine Trio 街の雑踏って趣の曲。
http://www.youtube.com/watch?v=CDipr8OPUNM
http://www.youtube.com/watch?v=l5qjHDqfqjQ&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=SewbqP7R2zw&feature=relmfu
GYORGY LIGETI — Volumina パイプオルガンの「曲」。
http://www.youtube.com/watch?v=gmBVRsH7PvY&feature=player_embedded
Mind – Karlheinz Stockhausen Gesang der Junglinge 「電子音楽の最初の名作」だって。人間の声を織り込んだコラージュ的な曲だ。
http://www.youtube.com/watch?v=Ap_A6TgVhdU&feature=player_embedded
Georges Aperghis’s solo vocal piece Recitation 13 人間の声だけによる「歌唱」曲集。言語は一応フランス語のようだが・・。
http://www.ubu.com/sound/aperghis.html
Helmut Lachenmann – Ein Kinderspiel ピアノの「曲」。
http://www.youtube.com/watch?v=pWeB7mS-u-k
http://www.youtube.com/watch?v=jWU2NdKgJ1U&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=pM8MjUrzghQ&feature=relmfu
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太田述正コラム#5458(2012.5.3)
<ナチスドイツの最期(その4)>
→非公開