太田述正コラム#5258(2012.1.24)
<イギリス史とロシア史が共鳴した瞬間(その3)>(2012.5.9公開)
 「・・・今や、ダーウィンは・・・生と死の説明のために神的なもの(deity)は<持ち出す>必要がないことを示した。
 第一次世界大戦が始まった頃には、心霊研究者達は、あちら側で、故人たる科学者達のチームが人類の新しい救世主を創造するために働いている、と自分達自身が確信していた。
 「科学が科学に対して使われ、魔術のための経路にされた」とグレイは総括している。・・・
 科学が死を克服できるという希望が、ソ連の初期と<ほぼ同時期の>英国社会の上層部において流行ったことは疑いの余地がない。
 最も著名な英国人の一人で死者と交信しようとしたのがアーサー・バルフォアだった。
 彼は、保守党の政治家で元首相であり、霊媒達と席を同じくして、彼の知人で40年前に亡くなった一人の女性と接触しようと試み続けた。
 彼女は、彼の大失恋の相手であったということにされている。
 しかし、グレイは<失恋を引きずるようなタマではないとして、>これに疑問を呈する。
 彼の、エルチョ夫人(Lady Elcho)<(注17)>たるメアリーとの長きにわたった関係がいかなるものであったかははっきりしないが、それは、紛れもなく、「サド・マゾ的セックス・プレイ」を含むものであった、という<ことがその根拠だ、という>のだ。
 (注17)Mary Constance nee Wyndham。1862~1937年。Hugo Richard Wemyss Charteris Douglas, Lord Elcho と1883年に結婚。
http://jssgallery.org/Paintings/The_Wyndham_Sisters.htm
 彼女の37歳くらいの時の肖像画が上の典拠に載っている。(後ろ向きの女性。他の二人の女性は彼女の妹達。)
 グレイは、詳細な説明を省くことで、読者に、このプレイは、両者の高尚なる立場にふさわしい、微妙で洗練されたものであったと考える自由を残しつつ、この二人に係る、人生、欲望、そして紛糾、更には、・・・「相互交信」、の究明に没頭したのだ。・・・」(B)
・ヘンリー・シジウィック
 「・・・シジウィックが何十年も真面目に死後の生の証明を探し続けたのは、この証拠が得られなければ、道徳的な生活を送る理由がない、と思ったからだ。
 仮に目に見える世界だけが現実であれば、道徳性は「混沌に帰してしまう」、と彼は、1874年の<著書>の末尾に記した。
 彼は、この一節をこの本のその後の版からは削除しているけれど、決してこの見解を変更することはなかった。
 シジウィックは、死の最終性を恐れた。
 というのも、そうだとすると、人は自分の欲望を抑制する理由がなくなるからだ。
 こんなことは、彼にとっては、まことにもって困ったことだったに違いない。
 彼は、人生の多くを自分の性欲を抑制することに費やしたように見えるからだ。・・・」(F)
 「偉大なる倫理学者のヘンリー・シジウィックのような、多くの霊魂不滅論者(immortalist)<にしてみれば、>・・・死後の人生<、ないし、>・・・天国の約束こそ、善であることへの唯一の誘因(incentive)なのだ。
 しかし、<本当のところは、>このような見解は、専制(tyranny)への最初の一歩なのだ。
 なぜなら、それは、道徳的諸行動からその真の価値を失わせるからだ。
 仮に、人に対して倫理的に行動すべきであると説得したいのであれば、善であることが、若干の将来の経験のための助けとなるというだけよりも、善それ自体が、そして善それ自体によって、善でなければならないのだ。・・・」(C)
 「この本の中で登場する個人の中で最も興味深いのは、ヴィクトリア人たるヘンリー・シジウィック(1838~1900年)だ。
 ピーター・シンガー(Peter Singer)<(注18)>によれば、全時代を通じての最も重要な道徳哲学者達の一人たるシジウィックは、慈悲深き神の存在がなければ、道徳性は、究極的根拠を持たず、社会的に都合の良い諸ルールの変転する集合体に堕してしまう、と確信していたのだ。
 (注18)1946年~。「オーストラリア出身の哲学者、倫理学者。・・・現在、プリンストン大学教授。 両親は第二次世界大戦の前にウィーンから移住したユダヤ人で母は医者、父は茶、コーヒーの輸入を営む。・・・<彼は、>功利主義の立場から、倫理の問題を探求している。著書『動物の解放』は、・・・<とりわけ>脊椎・・・動物の権利やベジタリアニズムの思想的根拠として、広く活用されている。・・・特に、動物実験と工場畜産を批判している。<また、>・・・世界の貧困に対する富裕な国に住む人々の義務を説いている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
 彼は、死後の人生の調査は、自分の道徳的虚無主義への恐れを鎮めるために彼が必要としたところの、確かなるものを提供することができると信じたのだ。・・・」(H)
(続く)