太田述正コラム#5475(2012.5.12)
<過去・現在・未来(続X38)>
<太田>(ツイッターより)
「…中国で育った…父が中国人、母が日本人の…ハーフのひとりの女の子が、日本の映画界でトップスターに上り詰めるストーリーを描く…<映画で>主役を演じる林丹丹…」
http://j.people.com.cn/94473/7812765.html
だけど、林さん、日本で育った、父が日本人で母が中国人なんだけどねえ。
ややこしー。
日本の女性選良達が他の女性に冷たいのは残念だが、米国でも、企業の女性幹部達(少数派!)は、競争相手を作りたくない、引き上げてやった女性が無能だったら目も当てられない、同じ女性だから依怙贔屓していると思われたくない、と考えているというんだな。
http://business.time.com/2012/05/11/the-real-reason-women-dont-help-other-women-at-work/
<太田>
それでは、その他の記事の紹介です。
薄事件以来、ますます中共の金持ちの海外脱出熱は嵩じてるみたいよ。
日本はカネはいらないけど、米加等に倣って、一定の資産を一定の期間日本政府に寄託した外国の人々に日本への永住許可を与える方策をとったらどうかな。↓
・・・ In the U.S., 75% of investor-immigrant applicants were from China in fiscal 2011. ・・・
Canada was a favorite destination, but its investor immigration program,・・・ is no longer accepting new applicants, until at least July, to deal with a backlog that has caused process times of more than threeyears for Chinese. ・・・
・・・the most skittish are asking for ways to get to lesser-known destinations such as the small Caribbean island nation of St. Kitts and Nevis, as well as to Bulgaria.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304203604577393841014313050.html?mod=WSJ_World_LeftCarousel_2
英国人小説家(Philip Kerr。1956年~)
http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Kerr
が、オルブライト元米国務長官の自伝に英国への敬意が見られない、とクレームをつけている。
チェコ生まれのユダヤ系のオルブライトもまた、米国に過剰適応した一人なんだろね。↓
<彼女は、ミュンヘンで英国がヒットラーに妥協したことだけを取り上げているが、当時チェコスロヴァキアと同盟関係にあったフランスの方が責任がより重い。また、チェコ人亡命者に対する英国人の態度がよくなかったというが、1940年に当時の英国王夫妻がチェコ独立運動の指導者負債をバッキンガム宮殿での昼食に呼んでいる。↓>
・・・ if I have a criticism of Albright, it’s this: Having read it very closely, I can’t help feeling she doesn’t like the English very much. She takes Britain to task for a number of failings, not least for not standing up to Hitler at Munich in 1938 (although it seems to me that since France, not Great Britain, was Czechoslovakia’s ally under the Little Entente treaty of 1924, and had the greater duty) as well as for the small-minded, comical way we English went about the defense of our country, not to mention our rather condescending behavior toward Czechs in exile. Just how condescending could we really have been, I wonder, when the king and queen took the trouble to invite Czech independence movement leader Edvard Benes and his wife to lunch in the summer of 1940? I’ve lived here for 56 years, and I’ve never even been through the gates of Buckingham Palace. My father was wearing clogs to school in Edinburgh while Albright was attending a private school in Walton-on-Thames and living in a nice big house in Kensington.
<戦間期と第二次世界大戦直前の2回、英国はオルブライト一家を受け入れているというのに、そして、そうしていなきゃ、オルブライトは強制収容所で殺されていただろうに、一言の感謝の言もないとはどういう了見だ。↓>
“Few sentiments,” says Albright, “are expressed more often than gratitude,” but in “Prague Winter” this gratitude doesn’t run to the least amount of thanks to a country that came to her family’s aid — twice. Without the sanctuary provided by Great Britain, Albright would almost certainly have died in Theresienstadt or Auschwitz like many of her family members.
A simple expression of gratitude would have been nice. But I looked for a kind word about my fellow countrymen and found none — no, not even about Churchill. ・・・
http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/prague-winter–a-personal-story-of-remembrance-and-war-1937-1948-by-madeleine-albright/2012/05/11/gIQAEgVpIU_print.html
昔、彼の著作の「情熱的な精神状態」(永井編『現代人の思想(16)政治的人間』(平凡社、1967年)(The Passionate State of Mind and Ohter Aphorisms(1955)))
http://www.logico-philosophicus.net/profile/HofferEric.htm
を面白く読んだことがあるけど、エリック・ホッファー(Eric Hoffer。~1983年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
の話が出ていた。
(なお、このコラムによれば、上記日本語ウィキペディアにいう、「ドイツ系移民の子としてニューヨークのブロンクスに生まれる。7歳にして母親と死別し、同年視力を失う。その後、15歳で奇跡的に視力を回復する。以来、再びの失明の恐怖から、貪るように読書に励んだという。」はウソらしい。)↓
<サンフランシスコで沖仲仕をやっていたホッファーが初めての本・・The True Believer: Thoughts on the nature of mass movements(1951)(『大衆運動』(高根正昭訳、紀伊国屋書店、1961))
http://www.logico-philosophicus.net/profile/HofferEric.htm 上掲
・・を出したのは50歳前後の頃だった。↓>
・・・When “The True Believer” was published in 1951, he was a largely self-educated longshoremen, aged 50 or thereabouts (there is doubt about his actual birth date), a barrel-chested guy who earned his living by loading and unloading ships on the docks of San Francisco. ・・・
<彼は、恐らく、ドイツから米国に不法入国してきたんだろう。↓>
Hoffer probably entered this country illegally as a young man, perhaps from Germany.・・・
<彼は大変な米国好きだった。(彼もまた米国に過剰適応した一人だったってことのようだね。)↓>
Hoffer loved this country fiercely and was deeply proud to be an ordinary American workingman.・・・
<でも、彼だって、ちゃんと生涯連れ添った内縁の妻を得てたんだね。↓>
・・・he found in Lili Fabilli Osborne, the estranged wife of a communist friend, a devoted companion for the rest of his life.
<その後、カリフォルニア大学バークレー校で客員教授的なことをしていた時期があるんだって。↓>
Following his involuntary retirement from the docks, in 1964 Hoffer took up a position at Berkeley as a kind of visiting professor, simply coming onto campus once a week to talk for a few hours with students and visitors. ・・・
http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/book-world-eric-hoffer-the-longshoreman-philosopher-by-tom-bethell/2012/05/09/gIQAasr0DU_print.html
「イスラム教の成立」シリーズ(コラム#5420、5422、5424、5432)(未公開)を書いた時に依拠したところの、Tom Hollandの’In the Shadow of the Sword: The Birth of Islam and the Rise of the Global Arab Empire’の書評群は、全て英国のものでしたが、このたび、米国における書評が一つ出た
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304050304577378091511934480.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
ところ、このシリーズの理解が深まる内容であることから、その一部を翻訳して紹介することにしました。↓
「・・・<この本の著者の>ホランド氏の見解によれば、・・・イスラム教はアラビアの砂漠の中で生まれたのではなく、黙示録的諸シナリオと千年王国的諸希望の通例の前駆者であるところの、疾病と戦争によって長く荒廃させられていた地域である、シリアとパレスティナの境界で生まれたのだ。
<預言者ムハンマドが属していたとされる>クライシュ族(Qurayshites)は、メッカではなく、ローマ/ビザンツ帝国の恩顧の下で富裕となった<ところの、この地域に住んでいた>アラブ部族なのかもしれない。
(コーランの奇跡的性格を強調する観点からムハンマドの伝記群で主張されてきたところの、)文盲であったどころか、ムハンマドは知的に洗練された男だった。・・・
彼が創建した<とされる>宗教は、エルサレムをその原初的焦点とする、世界の終りという黙示録的信条によって駆動されていたところの、ユダヤ人、キリスト教徒、そしてアラブ人からなる、古典的千年王国カルトとして始まった。
イスラム教の初期の諸カリフは、自分達自身を神の摂政の副官(vice-regent)と見ていたが、彼らは、ダニエル書と黙示録という聖書の諸書と死海文書群の中で表面化していたところの、この地域の文化の中に長きにわたって身を隠してきた、同じ千年王国的諸期待の後継者であると同時に受益者だった。
イスラム教及びその預言者が、純粋にアラビア半島が起源であるとされてきたところのものは、偶像的な道徳的権威を持ったところの、ムハンマドの記憶を用いて、諸カリフの権力を抑制しようと努めた敬虔なる学者達による後の時代における創案なのだ。
カリフの諸帝国は滅びて久しいが、預言者の慣習と範例<と称してこれら学者達によって創案されたもの>であるスンナ(sunna)は、今でも生きている。」
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一人題名のない音楽会です。
ユリア・フィッシャーの2回目の特集です。(1回目はコラム#5335。そのほか、5337と5339でも彼女に触れている。)
[バッハ]
バイオリン協奏曲第2番ホ長調(BWV1042)第2楽章 モンテカルロ交響楽団
http://www.youtube.com/watch?v=J87PnlvxyK0&feature=related
第3楽章 Academy of St. Martin In the Fields
http://www.youtube.com/watch?v=pVp6pQCEAuU&feature=related
チェンバロ協奏曲第3番二長調(BWV1054) 上の曲をバッハ自身が編曲したもの。チェンバロ(兼指揮):Trevor Pinnock The English Concert とりわけ、07:50~からの第2楽章をどうぞ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8084535
上記のチェンバロをピアノで置き換えたもの ピアノ:グレン・グールド 指揮:Vladimir Golschmann コロンビア交響楽団
http://www.youtube.com/watch?v=fZ7L1NhFI-w
http://www.youtube.com/watch?v=asmyKz9q9OE ←第2楽章がお勧め。
http://www.youtube.com/watch?v=FjD7-maNH2U
3つのバイオリンのための協奏曲(BWV1064)(一部) バイオリン:+Radoslaw Szulc(兼指揮)+Daniel Nodel Bayerischen Rundfunks 3台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調」から復元されたもの。
http://blog.goo.ne.jp/aeternitas/e/fa25414b19b0480fcc3bcf3dbf396988
http://www.youtube.com/watch?v=gvE4bU-Ng_w&feature=related (注)
原曲 チェンバロ:Trevor Pinnock、Kenneth Gilbert、Lars Ulrik Mortensen The English Concert
http://www.youtube.com/watch?v=SGNxFbeM6DU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=tPz9b2bPsYE&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=LvIEPG63T_w&feature=relmfu
(注)演奏会場のニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg)は、神聖ローマ皇帝カール7世(1697~1745年)が祖父のバイエルン選帝侯が建設に着手した建物を完成した。(ノイシュヴァンシュタイン城を建設した「狂王」)ルートヴィヒ2世(1845~86年)はこの宮殿で生まれている。
「20ヘクタールの庭園は当初はイタリア式庭園だったが、後に・・・フランス式庭園に作り変え、19世紀初頭に・・・イギリス式庭園に作り変えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%AE%E6%AE%BF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB7%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%922%E4%B8%96_(%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%8E%8B)
この庭園の変遷から、ドイツから見ての先進国の変遷(伊→仏→英)がうかがえるのが興味深い。
私は、1958年に、ザルツブルグ留学後に母親と一緒に欧州旅行をした際にミュンヘンも訪れているが、この宮殿に行った記憶がない。何たることか。
(続く)
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太田述正コラム#5476(2012.5.12)
<映画評論32:マンデラの名もなき看守(その1)>
→非公開
過去・現在・未来(続X38)
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